いくつですかは禁句です
「さて…俺はそろそろ行く。」
空になった湯のみを置き、三成が立ち上がる。
それに続くように正則も立ち上がる。
「あ、新規店の打合せだろ?それ、今回俺も呼ばれてんだ。一緒に行こうぜ。タクシー代浮くし」
「貴様は走って行けばよかろう」
「んだとテメーッ」
石田さんは途中でこちらに振り向いた。
「伊智子」
「はい」
「お前の教育の引継ぎは他の者に頼んである。今日はそやつらに学べ」
「あ、はい、わかりました」
そう言って石田さんは正則さんと二人で給湯室を出て行ってしまった。
新規店とはどういうことなんだろう。ギモンに思ったが口にはだせず、伊智子が黙っていると、甘寧が横から教えてくれた。
「今度店舗が拡大すんだよ。そこは女の…いわゆる女性医師だな。それが中心になるらしいんだけどよ、グループでうちが一号店だから、アチラさんが色々と参考にしたいんだと」
「へぇ…あ、甘寧さん、どうせならそっちでお仕事すれば良いんじゃないですか?綺麗なお姉さん見放題じゃないですか」
「…まだ言うかテメェ。どちらにせよ、男の客相手にするのなんてご免だね!それならまだ同僚が男の方がマシだ、マシ」
「そんなモンですか」
「そんなモンだ。さあて、一っ風呂浴びてくっかな」
女性医師に手出したら何されるかわかんねーし、と甘寧は大きなあくびを一つ。シャワーを浴びに自室へと消えて行った。
「伊智子」
着替えを済ませてきたらしい三成が給湯室に帰って来た。
着替えといっても、上着を羽織っただけなのだが。
伊智子は何かやってしまったかと思い駆け寄る。
「ほら」
「?」
手を出せと言われ、素直に両手を差し出すと、朝も見かけた櫛が置かれる。
驚いて三成を見上げると、変わらず不機嫌そうな顔があった。
「…しばらく貸してやる。髪くらいは整えろと言ったのをもう忘れたか」
「あっ…」
そういえば、さっきぐちゃぐちゃにされた気がする。髪の毛の散らばる後頭部をさすりながら伊智子はバツの悪そうな顔をした。
「…いいんですか?こんな高そうな櫛」
「貸すだけだ。…壊すなよ」
「わ、分かってますよ!」
さすがにそこまではしません、と反論すると、三成はフンと笑った。
「…、それと」
「?」
「今度から茶を煎れる時はもう少し熱く煎れる様心がけろ」
完璧に見下した態度でそう言うと、三成は上着を翻し颯爽と出て行ってしまった。
はぁ…アレはそもそも甘寧さんが悪いんですけど…
飲み干してから言わないでほしい…性格が世界一悪い……
1人残された伊智子は、手のひらの中にある櫛を叩き壊してやろうかと少しだけ思った。
がちゃがちゃと食器を洗っていると、奥の通路から慌ただしい物音が聞こえる。
まだ挨拶してない先輩とかいるんだよね…と思いつつ、伊智子は蛇口をひねって水を止めた。
扉が開かれる。…と、そこには先ほども見た顔がふたつ。…と、存知上げない顔が…3。
「伊智子ちゃん。お茶を飲みに来たよ」
「凌統さん」
格好もそのまま、髪の毛だけはおざなりに乾いた凌統がひらひらと手を振りながら笑顔を浮かべる。
その後ろに控えているのは、未だ納得のいっていないような顔の陸遜。
「聞いてるんですか、凌統殿」なんて言ってぷりぷり怒っている。
そんな陸遜を苦笑いで見つめている、顎髭をたくわえた男性がいた。
伊智子がその人物を見つめているとふいに目が合い、伊智子は慌てて頭を下げた。
「お前が伊智子か。俺は呂蒙だ。ここの事務をしている。よろしく頼む」
「伊智子です。よろしくお願いします…」
そう言って握手をする。一瞬触れた指にペンだこができていた。
伊智子がアッと声を漏らすと、「パソコンは苦手でな」と照れたように笑っていた。
「へぇ、まるで少年のようだね。その格好だと」
穏やかな声が聞こえたと思うと、発した人物もたいそう穏やかな顔をしていた。
