通りすがりの主婦は見た!
「伊智子。どうしたんですか、こんなところで」
「えっと…たまたま通りかかったんです。買い物の途中で」
伊智子はとっさに言い訳を思いつき、エコバッグを掲げた。
「そうなのですか…」
「蘭丸さん、今日はバイトはいってますか?せっかくだし、一緒に行きませんか?」
「……ええ」
二人はしばらく下校中の学生でにぎわう通学路を並んで歩く。その間、会話はない。
そのうち住宅街を抜け、商店やビルが多くなってきて学生の姿はなくなっていく。
周りが静かになったそのタイミングで、伊智子は蘭丸に声をかけた。
「…あの。蘭丸さん」
「……なんですか?」
「…ごめんなさい。さっきの…見てしまいました…」
「…さ、っきの、とは…」
蘭丸は明らかに動揺している様子だった。
伊智子は言っていいのかどうか数秒迷って口を開けたり閉めたりしていたが、やがて意を決したように蘭丸に向き直った。
「校門のところで…話していたのは、お友達ですか?」
「……っ、」
蘭丸はハッとしたように伊智子の目を見つめ、苦しそうな表情をして目を逸らす。
返答はなかったが、それはつまり肯定しているのと同じだった。
予想どうりの結果に、伊智子は心臓がギュウッとなる想いだった。
「…あの、もし、あの子たちが友達だったらごめんなさい。でも、遠くから見てたときの蘭丸さんの顔がとても…つらそうに見えて」
蘭丸はふと瞼を伏せる。長い睫が白い肌に影を落とし、ふるふると震えていた。
その様子に伊智子は我慢できなくなって、蘭丸の手をひっしと掴んだ。
「良いことを言われているかんじがしなかったから…!あの…学校はつらくはないですか?」
「…つらくなど…ありませんよ…」
蘭丸はゆっくりと伊智子と目を合わせた。
「…じゃあ、なんでそんな…」
蘭丸の大きな黒目に伊智子の顔が写りこんでいる。自分でも見たこともないような必死な顔だった。
「そんな泣きそうな顔をしてるんですか…!!」
「……っ!」
そう言うと、蘭丸はぽろり、と大きな涙をこぼしてしまう。
堰を切ったようにぼろぼろと溢れる涙を止められない蘭丸は、その場に立ち竦んで動けなくなってしまった。
「うっ、うう……ううう…」
「ら、蘭丸さん…!」
嗚咽を漏らして両手で顔を覆う蘭丸を、通りすがりの主婦に見られたし、おまけに目まで合ってしまった。
まずい。
非常にまずい。
このままだと事案になってしまう可能性が高い。
伊智子は蘭丸の肩をポンポンと叩き、すぐそこの公園を指差した。
「ちょ、ちょっと、そこの公園で休みましょう、ねっ」
「っ、ですが、時間が…」
蘭丸が時刻を理由にうろたえる。
確かに今は始業までギリギリの時間だ。ここでモタつけば遅刻はまぬがれない。遅刻者にはきつい小言が待っている…。
それでも…
「で、でも、そんな顔してる蘭丸さんを仕事に連れていけません!」
「伊智子…」
「私も一緒に怒られますから!」
もう一度ほろり、と大きな雫をこぼした蘭丸は控えめにコクリと頷いてくれた。
公園は遊具のあるほうに数人の親子連れがいるだけで、比較的がらんとしていた。
なるべく人の目が届かなさそうなベンチに2人で腰掛ける。
「……あの者たちは同級生なのですが…いつからか、あのような態度をとるようになったのです」
蘭丸は、伊智子が渡した濡れハンカチをそっと目元に押し当てながら言った。
自販機で買った冷たい水を手渡しながら、伊智子は信じられない、と呟いた。
「なんで、そんな…」
わかりません…。と首を横に振る蘭丸はまた涙をポロポロとこぼした。
「…蘭のほうが学年成績が良いことが原因だと…耳にしましたが…」
「そんな!」
蘭丸は夜遅くまでバイトをして、それから家に帰ってもきちんと毎日勉強をしているという。
蘭丸の成績は努力のたまものだ。ねたむ理由にされちゃたまったものではない。
「蘭も最初は気にしないように徹したり、言い返していました。ですが、あのように強く攻められると、心が抉られる様な感覚になって…結局…どうしていいかわからなくなるのです…」
「蘭丸さん…」
伊智子も中学生の時、同級生の女の子に嫌なことを言われたことがある。
それは今思えばとても些細なことだけれど、複数で来られると何も言えなくなるし、すごく悲しい気持ちになるのだ。
だから、今の蘭丸の気持ちはすごく良く分かる。
「伊智子、蘭はどうすれば……」
蘭丸は完全に弱っていて、すがるような目で伊智子を見た。
「…蘭丸さん…」
織田高はアルバイトが原則禁止だ。
しかし蘭丸は、社会勉強のためということで特別に許可されている。
許可の条件もとても厳しく、学校生活に影響させないのはもちろん、良い成績を維持することは当然だ。
夜遅くまでのバイトに、成績の維持。それがどんなに大変なことか、伊智子にだってわかる。
それなのに、成績で勝てないからってあんな行動をするなんて。
伊智子は、怒りで顔がカッと熱くなるのがわかった。
「蘭丸さんが悩む必要はどこにもありません!蘭丸さんは、そのままでいいんです…っ!」
「伊智子…」
伊智子は我慢できずに蘭丸の体をギュッと抱き締めた。
あまり背丈は変わらないはずなのに、抱き締めた体は固く、男の子の体だった。
いつもクリニックで色々なことを教えてくれる、頼りになる先輩。
しっかり者の蘭丸が、こんなに弱っているなんて…。普段からは想像もできないことだった。
「…わ、私、その子のところに行って、普段蘭丸さんがどれだけ頑張ってるか、大変か、教えてあげたい…自分のしていることがどれだけ幼稚でくだらないか、教えてあげたい…」
「伊智子…」
なんだか喋っているうちに、伊智子の方まで泣きそうになってくる。
伊智子のふるえる声を、蘭丸は静かに聴いてくれていた。
「蘭丸さんは頑張ってる…頑張ってるよ。誰にも文句は言わせません…っ」
「伊智子…ありがとうございます…」
伊智子の服の裾をキュッと握った蘭丸が、そっと体重を預けてくる。
その体が小刻みに震えていることに気がついて、伊智子は更に強く、蘭丸の体を抱き締めた。
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