熱が下がって自室に移動することになった。それまでの数日は目を覚ましたマヌエラの話を延々聞く日々だったから、引っ越しが決まった時は申し訳ないけれど、少し安堵してしまった。
 マヌエラが教えてくれた話によると、フレンの失踪に関わっていたのが、街で噂になっていた死神騎士。その正体は、士官学校の剣術師範だったイエリッツァである可能性が高いらしい。死神騎士は兜をかぶっていて、マヌエラも、実際に交戦したベレトたちも、その素顔は見ていないそうだけれど、事実、イエリッツァはこの一件で修道院から姿を消した。
 他にも協力者がいるのは間違いないだろうと言うのが教会の見解だ。ただ、修道院にまだ潜伏している者がいるのか、目的は何なのか、その辺はよくわかっていない。今は騎士団が方々を調べて回っている最中で、飛竜の節になったら団長も調査で王国へ向かうと聞いた。
 僕より長く眠っていたはずなのに、マヌエラがどこからこんなに情報を仕入れてくるのか不思議だった。


 部屋に移る前の日の夜にはフレンに会った。
 無事だとは聞いていたけれど、姿を見るまではどこかで疑っていたのだろう、自分でも驚くほど力が抜けてしまった。
 あまり詳しくは聞いていないけれど、死神騎士はフレンの血を狙ったらしい。そんなもの一体何に使うのか、想像がつかない。
 彼女の血が特別なら、兄のセテスもそうなのだろう。攫いやすい方を狙ったということなのか。二人は僕が想像しているよりずっと窮屈に生きてきたのかも知れない。そうであれば、セテスの過保護ぶりもなんとなくわかるような気がする。
「ステイシアさん、ごめんなさい。お怪我をしたって聞いたのに、今までお見舞いに来られなくて……」
「そんなの別にいいよ。それよりフレンはもう大丈夫なの?」
「ええ、この通りピンピンしていますわ!」
 フレンが握った両手を肩のあたりに掲げて見せた。勇ましい姿勢だったけれど、僕の左手に目を向けて、彼女はすぐに萎びてしまった。
「ご心配をお掛けしてしまいましたわね……ごめんなさい。お馬さんから落ちてしまったって聞いて、私……え?何で笑ってらっしゃるの?」
「いや、改めて言われると……ふふ、いくら何でも間が抜けすぎてるなって……あはは!」
 ベレトに説明した通りの話が伝わっているようだけれど、人から聞かされると、確かにちょっと信じがたい内容だなと思う。喜劇の台本みたいだ。
「もう!私、意識もないって聞いて、本当に心配しましたのよ!」
「うん、うん、ごめんって……ふふふ、よかったよ、本当に。君も、僕も、みんな無事だもの。ね?」
 笑って見せようとは思っていないのに、つい笑ってしまう。
「ええ、本当に……」
 フレンが微笑む。頬が染まって、目は細い月みたいに綺麗な弧を描いていた。
 ああ、終わったんだなと唐突に思う。実際には何も解決していない。それどころか、何かおかしなことが動いている最中なのだ。頭ではそう考えるのに、日常が戻った、よかった、そんな感情ばかりが浮かぶ。
 こんなことってあるんだな。一度転がり出したら、あとは落ちるばかりだと思っていた。流れ出したら、もう押し留めることなんてできないものだと……。
「そうでしたわ!私、ステイシアさんにこれを渡さないとと思っていましたの」
 フレンが差し出す手には便箋が握られていた。
「律儀だなあ」
「だって約束しましたもの。お友達との約束は破りたくありませんわ!ステイシアさんも、そうではなくって?」
「そっか……うん。ありがとうフレン」
 便箋に目を落とすと、縁に植物の装飾が施されていて、随分可愛らしい図柄だった。これに散々謝罪を書き連ねるのかと思って、また笑った。


 部屋に戻ってから、手紙の下書きをした。フレンに勧められたこともあったし、彼女にもらった便箋を無駄にできないということもあった。部屋に戻ってよくよく眺めると、紙の質もいいし、装飾も細かい。かなり高価なものなのではないかと思った。
