マクドレド街道をひたすら北上した。
 道中はそこら辺にいる普通の傭兵団か旅一座のように振るまえという指示だった。普通の、というのがよく分からなかったけれど、誰かが馬上で歌ったり、どうして持ち込んだのか馬車の荷台で楽器を演奏したり(当然揺れるから音はめちゃくちゃだった)、立ち寄った町の酒場で宴会を開いたりと、確かに騎士の一行には見えなかっただろう。
 愉快な道中が数日続き、ローべ領を過ぎたあたりの宿場町に到着する。そこで家からの迎えと落ち合うことになっていた。
 指定された宿に向かって店主に要件を伝えると、すぐに女性が一人やってきた。ノモス家の侍女だという彼女は笑みを浮かべて頭を下げる。口にした名前は手紙に書かれていた通りだった。連絡を受けた時から聞き覚えのない名前だと思っていたけれど、実際に顔を合わせてもやはり、家にいた頃には見なかった顔だと思う。僕が家を出てから仕えるようになったのだろう。町人か行商人のような装いは地味で落ち着いた雰囲気を醸し出していたけれど、よく見るとかなり歳若い。僕より少し年上、たとえばそう、ベレトあたりと同じくらいの年齢ではないかと思った。
 一通りの質問と確認を終えると彼女は一緒に来ていたジェラルトたちに向かっても深々と頭を下げた。その様を眺めていると一瞬目が合い、微笑まれる。初対面のはずなのに随分と友好的な態度だと思って、内心たじろいだ。顔に出さないように注意して、ゆっくりと瞬きだけを返す。もしかして、どこかで会ったことがあるのだろうか。
 その日はジェラルトたちも町に留まることになり、泊まった宿の食堂でまた宴会が開かれた。酒が進むと、余興が足りないとか、何か踊れとかいう野次が飛んでくる。別に踊るくらい今さらどうということはないのだけれど、家の人間、それもよく知らない相手がいるというのは少し気まずい。彼女の様子を伺うと、木でできた器に酒を注がれて楽しそうにしていた。上品とは言い難い雰囲気だったけれど、こういった場がそんなに嫌いではないのかもしれない。
 誰かに背を押されて席を立つ。ジェラルトの声が聞こえた。
「いいかアンタ、真面目なのはダメだぞ。くだらねえやつにしとけ!」
「楽しい感じがいいってことですか?」
「そうだ、楽しーい感じで頼む」
 最後の指示がこれかと思って笑う。
 左手の具合を確かめながら部屋の真ん中まで進んだ。万全ではないけれど軽く動かす程度なら支障ないだろう。お辞儀をすると歓声と野次の中間みたいな声が方々から上がる。何を披露してやろうかと考えながら、つま先で床を打った。
 楽しいなら三拍。
 ゆっくりなのはダメだ。
 跳ねるようにリズムをとって、
 廻る。
 薄暗い室内、暖炉で燃える炎の橙。
 もっと廻る。
 歓声と手拍子、酔った赤い顔、笑っている顔。
 ずっと廻る。
 音楽が聴こえる。
 それは僕の中からかもしれないし、誰かの笛の音かもしれない。
 誰かが歌っている。
 春の祝祭の歌。
 種を蒔こう、畝の間をぬって
 種を蒔こう、丘を下って
 歓びの春に種を蒔こう――
 なんて季節外れの歌だろう。けれど、本当はこういう歌が好きだ。奇跡を願ったり、救いや許しを乞うよりずっと。つま先立ちで延々廻っていたいと思うのはこういう音。
 視界に光がちらつく。
 あれはなんだろう。
 薪から爆ぜた炎の塵?それとも蝋燭の灯り?
