ロドリグ殿の死がディミトリに何をもたらしたのか、正確なところはよくわからない。しかし、大聖堂で話をした夜を境に、彼の振る舞いは大きく変わった。仲間たちと話をするようになったし、食事もきちんと摂るようになったから、その点はよかったと思う。
 きっと、抱え続けてきたものの納め先がやっと見つかったのだろう。それはもしかしたら暗い書庫に灯が灯されたということかもしれないし、窓から月明かりが差したということかもしれない。いずれにせよ、ディミトリはどうせ何も手放せはしないだろうから、灯なら延々灯り続けるし、月なら一生浮かび続ける。それが良いことなのかどうかは、彼自身が決めるだろう。
 元々、生きてさえいてくれれば、特にこれといった文句はなかった。だから帝都を目指すでも王都を目指すでも、どちらでも構わなかったけれど、彼は王都を目指すことに決めたらしい。
 王都にはあまり良い思い出がないから、少しだけ憂鬱になった。それだけ。


 王都に着く頃になるとあまり調子が良くなくて、人の話を聞いても、ほとんどの言葉は頭の中で空転して、どこかに消えていくようだった。けれど最近は調子の良いことの方が稀だったし、修道院からそれなりに長い行程であったから、仕方がないかなとも思う。剣を振り回して走っていられるだけ、上等だろう。
 王城でコルネリアに対峙した時もそんな調子であったから、何を言われたのかほとんど覚えていない。元々この女だけは殺そうと決めていたから、それでも全く問題なかった。強いていえば、ただ突っ立っていると寝てしまいそうで、早く踊りたかった。
 切先を揺らす僕の横で、ディミトリの方がよほど怒っていて、その言葉もやはり曖昧なのだけれど、急に怒鳴るからとても驚いて、その横顔だけはぼんやりと記憶に残った。


 戦いが終結した。剣を納めて息をつくと、立っているかどうか定かでないくらい頭が重くて、一刻も早く眠りたかった。なんならもう寝ているのかもしれないとすら思う。
 いつの間にか辺りは薄暗くなっていて、王城の広間に西日が差し込む。窓枠の形に切り取られた光が等間隔に床へ落ちて、金色の飛び石みたいだった。
 ディミトリの背中が見える。彼はギルベルトとベレトに促され、ゆっくりと飛び石を渡っていく。その先には城下に向かって開かれたテラスがあった。
 斜陽と影の境をディミトリが踏み越えると、わっと空気が震えた。歓声が波のように広がって、それが耳に届くたび頭が揺れた。
 誰かが僕の肩を掴む。
 見上げるとドゥドゥーが立っていた。こちらを見下ろす視線に目を合わせて頷き返す。ドゥドゥーは僕の顔をじっと眺めてから、また前を向いた。肩を支えられたまま辺りを見渡すと仲間たちの誰も彼もがみんな前を向いていた。
 同じように目を向けるとまた横顔が見える。
ベレトに何事か言葉を返す彼の頬は濡れていた。それを見て、けれど困るとは思わなかった。
 よかった。
 何もかも手放せること、何も手放せないこと、それは全く違うことなのかもしれないけれど、どちらかでなければいけないなんてことはなかった。
 どちらでも、よかったのだ。


 王都を取り返して早々、次は同盟領に向かうらしく修道院に蜻蛉返りすることになった。
 戻りの馬車に揺られている時、ディミトリがお墓参りに行ったと話してくれた。それで、メルセデスが両親たちの墓を立ててくれたことを思い出す。
 両親も僕の侍女であった彼女も、姿こそないけれど、しかし、それだけのことだったから、長らくお墓というものに頓着することはなかった。
 どういう経緯でメルセデスがそれを知ることになったのか、今となっては記憶にないけれど、「それでもお墓がないのは悲しいわ」と言われたことは覚えている。そういうものだろうか?という疑問が頭の片隅に引っかかっていて、そのせいで覚えていられたのかもしれない。
 メルセデスに連れられて、石工の工房に行った。そこで思い出せる限りの名前を書き連ねると、彼女はその通りの文字が彫られた石を用意してくれた。
 メルセデスから見た僕には、きっとそれが必要に思えたのだろう。けれど、石を見返さなくても名前くらいは覚えておくことができたから、いつの間にか彼女の気遣いごとを記憶の隅に追いやってしまっていた。
 せっかく思い出したのだから花くらい供えたほうがいいのかもしれない。何かが変わるわけではないけれど、それは花を供えずとも同じだから、気まぐれに従っても構わないだろう。


 修道院について温室に向かうと、ちょうど花冠の節で、管理人曰く目ぼしい花は在庫切れとのことだった。
「ええ!?」
 背後から不満の声が聞こえる。
 振り返ると少女が二人、僕と管理人とを見上げていた。
「お花もうないんですか?」
「花冠作れないの?」
 見下ろす二人はすっかりしょげ返ってしまい、管理人は申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
 少女の肩を指でつつく。
 花なら別に温室でなくても咲いているだろう。城壁の外、田園の囲いに野薔薇が植えられていた気がするし、休耕地もある。家畜を放牧する前の場所を選べば好きなだけ花が摘めるだろう。
 顔を上げた少女たちを手招く。管理人に剪定鋏を借りて門へ向かった。


 外に出ると思ったよりも花がたくさん咲いていて、ちょっとした花畑のようであった。
「痛い!」
「ちょっと、気をつけなよ……」
 聞こえた声に顔を向けると、野薔薇を摘んでいた一人が棘に触れたようで指先から血を滲ませていた。
 そばによって治癒魔法をかける。危なっかしいからそのまま横で様子を見ていた。
「お姉ちゃん、この次ってどうするの?」
 茎の柔らかい花を編んでいたもう一人が出来掛けの輪を持ってくる。輪の末端や飛び出した茎を指で示したり、動作をなぞったりしてみたけれど、首を傾げられた。どうしたものか……。
「ここにひっかけるってことですか?」
 花を積んでいた方の少女が参戦して、作りかけの花冠を指差す。彼女の手つきは頭の中にあった動作とほとんど同じだったから頷いて返した。
 そんなことをしばらく繰り返して、いくつかの花冠が完成した。
「やったよお姉ちゃん!」
「出来ました!」
 掲げられた輪を眺めて頷く。初めは覚束ない手つきだったのにうまく作るものだなと思う。
「お姉ちゃんに一個あげるね!」
 少女たちが跳ねるように立ち上がり、花冠を僕の頭の上に載せた。嬉しそうであったから、笑って返した。
「早く渡しに行きましょう!」
「うん!行こう、行こう!」
 二人はすぐにでも駆け出しそうな勢いであったから、促すように手を振った。案の定、少女たちは礼を告げるのとほぼ同時に走り出す。耳に届いた声は弾んで揺れた。
 こちらに手を振りながら駆けていく姿はすぐ小さくなって、遠くに見える門の中へ消える。
 背後から温い風が吹いて、花畑を振り返った。
 白い花が揺れて、花よりもいくらかくすんだ色の雲が空の大半を埋めている。雲間から青い空と陽光の筋が見えた。
 当初の目的とは違うけれど、そう悪いものでもない。だから、もう少し、休んでから帰ろう。
 頭の中でつぶやいて、目を細める。咳が出た。


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