ひみつの本屋さん。その5



元就と隆景は本当に夕方まで戻ってこなかった。

元就は数冊の本を、隆景は見るからに重そうな本を腕に何冊も抱えていた。持って帰るのが大変そうだ…。
隆景はよっぽど楽しかったのか、目をきらきらさせて「帰りたくありません…」なんて呟いていたが、すぐさま官兵衛に「早急にお引取り願いたいものだ」と言われていた。

二人も伊智子や半兵衛のようにカウンター内に招待され、今は官兵衛の煎れる絶品の紅茶を楽しんでいた。

すでに何冊も本を買っている隆景だったが、やはり探しものは見つからなかったようで。
店主である官兵衛に本の情報を書き記したメモを見せながらたずねていた。


「こちらに、このような書物は置いてありませんか?」
「…これは…」

メモ書きに目を通した官兵衛は険しい表情になる。

「国立図書館に行ったほうが手っ取り早いと思うが」
「仰る通りなのは存じております……が、どうしても手元においておきたいのです」
「……期待はしないほうが卿の為だとは思うが、一応知り合いに聞いてみよう」

「!店主殿…いえ、官兵衛殿。ありがとうございます。本当に感謝します」

官兵衛は手帳を取り出すと、なにやらさらさらと書き記していた。きっと隆景の探している本のことだろう。
隆景は心から嬉しそうに微笑んでいた。


「ん、伊智子。君も何か買ったのかい」
「はい!これです」
「おや?それは…」

紅茶に舌鼓を打っていた元就は、伊智子の腕の中の本に注目した。
その本の表紙を見た元就、そして隆景はどこか見覚えのあるような反応を見せる。
どうやら二人とも、この本を知っているみたいだ。

「…ああ、その本なら私もドイツ語に翻訳されたものを読みました」
「私も遠い昔に読んだ記憶があるなあ…。その時は英語版だったかもしれないけど」

一つお呼ばれしてもいいかな、と元就はクッキーをひとつつまんで言った。
どうやら伊智子の好きな本はこの場にいる全員が読んだことのある本らしかった。

…ん?全員?

すこし疑問が生まれ、伊智子は官兵衛のほうへ向き合った。


「あの、官兵衛さんはこの本、読んだことありますか?」
「……いや、ないが」

第一巻を目の前に掲げ、たずねると官兵衛は静かに首を横に振った。
それならば。
手にした本をずいと目の前に押し出す。

「そしたら、あの、お貸ししますので…読んでみませんか…?」

「……卿に借りなくとも、ここには売るほど本があるのだが」

「ああ…!そ、そうでした!出すぎた真似を…す、すみませんでした……」

私は本屋さんにむかって何を言ってるんだ。
急にものすごく恥ずかしくなって、差し出した本を引っ込めようとしたその時。

「しかし」

さっと伸ばされた手が本を掴んだ。


「日本語訳版はそれが最後の一冊だった。外語版を読むほどの暇はない……お借りしよう」


「!…はい、ぜひ!」


本を受け取ってくれた官兵衛に伊智子は笑顔を向ける。

私の好きな本を、官兵衛さんも好きになってくれると嬉しいな。

そう思っていると、表情が読み取りにくい官兵衛の顔がかすかに微笑んだ気がした。
そんな官兵衛に向かってからかうように声をかけるのは半兵衛。

「官兵衛殿、ちゃんと読まないと宝石探しの旅に連れていってあげないからね〜」
「心配は無用だ、最年長殿」
「ちょっと、それ間違ってるし!元就公が最年長だから」
「え?なんのことだい?」
「私にとっては、ここがまさに宝石の山に見えます。ああ…本当に、ここで一夜を明かしたいです…」

「なんなのだ、このやかましさは……」

きゃらきゃらとふざける半兵衛に、人の話を全然聞いてない元就、恍惚の表情を浮かべ違う世界に飛んでいってしまった隆景。

やりたい放題、言いたい放題の面々に思わず眉間を押さえた官兵衛。
横から見ていただけの伊智子もあまりの混沌っぷりに苦笑いしか出てこない。
あ、元就さんがクッキーのかすを絨毯にこぼした…。

「はあ…この、書物の匂いもたまりません。極楽です。楽園です。天国です。」
「隆景、もうここに住めば?」
「冗談ではない、必ず連れて帰れ」
「いやあ、こんなに喜んでいる隆景を見るのは久々だよ、ありがとう官兵衛。ところで紅茶のお代わりはあるかい?」
「あ、元就さん、私が注ぎますよ」

「………もうよい。あと一時間で店を閉める、それまで勝手にせよ」

どこまでもマイペースな人たちに付き合う元気がなくなったのか、諦めた官兵衛は椅子に深く腰掛け、本を一冊手に取った。
それはさきほど伊智子が手渡した本で、長い指がゆっくりとページをめくる音が静かに響く。

美味しい紅茶に美味しいクッキー、そして素敵な本に体がぽかぽかと暖かくなっていく。
居心地の良すぎる空間に、伊智子はつかの間の平穏を感じていたのだった。
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