 目を細める。
 あれは二つの目。ずっとこちらだけを見ている。その光。
 微かに開いた口元と橙の灯に照らされた赤い頬。
 あの表情を知っている。
 僕は彼女の名前を呼んだ。
 手を差し出す。
「踊ろう」
 視線の先、彼女は眼を見開いて、一拍、微笑んで、二拍、僕の手を取った。これで三拍。
 また、初めから廻る。握った手を引いた。
「どうしてここにいるの?」
 顔を寄せて囁く。
「お仕えしたい方がいたので……いけませんでしたか?」
「いけないでしょうよ……」
「どうして?」
 彼女が首を傾げる。
「もっといい就職先が沢山あったはずだ。あなたにはそれが選べた」
「だから、選びました」
「……村の人たちはどうするの」
「大丈夫、応援してくれましたから」
 彼女は目を細めて僕を見る。それは穏やかな微笑みに見えたけれど、なにか、僕が今更あがいてみても取り付く島のないような、揺るがなさを感じた。円の曲面みたいに、綺麗だけど掴めるところがなくて、優しそうに見えてその反面もっとも頑固で、もうどうにもならない人の顔。
 以前には見せなかった顔ばかりするから、本当に知らない人のようだった。
 四年前、修道院に来たばかりの頃、夜のテラスで彼女に会った。ひどく切迫した表情で、踊り方を教えて欲しいと頼まれた。あの時の彼女は士官学校の生徒で、たしか、そう……白鷺杯という舞踊の大会でどうしても勝ちたいと言っていた。
 士官学校に通う事情は人によって様々で、貴族の子であれば、鍛錬や勉学なんて二の次で、自身と他の家をどう結びつけるかという政治のために在籍している者もいるし、平民の子であれば、自身の属する村や町の将来をかけて送り出されてきた者もいる。
 彼女は後者で、身を立てるための功績をとにかく求めているようだった。多分それがそのまま、彼女の村の存続に関わっていたのだろう。
 随分と面倒で重たい身の上だと思う。
 気まぐれだったのか何なのか、あの時、僕は彼女に頷いて返した。それで、しばらく練習に付き合った。ほんの一週間か二週間くらいだったと思う。
 なぜ頼みを聞く気になったのか、思い返すと不思議だ。四年前の自分のことはよく覚えている。覚えていられるくらい、大体いつも似たような気分だった。片足が膝まで泥に埋まっていて、自力では引き抜けないような、不快で不自由で惨めな気分。
 だから、そう。過去の僕は他人のことなんてどうでも良かったはずなのに、どうして頷いたのだろう。それとも、どうでも良かったから、頷けたのか。
「最善じゃないよね」
「最良ですよ」
「……もう決めてしまったの?」
「ずっと前から決めています」
 また歓声が上がり、皆んなが知っているような知らないような歌を歌う。歌詞や音をどこかに忘れてきたみたいな、適当な歌。でも、適当だからこんなに自由に歌えるのかな。
 その日の宴会は夜遅くまで続いた。


 次の日の朝、宿場町を発つことになった。支度をして外に出るとジェラルトたちも出発するようで、厩舎から馬を引き出している。
「よお、あんた。まだ眠そうだな」ジェラルトが手を上げて言った。
「ええ、おかげさまで……団長は元気そうですね」
「俺は酒飲んだ次の日のほうが調子がいいんだよ」
 ジェラルトは陽気に笑っているが、彼の背後に若干青い顔をした騎士たちが混ざっているのが気がかりだ。自分だったらあの状態で馬には乗りたくない。
「ノモスの街に寄っていきます?」
 王国に観光に来たわけではないから、行程的に厳しいだろうが、とりあえず声をかけてみた。随分世話になったのだから、このくらいの気遣いはあってもいいだろう。
「ああ、こうなっちまうとはなあ」
 ジェラルトは顎の髭を撫でながら眼を細める。何やら思案しているふうだった。
「あんたのところは確か湯治場があるんだったか。酒飲んで風呂浸かって……飲ん兵衛にとっちゃ天国だな」
「一応治療目的なので、そんな自堕落に過ごす人はよっぽどいないですけど……よく知っていますね」
「そりゃあ、俺は昔王国の……ああ、いや、依頼でな、随分前だが立ち寄ったことがある。クソ寒いがなかなか悪くねえ街だった。飯が美味けりゃもっといいが」
 ジェラルトは何かを思い出すように眼を閉じていた。かつて訪れたらしい街のことか、それとも食事の味のことか、定かではないけれど、いずれにしても、概ね同意できるなと思って頷いた。
 その後、仕事じゃなければなあ、と終始ぼやきながらジェラルトたちは出発して行った。彼らはここからさらに西へ進むらしい。西方教会の本山や帝国との国境へ近づく方角だけど、行き先は聞かなかった。おそらく聞いても教えてはくれなかっただろう。
「お嬢様、私たちもそろそろ出発しましょう」
 呼ばれた声に振り返る。旅支度に身を包んだ彼女が馬を引いてやってきた。
「あのさ、お嬢様って柄でもないんだけど……」
「いえ、今の私はノモス家にお仕えする侍女ですので」
「以前はもっと気安かった」
「でも、今のお嬢様はお嬢様ですので」
「なんというか、その、やり難いのだけど……」
「そのうち慣れます!大丈夫ですよ」
 僕に手綱を握らせると、彼女はもう一頭の馬の背に跨る。進む先には街の門があって、それはジェラルトたちが向かった先とは逆方向だ。あちらの門を越えて東に進むと、やがて街道はタルティーン平野や王都へ続く峠道、それからダスカー半島に向かって北上する道に分かれることになる。
 後を追って馬に乗ると、北の空に実家のある山がぼんやり見えた。陽光で霞む山頂はくすんだ青銅色で、裾野や手前の低い山々は鮮やかな赤銅色。標高が上がるにつれて針葉樹が増えるから実家の山は薄寒い色に見える。もう少し近づけば、靄が晴れて山肌の茶色やほとんど黒色みたいな針葉樹の緑が見えるだろう。
「霜が降りる前に着きたいね」
「ええ、これからもっと寒くなりますから、急いで帰らないと冬支度に間に合いません」
 ファーガスの冬は気が早いから、こちらも早足で進まないとすぐ追いつかれてしまう。特にここ数年は温かい場所に居座っていたから、今年の冬は堪えるだろう。彼女の言うように、早く帰って寒さに備えたほうがいい。
 馬の歩調を少しだけ早める。風が吹いて、冷たく乾いた空気が通り抜けていく。次に春の歌を歌うのは随分先になるだろうと思った。


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