三成は睨んだ!
その後ようやく蘭丸が落ち着いたのでクリニックに向かった。
泣きはらした目はどうしようもない。ギリギリまで氷水で冷やしてもらおうか…。
そんなことを思いながらクリニックのエントランスを通ると、なんと仁王立ちした三成が立ちふさがっていた。
「げっ!!」
「げっとは何だ、伊智子。…蘭丸。重役出勤とは、お前も偉くなったものだな」
三成はなおも厳しい表情で伊智子と蘭丸を睨んでいる。時計を確認すると出勤時間を5分ほどオーバーしていた。
蘭丸は隣で「申し訳ありません……」と消えそうな声で謝っている。
遅刻は確かによくないけれど、5分遅れたくらいでそんな鬼のような顔しなくたって…!
「誰が鬼だ」
「く、口に出してないのに…!」
もうやだこの人怖い。
今度は伊智子が泣きそうになっていると、三成は視線を隣の蘭丸だけにしぼった。
蘭丸は伊智子の隣で申し訳なさそうに縮こまっている。いつもの様子とは大違いだ。
「…蘭丸。今日はもう帰れ」
「え…っ!そんな、蘭は働けます!」
蘭丸はこの世の終わりのような顔をして三成にすがった。
働かせてください、と悲痛な声をあげる蘭丸に、三成は表情を変えず言い放つ。
「今のお前に店に立たれても迷惑だ、というのがわからんか」
「み…三成殿…!蘭は…蘭は…」
三成の上着を掴んでいた手が力なく下ろされる。
泣きはらした目に、ふたたび涙がじわりと溜まる。
さすがに見ていられなくなって、伊智子が口を開いたその瞬間――。
「ちょっと、石田さ……」
「おや、お三方。こんな時間に揃ってどうかしたんですかい」
「廊下の向こうまで声が響いてたよ」
「おい三成、てめえ若い奴いじめてんじゃねえよ」
「!」
三成の背後から、左近、凌統、甘寧の3人がやってきた。
甘寧から「若い奴をいじめてる」と評された三成は、わずかにたじろいだ。
「な、俺は別に…いじめてなど…」
「左近殿…、凌統殿、甘寧殿……」
なおも絶望した様子の蘭丸に、状況を察した凌統が三成の肩をずいと押しのけて優しい声色で言った。
「蘭丸。三成はアンタのこといらないなんて思ってないっての。だからそんな今すぐ死にたいみたいな顔しなさんな」
「…おい、勝手なことを言うな」
「ハン!相変わらず言葉の足りねえ「頭デッカチ」だなあ。そんな泣きはらした目ぇした大事な蘭丸ちゃんにお仕事なんてさせられねえってちゃんと言えばいいのによ」
「……」
凌統の反対側から身を乗り出した甘寧が蘭丸をかばいつつ、正則がいつも言っている言葉をわざと口にする。
三成の眉間のしわが更に増えたが、三成は言い返さなかった。
「み、三成殿…蘭は…」
「俺は、別に、そのような…」
蘭丸は不安そうな顔で三成の顔をうかがう。
意地を張り続ける三成がふいと顔を背けるが、最終的に左近が前に割り込んだ。
「すみませんねぇ蘭丸さん、うちの殿、コレなもんで」
「う、うるさい…!お前達、横から口を出すな!」
カッとして眉間のしわを更に増やした三成はとうとう我慢ができなくなって、左近がふざけて自分の頭を指差してトントンした手をイラついたようにはたき落とす。
そのまま伊智子をキッと睨みつけた。
「伊智子」
「えっ!はいい!」
名前を呼ばれた伊智子はその場でぴしっと背筋を伸ばした。体にすりこまれた条件反射のようになっている。
三成は厳しい目つきで伊智子を見ると、有無を言わせぬ雰囲気のままこう言った。
「蘭丸が遅刻した原因はお前にもある…これ以上は、わかっているな?」
「は、は、はい!今すぐ着替えて用意します!!」
つまり、蘭丸が勤務できなくなった穴埋めをお前がしろと言うことだ。
今日は金曜日。明日は隔週の休日のため、今日は今週で一番忙しい日になる。
予定はびっしりだし、飛び込みのお客様だってうんと多い。
蘭丸の代わりに仕事をするのは全く構わないのだが、時間の余裕がないことだけが心配だった。
この時間から勤務の準備をするとなると、かなり急がなくてはいけない。
そう感じた伊智子は急いで自室に戻ろうとした。
その様子を見た蘭丸は申し訳なさから、控えめに伊智子へ声をかける。
「伊智子…」
「ら、蘭丸さん、あの、ゴメンね?今日はゆっくり休んで、また明日よろしくお願いします!!」
「あ……」
一瞬立ち止まって、そう言う。
その次の瞬間には、伊智子は蘭丸に背を向けて走り出していた。
マジでもう時間がない……!!
蘭丸の返答を待たず、伊智子は自室のある3階へと階段を駆け上っていく。
その小さな後姿を眺めていた蘭丸は、とても申し訳なさそうに眉根を下げた。
「伊智子、本当は今日休みのはずですよね…」
貴重な休みを自分のせいで潰してしまったことに、蘭丸は責任を感じているようだった。
「伊智子に悪いことをしてしまいました」
すん、と公園での涙の思い出すように鼻をすすった蘭丸。
「あの、三成殿。今からでも…」
「決定事項だ。今日は帰れ」
最後のあがきのようにだめもとで言ってみた蘭丸だったが、勿論その申し出は却下される。
予想どうりの返答に蘭丸は落ち込みを隠せない様子だった。
目に見えてシュン……と小さくなっている最年少の姿を見て気まずくなった三成。
隣から肘をつんつんしてくる左近の催促のおかげか、コホンと咳払いをして一言。
「だから、その…明日からまたいつもどおり頼む。お前には、期待している」
「……は、はい!ありがとうございます!」
来た時よりはいくらか晴れやかな顔をして、蘭丸は自宅へと帰っていった。
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