眠たそうな目を細め、にこにこと笑い、なぜか頭を撫でられた。
「あ…でも…ここで働くには、そういう見かけのほうが都合がいいですよね、きっと」
そう言って自分の短髪を少しつまんだ。
染めたことのない黒髪は伊智子の顔をすこし隠すくらいの長さで、至って普通のショートカットだった。
中学の時くらいまできちんと伸ばしてはいたが、その後手入れがだんだん面倒になり、ばっさりと切ってしまったのだった。
そしてそれは、今でも続いている。
「うん。私もそれがいいと思うよ。私は毛利元就。事務長だ。よろしく」
「伊智子です。よろしくおねがいします」
「俺はもうすこし長くてもいいと思うけどな〜、ね、陸遜」
「え?わ、私は…似合っていればそれでいいと思いますよ」
無邪気な声で陸遜に絡んだのは、伊智子とさほど身長の変わらぬ少年…のような外見の男性だ。おそらく成人しているのだろう。
伊智子と目が合うと、女性顔負けの愛らしい顔でニッコリと笑顔を向けられた。
「う〜ん、君ってば絶対髪の毛長い方がいいと思うんだけどな〜…。あ、俺、竹中半兵衛ね。よろしく〜」
「あ、ど、どうも…。伊智子です…。よろしくお願いします。あの…ひとつ聞いてもいいですか?」
「え?どうしよっかな〜…高いよ?」
「えっ!?」
「あはは、冗談冗談。いいよ、何でも聞いてよ。」
なんだか冗談に聞こえない軽口を交えつつ、伊智子は気になっていたことを口にした。
「えっとあの…おいくつですか…」
一瞬、空気が凍る。「あ、コイツ、そこは触れないのがマナーだろ…」みたいな空気になる。
半兵衛はというと、笑顔をうすらぼんやりと浮かべながら極めて無表情に近いそれで伊智子を見つめている。
怒った表情よりなにより、無表情が一番怖いというのを伊智子は初めて知った。
「…伊智子」
半兵衛が氷のように冷たい声で言う。
「あうっ不躾なことを聞いて申し訳ありませんっ」
「一応言っておくけどさあ…当たり前だけどみんな成人過ぎてるからね?」
「は、ハイ、やっぱそうですよね…」
「もっと言っちゃえば、この場にいる中で俺が2番目に年長者だからね?」
「で、ですよね… ってええええっ!」
半兵衛の少女のようにかわいらしい口から漏れたのは爆弾発言で、伊智子は思わず素直な驚きの声をあげる。
そんな伊智子に、半兵衛も少々呆れ気味の表情を見せる。
「全く〜。人は見かけで判断しちゃいけないよ〜」
「は、ハイ…。すいません。」
そんなこと言っても容姿に全く説得力がない。なんてことは絶対本人には言えないのだが。
ちら、と半兵衛の顔を盗み見る。…やっぱり「格好いい」より「可愛い」のほうが似合うなあ…。
なんて思ってると、再び鋭い視線が突き刺さり、もう考えるのはやめた。
「…半兵衛さんは見かけで判断されんのが嫌いなんだよ。覚えといた方がいいぜ」
「そ、そうですね、そうします。がんばります。」
「凌統、さり気なく伊智子の肩に触れているようだけど…、いろんな人に怒られてしまうよ」
「…それくらい良いじゃないっスか…」
人を病原体かなにかと勘違いしてるんじゃ、などと凌統が悲しそうにこぼす中、また新しい顔がやってきた。
すらりとした体躯に茶色い髪、一際目立つ眼帯の彼は、迷惑そうに片耳に手をあてあくびを一つこぼした。
「なんじゃ、朝っぱらからきーきーとうるさいのう」
「もう昼だぞ、政宗」
呂蒙のつっこみも右から左で、「揃いも揃って女に構い倒すとはどういう了見じゃ」と毒を吐き、壁にもたれ本当に眠そうな顔をした彼を、伊智子は記憶のどこかで覚えていた。
そう、彼の名は−
「……政宗にいちゃん?」
彼の左目が、動揺を隠せずにぴくりと動いた。
伊智子は少し興奮気味に政宗に駆け寄った。
当の政宗は少したじろいだが、何も言葉を発することはなかった。
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