 下書き用の紙がないから、以前にダメにした便箋たちを使った。屑籠から屑を取り出して、皺を伸ばす。屑を元の紙に戻すのは片手だけだとなかなか難しい。どんなに頑張っても、皺を完全に無くすことはできないから、文字が書きにくい。
 ただ、幸いにして、手紙の練習台は沢山あったし、どうせ使い終わった後はまた元の屑に戻るのだと思ったら気が楽だった。以前は、文字を眺めているだけでも億劫だったのに、何とか書き進められるようになっているのが不思議だった。
 謹慎と言っても、食事や風呂のために外に出ることはできたから、そこまで不自由は感じない。本当にただの休暇のようだ。強いて言えば、仕事や訓練の時間が全て自室待機に変わったせいで体が鈍るのが不満なくらい。
 時々、夜中にこっそり部屋を抜け出して書庫へ本を借りに行った。日中に手紙を書いて、頭の中の文字が足りなくなると本を読む、という生活が数日続いた。
 ある日、書庫で借りた本に不思議な書き付けが挟まっているのを見つけた。文字が所狭しと羅列されている紙で、初めは内容がよくわからなかった。挟まれていた本の内容と照らし合わせると、どうも、誰かが魔道を研究している記録のようだった。
「なんだこれ……対象が……水で、えっと……水の色を変えるの?」
 効果の意図が理解できなくて読み返すが、読み込むほどに、ただただ、水の色を変えるだけの魔法であるようだった。
 次の日、食堂で水をもらってきて、部屋で魔法を試すことにした。効果を見るに危ないものではなさそうだし、単純に興味があった。水だけじゃなくて、髪だとか目の色が変えられたら面白いだろうなと思う。
 部屋の真ん中に椅子を置いて、方陣を書いた紙、その上に大きめの器を乗せる。水差しから水を注いだ。
「えっと、器の縁をなぞって……魔力を、こうかな……?」
 しばらく様子を見たけれど反応はない。不発だろうか。もう少し魔力を込めると、器に満ちた水の中央からじわりと変化が起こる。
 水面は初め、夜みたいな深い紺色に染まり、次第に明るい青、緑と色が変わっていく。
「あ、すごい。虹色になるのかな……?」
 黄色、橙と変わっていき、赤色に差し掛かった時、二度目の変化が起きた。
 水面がかすかに波打ち、次いで器が震え出す。まずいかもしれないと思った時、辺りを閃光が包み、轟音が響いた。

 気づいたら座り込んでいた。耳の奥で鐘の音みたいな高音が鳴っている。部屋を見渡すと床の上で器がひっくり返り、寝台や壁が飛び散った水で赤く染まっていた。
 えらいことになってしまった……。
 呆然としていると、部屋の外、誰かが走ってくる足音が聞こえる。それは僕の部屋の前で止まり、ものすごい勢いで扉が叩かれた。
「ステイシア、何があった!?返事をしてくれ!」
 叩かれる衝撃で扉がたわむ。木の板が太鼓の貼り革みたいに波打つ光景は信じがたいものだった。扉に引っ張られて壁も震える。部屋が壊れてしまう……。返事をしようとしたけれど、それより前に扉の取っ手が破壊される音が響いた。
 ディミトリとドゥドゥーが駆け込んでくる。二人は部屋の惨状に愕然としているようだった。ディミトリが鈍い動きで近寄ってくる。目の前でしゃがみ込むと、無言のまま僕の肩を両手で掴んだ。とても痛い。
「お、落ち着いてディミトリ。これは水……」
「そんなわけあるか!頼むから正直に言ってくれ、どこを切った!?」
「切ってない、血じゃない……」首を振ると額から水が滴り落ちる。床に落ちたそれが飛び散って赤いシミを作った。これは……説得力の欠如……。
 こちらの様子に埒があかないと思ったのか、ディミトリは悪態をつくと僕を担ぎ上げた。驚いて息が止まる。
「ドゥドゥー!後は頼んだぞ!」
 ディミトリが駆け出す。担がれたまま、部屋に残るドゥドゥーを見やると目が合った。彼は何か察している様子だったけれど、無言で首を振り、僕たちを見送った。
 何度か、走るディミトリを説得しようとしたけれど、揺れが激しくてまともに口を開けない。そうこうしているうちに医務室に到着してしまった。
