同盟領デアドラへの出陣を控えたある日、子供達から花冠を貰った。
「王様、元気になってよかったね!」俺に花冠を差し出しながら少女が言った。「早く戦争終わらせてね!」
 翳りのない笑みを向けられて、少し面食らう。俺が散々周囲にかけてきた迷惑を、元気がなかったと形容されるとは思わなかったし、軽やかに告げられた願いはあまりにも切実であった。
 戦火によって親や行き場をなくした子供を教会が保護している。目の前の少女たちもその一部だろう。五年前の開戦以来、終わらない戦いによってその数は今なお増え続けている。
 だからこそ、彼女たちの言葉は無邪気さに任せて放り投げたものではないと思う。確実に何かを損なっていて、心の底から戦いが終わればいいと祈っている。一心に、それこそ小さな体の頭からつま先までそんな願いが詰まっているだろう。
「これは、その……俺が貰ってもいいのか?」
 もっと、これを受け取るのに相応しい者がいるのではないか。そう思って、花冠にそっと指を添わせた。万が一にでも力加減を誤るわけにはいかないから、ひどく緊張した。
「貰ってもらわないと困ります……せっかく作ったのに」
「もう一個あげてもいいよ!」
 少女たちが言った。
「え、それはダメ……先生にあげようねって言ったでしょう?」
「あ、そうか。王様、ごめんね。一個だけだった」
 戯れ合うように言葉を重ねる。つい、笑ってしまった。
「ああ、こんな素晴らしい贈り物を独り占めするわけにはいかないから、ぜひ先生にも渡してやってほしい。きっと喜ぶ」
 手の中の花冠を見下ろす。
 見方を変えれば、あらゆる痛みを残しながら、それでも帝国が覇道を敷くことによって戦火は収束しかけていた。ほんの半年ほど前の話だ。
 それを是とせず、また火を灯そうとした。今も、そうしている。帝国の行いが許せないから仕方がない、などと嘯く気はない。それは欺瞞だ。
 誰もが正しいと誉めそやすものがあったとして、それでも潰されてしまうものがある。その痛みや罪は背負っていかなければならない。
 けれど、それだけではないのだろう。気遣いや願いを掛けられるように、きっとどんな行いにも功罪がある。罪だけを背負うことはできないし、輝かしさだけを見つめ続けるわけにもいかないのだ。
「ありがとう……本当によく出来ている。器用なものだな」
「お姉ちゃんに教えてもらったんですよ」
 先生に渡す分だろう花冠を抱えた少女が言う。
「お姉ちゃん?」
「うん、おしゃべり好きじゃないお姉ちゃん!」
 二人の語る人物に思い当たって、目を細めた。
「その人は……頼めば俺にも、作り方を教えてくれるだろうか」
「わかんない!まだお花畑にいれば教えてくれるかも?」
「お願いすれば大丈夫だと思いますよ」
「……そうか、それなら頼んでみるとするよ」
 俺が頷くと、二人は手を振って走っていった。転ばなければいいと思う。


 城壁を抜けた先、少女たちが話していた花畑にステイシアの姿があった。
 なだらかに下がっていく地面を下草が埋め、その合間で小さな白い花が揺れている。少し先には野薔薇の茂みが見えた。
 空にはふっくらとした雲がいくつも浮かび、その合間から光が漏れている。
 草地の中に座ってこちらに背を向ける彼女は、それらをじっと眺めているようだった。
 わずかに湿気をはらんだ風が吹き抜けるたび、彼女の髪が光を透かしてふわふわと揺れる。それを抑えるようにして、頭に花冠が載っていた。
 なんだ、と思う。
 もう贈られていたのか。先を越されてしまった。
 一抹の悔しさを覚えながら足を進める。だいぶ背中が近づいてきて、もう直ぐつむじが見えそうだった。
 声をかけようとした時、湿っぽい咳の音がした。
 彼女の肩が揺れて、背中が丸まる。
 背後に立った。
 見下ろすと、彼女の膝あたりで揺れていた花に雫が落ちる。その重みで花の首が折れた。茎とその先の萼、花弁の裏側が見える。
 濡れている。
 赤い。
「……ステイシア」
 名前を呼ぶと、目が合った。
 虚ろな眼。
 口元、それを抑えたであろう右手が赤く染まっていた。


