◎十三雫目


『チッ混んでる時間に来ちまったな。』
『うむ。』
『じゃあプールの方使わせてもらおうぜ。もう終わってるだろうし。』

ん?なんだこれは。
自分がしゃべっているし動いているのに意識は別にあるような感覚。
夢なのか?

『尽八遅いから後な。』
『なに!?』
『お先にィ。』

アイツら置いていきやがって…。
ん?なんかプールの方から音がするな。まだ泳いでるのか?
プールを覗くとそこには、

『人魚だ…。』

苗字さんがいた。
でもオレが知っている出会い方じゃない。
どういうことなんだ?

『どうかしたんですか?』

ボーッとしていたらしく苗字さんが目の前にいた。
思わず飛び退く。

『な、なんでもないぞ!居残って練習とは感心だなぁ!』
『そんなんじゃないですよ。私はただ泳ぐのが好きなんです。』

それは初めての笑顔だった。
いつもは淡々と話し感情もあまり見られない子だったからこんな風に笑うなんて知らなかった。
あぁ、オレはまだ苗字さんが好きなんだな。
フられたのにまた新しい表情が見れて嬉しい、なんて。

『尽八ー。』
『置いてくぞー。』
『す、すまない!今行く!ではまたな、えーっと…』
『苗字名前です東堂先輩。』
『!!そうか、ではまたな苗字名前
!』

そして場面が突然変わる。
オレはなぜかプールサイドにいて苗字さんと言い合っている。

『だから言ったではないか!練習を見に来いと!』
『誰も行くなんて行ってません!私も練習があるんです!』
『休息日があるだろう!』
『休みも泳いでます!』
『それでは休みの意味がないではないか!』

おいオレ! 苗字さんにそんなきつく言うな!
だが苗字さんもこんなにはっきり言うのだな…。それともこれは夢だからだろうか。

『なんでそんなに私に来てほしいんですか!ファンがいっぱい来てるんでしょう?!』
『お前がいいからだ!』
『なんで!』
『お前じゃなきゃ駄目なんだよ苗字名前!』

苗字さんはぽかんとしてからみるみるうちに顔を真っ赤にして俯いた。
それを見てオレもずいぶん恥ずかしいことを言ったことに気づいたのか顔が熱くなる。
そうか、このオレも苗字さんが好きなのか。

『し、仕方ないですね。』
『は?』
『仕方ないから今度の休みは見に行ってあげますよ!』

苗字さんは真っ赤な顔でニヤリと笑った。
これでは好きだと言っているようなものではないか。
このオレは、ずるい。
鏡がないので見えないが絶対嬉しそうに笑っているだろう。

また場面が変わる。
オレはお得意のポーズをして苗字さんの前に立っている。

『苗字名前!オレの彼女になれ!』

告白でそれはないだろう!
でもオレがテンパっているのが分かる。
きっとオレのことだからいろいろ練習してきたに違いない。本番はそういうものだ。
苗字さんからの返事がなくて狼狽える。

『駄目、なのか…?!』

すると苗字さんはニヤリと笑った。

『私は自信満々でナルシストでムカつく先輩が、大好きです!』
『!!オレも大好きだぞ名前!』

オレの夢は現実では実現してくれなかったことをしてくれた。
でもそれは所詮夢だ。虚しさと悲しみと苦しみしか生まれない。
その時急に頭痛が襲う。頭が割れるように痛い。
なんだよこれ…。
オレが痛みに耐えているにも夢は待ってくれず場面は移り変わる。

『先輩、私達少し距離を起きましょう。』
『なぜだ!?』

雰囲気からして付き合ってからさほど時間は経っていないはず。
それなのにどうして別れ話になってしまったのか。
そんなにうまくいっていなかったのか?

『私、大会前なんです。もっと練習しなきゃ。先輩にかまってる暇、ないです。それに先輩には私がいなくても他の女の子がいるじゃないですか!そっちにかまってもらえばいいじゃないですか!』
『お前、何言ってるんだ?』

それは嫉妬というものではないのか。
オレは嬉しいのかにやけそうになるのを必死に押さえる。

『そういうことですのでじゃあ。』
『待て名前!話を聞け!』

立ち去ろうとする名前の腕を慌てて取る。
違う!ちゃんと話をすれば分かってくれる!
だから話を聞いてくれ!
あれ、いつの間にオレは夢の自分と自分を混同させていた?

『うるさい!』

思い切り腕を払われた反動で身体が宙に浮く。

『え?』

これはヤバい!
体勢を立て直そうとするが頭に衝撃が走る。
そのまま意識はブラックアウトしていく。

『先輩!』

プールに落ちたのか息苦しい気もしたが最後に見た名前の泣いた顔の方がもっと苦しかった。

気がつくとオレは病院のベッドの上だった。
この光景は見覚えがある。
練習で落車し頭を打って軽い脳震盪を起こし1日だけ病院にいたときだ。
それがなぜ今夢に出てくるのか。
ノックの音が来訪者を告げる。

『おぉ!よく来てくれたな!わざわざありがとう!』

新開と荒北、そしてファンの子が…。

『本当にごめんなさい。』
『ん?なぜ君が謝る。心配しなくてもオレはすぐ復帰するからその時はぜひ応援に来てくれ!』

……どうして名前なのだ。そしてオレはなぜ気づかない。

『尽八、お前まだ混乱してんのか?』
『ん?そんなことはないぞ。』
『じゃあ、なんでコイツのこと覚えてないんだよ。』

新開と荒北も動揺しているではないか。
冗談だろ?
なぁ、嘘だと言ってくれ。
これではまるで、

『………? すまない。君は一つ下だろう。入ってきたばかりのファンはまだ覚え切れていないんだ。』

オレの記憶ではないか。

『おい尽八。いくら怒ってるからってその冗談は笑えないぜ?』
『冗談?なんの話だ。』
『………東堂、テメェこの前誰かと付き合うとか自慢気に言ってなかったっけェ。』
『何を言っている!オレにはファンがいるからな!誰かのものにはならんよ!』
『………新開、医者呼んでこい。』
『あ、あぁ分かった。』

この時のオレは内容を全く理解出来ていなかったがそうか、

「そういうことだったのか…。」
「気がついたのか尽八!」

夢から覚めるとまたも病室だった。
横を見ると隼人の安堵した顔が目に入る。

「また心配をかけてしまったな。」

謝ると無事ならいいさと笑ってくれるがそうじゃない。
この一年間のことだ。
そう言うと隼人は目を見開く。

「記憶が、戻ったのか?」
「あぁ。思い出したよ、名前のこと全部。」

どんなことを言われようと謝りに行かなければ。
人魚姫はこんな愚かな王子を許してくれるだろうか。



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