 そんなに長い時間ではなかったけれど、もう二度と味わいたくないと思うほど居心地が悪い。心臓の鼓動がうるさいくらいなのに、背中を流れる冷や汗で体は冷たかった。
「あの、ディミトリ」
「マヌエラ先生、すみません!助けてください!」
 ディミトリが声を張り上げる。医務室の扉が開いて、マヌエラが顔を覗かせた。その表情がだんだん怪訝そうに歪んでいく。
「……池にでも落ちたのかしら?」
 そういう反応になるよなあ、と胸の内で頷いた。魔力が切れたのか何なのか、既に赤色はすっかり消えていて、今はただ服が冷たく肌に張り付いている。
「えっと、その……これはですね――」
 なんとか事情を説明し終わる頃には、マヌエラは笑いが止まらないと言った様子でひたすら机を手で叩いていた。
「慎ましく生活していると思ったら、アナタ……!でも、そうね、人生はこのくらい刺激的じゃないと!」
「いや、ほんとびっくりです……」
 僕の横に座ったディミトリが、よかったとか、話を聞かなくてすまなかったとか、色々言ってくれるのが、居た堪れない。あまりにも紛らわしいし、全面的に僕が悪い。頭の中で、その通りだぞ、反省しろ。と言うドゥドゥーの声が聞こえた気がした。


 後日、爆発騒動のきっかけになった本を書庫へ返しに行った。フレンを探している間に忍び足も得意になったし、そもそも最近は書庫番が不在にしている時間も多いから、忍び込み放題と言っても差し支えない。
 入り口から書庫の中を覗くと、明かりの落ちた室内は静まり返っている。高い壁の上に設置された窓から月明かりが差し込んでいて、天井のアーチがぼんやり浮かび上がっていた。反面、壁を埋め尽くして立ち並ぶ書架は深い陰に沈んでいて、上方が明るい分、より一層暗いように感じられた。地面の底みたいな……。
 室内にゆっくりと体を滑り込ませ、右手の中に魔法で小さな光を灯す。目的の本棚の場所を探す。確かこの辺だったはずと思って、灯りを浮かべると、所狭しと並んだ本の間に一冊分の隙間を見つけた。
 本を戻そうと背を伸ばす。本の角を隙間に差し込んだ時、かさりと軽い音がして、手元に抵抗を感じた。本を引き戻すと床に何かが落ちていく。
 なんだろう。
 本を棚に押し込んでしゃがんだ。拾い上げるとそれは四つ折りにされた紙片で、開くと真ん中に几帳面そうな文字が綴られている。
 未明、厩舎裏にて待つ。必ず来られたし。
「なんだこれ……」思わず声が漏れる。
 筆跡が、例の魔道の書き付けと似ていた。何となく、自分に向けて書かれたものなのではないかと感じる。僕が本ごと書き付けを持っていってしまったから、筆者が困っているのだろうか。果し状じみた文言には怒りの感情が含まれているような気がした。
 どうしようかと首を傾げる。日付の指定は特にない。一体、いつの未明なのだろう。もしかして、僕が本を持っていってから毎晩待っているのだろうか。そうだとしたら、あまり行きたくない。経過した日数分、余計に怒られそうだ。
 見なかったことにしようかと思った時、背後で足音が聞こえた。
 灯りをかき消して振り返る。紙片をポケットに押し込んだ。
 書庫の入り口に人影が立っていた。影はじっとこちらを見据えているようだ。書庫番か見回りの誰か?それとも手紙の主が直接会いにきたのだろうか。
「……誰?」
 声をかけると人影がゆっくり動く。
「……ステイシアか」
 再び灯りを掲げると、影からドゥドゥーが姿を表す。彼は少し眩しそうな顔をしていた。
「何だ、君か……。こんな時間にどうしたの?」
「……殿下を見なかったか」
「ディミトリ?」首を振る。「見てない。少なくともここにはいない。訓練場じゃないの?」
「やはり、そちらか……」どうも当てが外れたようで、声が少し低くなる。
「また夜更かししているの?困ったね……」
「お前にそれを言われるのは……殿下も不服なのではないか」
「うーん、それはその通り」
「……余り殿下に心配を掛けすぎるな」