 どこをどう走ったのか覚えていない。
 医務室の戸を殴りつけてマヌエラに叱られた。肩を怒らせて歩いてくる彼女は俺の腕の中にあるものに気づくと、眉を跳ね上げ、そのまま俺の脇を通り過ぎた。閉じるものをなくして開け放たれるだけになった戸口から廊下へその姿が消えて、誰かに鋭く指示を飛ばす声が聞こえる。
「ディミトリ!ぼうっとしてないでその子を寝台に運びなさい、早く!」
 戸口から一度だけ、こちらに顔を覗かせてマヌエラが言った。
 しばらくすると修道士たちが集まってきて、彼らと入れ替わりに部屋を出た。彼女を運ぶ以外、あの部屋で俺にできることはなく、そのくせ床を占有し続けるわけにはいかなかった。修道院の医務室はそこまで広くない。修道士でも医者でも誰でもいい、いくらだって場所を譲るから、とにかく彼女を助けて欲しかった。
 その後も戸口を慌ただしく人々が出入りする。廊下の端に突っ立ってそれを眺めていた。
 そのうちにメルセデスが走ってきて、俺に気づくと足を止めた。
「ディミトリ、大丈夫よ。今度こそきっと治してみせるわ〜」
 俺にそう言って、メルセデスが医務室の中に消えた。
 またしばらくして、気づくと辺りは静かになっていた。一人また一人と医務室から修道士たちが去っていく。最後、メルセデスも俺を部屋へ招いてから去っていった。
 部屋に入るとマヌエラが寝台の横に腰掛けていた。近付くと、彼女は椅子を俺に譲る。
「ひとまず落ち着いたから……でもまだ起こしては駄目よ」
 そう告げるマヌエラの視線の先、寝台の上でステイシアが眠っている。枕元には彼女の花冠が置かれていた。どちらもあまりに白いから、嫌な気分になった。
「わたくし、横で少し休むから、戻る時に声をかけて」
 マヌエラはそれだけ言うと、二台並んだ寝台のうち、もう一つに乗り上げて、カーテンを閉じた。
 椅子に座っていると寝息が聞こえてくる。
 目の前で横になった彼女の胸もかすかに上下していた。
 ステイシアを医務室に担ぎ込んだのはこれで三度目だ。一度目は脂汗を浮かべて意識がなかった。二度目は濡れた体が冷たかった。あの時は俺の早とちりで彼女は無事であったし、なんならひどく居心地の悪そうな顔をしていた。
 三度目は白い顔をして、赤、赤が映えて……ああ……。
 寝台の上には彼女の腕が投げ出されている。中身のないまま萎びている左袖を握った。
 かつてこれを手折った時に、もう二度と触れられない、触れてはいけないと思った。
 何度も何度も、馬鹿みたいに戻ってくるものだから、いつの間にかすっかり忘れていた。
 九年前、ダスカーで損なったと思っていたのに、走って帰ってきた。四年前、秋に踏み躙ったものは、無茶苦茶な言い分で清算された。何も釣り合わないのに、あいこにしようなど、そんな可笑しな話があるものか。
 あの橋を渡った時もそうだ。嘘みたいな話ばかり……。
 この五年、彼女は戻らず、もう死んだものとすっかり諦めていた。それなのにまた、ここにいる。
 アリルの谷に現れた時、フェリクスが帰れと怒鳴っていた。その通りだったろう。犬だって、褒美がないとわかればそのうちに寄ってこなくなるというのに、なぜこうも戻ってくるのか。
 色々なものをどこかに落として、血反吐を吐いて。
 空の袖を額に押し付けて目を閉じる。
 この左手だって、俺にくれると言ったのに、一体どこに落としてきたのか……。
「まだあるよ」
 声が聞こえた気がした。
 目を開けるとステイシアが眠そうな顔で俺を眺めている。口元は閉ざされたままだった。
「ステイシア……!よかった、目が覚めて。具合はどうだ?どこか、苦しいところはないか?」
 情けないことに、幻聴を聞いて焦った。取り繕うように、つい捲し立ててしまう。彼女は俺の勢いに驚いたのか、少しだけ瞼を押し上げて辺りをゆっくりと見渡した。何が起きているのかわかっていないのかも知れない。
「外で倒れたんだ、覚えていないのか?」
 しばらくの間、彼女は記憶を探っているようだったが、結局思い当たるものがないのか、こちらを見返して頷いた。
「そうか……とにかく、もう無茶はしないでくれ。お前までいなくなったら、俺は……」
 目を伏せると握り込んでしまった彼女の服に深い皺が寄っていた。掴めたと思ったのに、それでも手からこぼれ落ちていくものは、どうすれば掬えるのだろう。
 きしり、と寝台の揺れる音がして、顔を上げた。
 ステイシアが身を捩って枕元の花冠を掴み、そのまま俺の頭に載せる。
 唖然としていると、彼女は一仕事終えたような様子でまた枕に頭を戻し、こちらを眺めた。ふっと息をつく口元はかすかに弧を描いていた。
 とろとろと瞼が下がり、やがて寝息が聞こえてくる。
 そうだったな、と思う。
 こいつが酷いやつだということをすっかり忘れていた。
 嘘みたいな約束をした。出鱈目を本当にするのに、一体、どれほどのものを賭けるつもりでいるのか。何をどうしたら大人しくしていてくれるのか、誰か教えて欲しかった。
 身を屈めて、人の気も知らずに眠る額に口付けを落とす。薬と、かすかに花のような甘い匂いがした。


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