 心配して欲しいと頼んだ覚えはないのだけれど、それをドゥドゥーに言ったら間違いなく怒られるだろうと思って、口を噤んだ。ドゥドゥーはじっと目を細めて、僕を見下ろしている。何か言いたそうな顔だった。
「ごめん、眩しい?」
 灯りを遮るように手を広げるとドゥドゥーの顔にかかる影が濃くなる。迫力のある表情に見えた。
「この間、お前の部屋を片付けた時――」
「あ、その節は迷惑をかけてごめん。戻った時、部屋が綺麗でびっくりした。ありがとう」
「……お前の書いた手紙を見つけた。勝手に中身を読んだことは、謝る」
「え?ああ、なるほど、そういう……」
 ドゥドゥーはとてもゆっくりと謝罪を口にした。妙な迫力の正体はこの告白だったのだろう。
「……家に帰るのか」
「帰らないなら、書かないよ」
「殿下に何も伝えない気か」
「いや、流石にそれは……でも、なんて言えばいいか、わからなくて困ってるかも」
 大丈夫にしようと言ったのに早速帰るなんて、あまりにも間が悪い。今帰ることになったのは、散々両親の手紙を無視してきた結果だ。けれど、彼はそうは考えないだろう。きっと、僕の左手や、あの麦畑を思い出す。仮に、誠心誠意話しをして、納得してくれたとしても、絶対に気にする。煩わしいことだ。ため息が漏れる。
「だいたい、彼は関係ないのに」
「それはどういうつもりで言っているんだ?」
 ドゥドゥーが眉を寄せて、僕を睨んでいた。そういえば、前に彼の主人にも睨まれたことがあった。主従は似てくる、という話は本当なのだろう。
「ああ、そう、言い方がよくないよね……。前、シルヴァンにも言われた。……えっと、実家から帰って来いって催促が来ていたんだ。ずっと、それを無視していた。でも、カトリーヌさんにまで催促が来たから、流石にもう無視できない。それで、帰るの。だから、ディミトリがどうとか……あーその、僕が怪我したからとか、全然、関係ないんだ」
「今の話を、そのまま伝えたらいいのではないか」
「信じてくれるかな?」
「……」
「……黙らないでよ」
 僕が笑うと、ドゥドゥーが渋い顔をする。
「あの方を悲しませる真似はするな」
「……悲しいかな?」
「わからないのか?」
「うーん、今生の別れでもないし」
「また、会うつもりがあるのか」
 嫌なことを聞いてくれる。顔に出さないように意識したけれど、僕が自分を操縦するまでの空白にドゥドゥーは眉を顰めた。無駄な努力だったかもしれない。
「お前が逆の立場だとしたら……わけも知らず、二度と会えないかもしれないとしたら、どうなんだ」
「どう、なんだろう……寂しい、かな?でも、よくわからない。ほっとするような気もする」
 多分、ディミトリの言い分に倣えば寂しいのだろうが、正直、割り切れない。剣を振り下ろしたら、骨に引っかかってしまった感覚に似ている。まだ、何かが足りない。
「ほっとする……のか?」
「行ってくれたなあ、よかったなあって。そのまま振り返らずに生きていって欲しい。余計なもので煩わせたくない」
 目を伏せる。これで話が終わらないかなと思ったけれど、ドゥドゥーはじっと黙ったまま、その場に立ち続けている。額のあたりに視線を感じた。彼を無視してすり抜けていくわけにもいかないから、息を吸い込んだ。
「……ディミトリってちょっとびっくりするくらい優しいよね。何でも抱えようとするし。そんなに他人の悩みとか人生とか、背負わなくてもいいんじゃないかなって思うよ」
 ずっと他人のことを抱えていたら、彼の人生が埋もれてしまう。いつか、それを見つけようとした時に、詰め込み過ぎた荷物みたいに、もう何もかもぐちゃぐちゃに混ざって、見つけられなかったら悲しい。彼だけのものは一つしかないのに。
「例えばさ、魔道の本を読むとして、応用学を読むなら、基礎学の本も一緒に確認したい。似た論文も参照したい。同じ著者の別の本も。そうだな……この本とか、後こっちも」
 書架から本を引っ張り出して、近くの机に置いた。
「ほら、一番読みたかったはずの本が、一番下」
「……重ねなければいいだろう」
「そう、本棚みたいに、並べて整理できたら一番いいね。でも、横並びでは抱えにくいよ」
 せっかく引っ張り出したから、明日からはこれを読もうと思って、重ねた本を引き寄せる。包帯で固められた左腕の上に本を乗せた。思ったより重量がある。欲張りすぎたかもしれないと考えていると、一冊ずり落ちて、床に重苦しい音が響いた。
「……ご覧の通りで、僕はけっこう鈍臭い」
「……そのようだな」
 ドゥドゥーがため息をつく。彼は本を拾い上げて、僕の抱えたそれらの上に積み直した。
「ありがとう」言いたいことは言えた。寧ろ喋りすぎだろう。「じゃあ、僕見つかるとまずいからもう行くね」
 ドゥドゥーの脇を通り過ぎて、出入り口に向かう。
「だが……」背後で小さな声。「お前のしていることは、本を重ねることとは違うのか?」
 振り返る。暗がりの中のドゥドゥーの姿はよく見えない。ぼんやりと大きな人型の影だけが浮かんでいる。
「違うよ、全然違う。背負っているんじゃない。僕はただ、自分で散らかしたものが、他の人の荷物に混ざらないように取り戻しているだけ」
 誰も彼も好きに生きているのだから、どんな生き方だって文句はない。ただ、僕は抱えられたくない。そんなことしてもらわなくても生きていける。生きていけると思い込んでいるだけで、今まさに死んでいく最中なのだとしても、死にきるまでは生きているのだから、それでいい。
けれど……。
 腕の中の本を抱え直す。崩れないように一番上の表紙に顎を乗せて押さえた。
 だからこそ僕は、僕の外側に対して全くの無力だ。
 誰かが転んだり、崩れたりしても、それでもいい、なんて言われたらもう、手も足も出せない。僕自身がそうなのだから、納得するしかない。けれど、そのまま外側の世界でまで、どこにもいなくなってしまったら、それは、それだけはきっと、窒息しそうなくらい苦しいだろう。
 笑ってしまった。
 なんとまあ、酷い矛盾。よくも今まで気づかずにいられたものだ。
 体を倒さないように意識して背を伸ばす。
 どうして気づかずにいられたのか、それはこの修道院が僕にとって、美しい庭だったからだろう。ずっと花が降っていた。温かい場所で随分と長く守られた。何に一番耐えられないのか、思い出さずにいさせてくれた。
 矛盾したまま生きたらどうなるのだろう。やはりどこかで破滅するのだろうか。それともいつか呑み下して、少しづつ手を離せる時が来るのか。
 もう春は過ぎてしまった。それどころか、冬が目前まで迫っている。飛竜だって南に去ってしまう。いい加減、無理にでも呑み込むしかないのか、それとも、呑み込めないから帰るのだろうか。
「あのさ……色々言い訳したけど、その……まだちょっと思い切りが足りないだけで、帰るまでにはちゃんとする。だから、そんなに心配しなくていいよ」
 暗い書庫に向かって言葉を吐く。返事はないけれど、ドゥドゥーが頷いた気がして、そのまま書庫を後にした。


 そのあとは誰にも会わずに部屋へ戻れた。一先ず、持ってきた本を机に置こうとしたら、机上に雪崩れ落ちた。机の端に置いていたペン立てが倒れる。思わずため息。
 机を片付けて、枕元の燭台に火を灯す。寝台に腰を下ろした。そのまま後ろに体を倒して、背中から着地。ポケットに手を突っ込む。乾いた紙の感触を見つけて、引っ張り出した。
 中身をもう一度確認しようかと思って、やめた。手紙を掴んだまま右手を投げ出す。いっそこの紙の裏にも下書きをしてやろうかと思って笑った。
 仕事は免除されているし、そう大変なこともないはずなのに、気が重いことばかり増える。出来ることから片付けるから、難しいことが残るのか。そう言えば、ディミトリに再会した頃もこんな気持ちだったかもしれないと思い出した。
 もう、四年半だ。ずっとここに留まって、僕は何も変わらないのだろうか。それとも、何もかもが変わっただろうか。


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