アニマルセラピーの才能

「では、実際にいらっしゃった患者様の対応をして頂きましょうか」
「えっもう…大丈夫でしょうか?」
「ご心配なく…。この小十郎、伊智子様が問題なく仕事をこなせるなど微塵も思っておりませんので自信をもってくださいませ」
「今ので自信なくなりました…」
「なくてもやって頂きます。さあどうぞ」

パソコンの前にあった椅子に座っていた伊智子はそのまま小十郎の手によって椅子ごとゴロゴロと引きずられ、受付の一番真ん中に移動させられる。

まさかこんなに早く実践させられるとは…

急にバクバクとうるさい心臓を手でおさえる。
あと10分くらい深呼吸したい気分だが、そんな希望も空しく新しい患者様の姿が見えた。
響くハイヒールの音が現実を突きつけてくる。

何故か不安になって振り返って小十郎の顔を見た伊智子に、小十郎は両こぶしを胸のあたりでギュッと握った。
ファイト!じゃないよ。

そういうしているともう目の前に来ていた。
「あっ…ええと…」
「……受付をして欲しいのだけれど」

「あっ、こ、こんばんは!はい!えっと…ご予約はされていますか?」

「しているわ」

「では、ご予約名の確認を――」

よ、よし。お名前を聞くところまでもっていけた。最初テンパってしまったけれど、ここまでは…流れに乗れたはず。
お客様からお名前をお聞きして、パソコンを操作予約の確認をする。どうやら間違いがないようだ。



ご希望の担当医は姜維さんという方で、予約時間は21時半からの予約と、延長希望が2つついていた。



うちの時間設定は基本60分の固定で、それ以上の診療を希望するならば30分ごとの「延長」という少し割高なオプションをつけなければならない。
予約の時点で延長希望があった場合、受付が予約状況を鑑みた上で担当医に延長が可能か直接確認する。という流れになっている。(と蘭丸さんから教えてもらった)

この画面には、ふたつついた延長マークどちらにも「可」という印がついていた。

これは担当医が間違いなく延長を許可したということだ。

よし。

しっかりと確認をして、印刷ボタンを押す。


「ありがとうございます。ご予約の確認ができました。ご予約の時間は21時半からですね。お早いご到着、恐れいります」
「…早く来たほうが予約時間いっぱい、彼と触れ合えるもの。これくらい当然よ」

バインダーを受け取る女性がそう言った。
ここに来て始めて笑顔を浮かべた女性は、本当にこれからの時間を楽しみにしているようだった。

「…そうなんですね…」

この人は本当にここに癒されに来ているんだな。
そう思っていたら、つられるように自然と顔が笑顔になってしまったようだ。
にこにこと笑っていると目の前の女性が不思議な顔をして言った。


「…あなた…よく見たらはじめてみる顔ね」
「え、あ、あ、はい、新人です」

伊智子がギクッとなりながら返事をすると、女性はふぅん、と呟いた。

「今は見習いだから受付をしているの?医師にはならないの?もしなったら、指名してあげてもいいわよ。顔見てるだけで癒されそうだし」

「えっ…顔って…」

心の隅で一瞬ニヤける。


「なんか動物みたいで可愛いもの。私、頑張る男の子が好きなのよ」
「え」

「ふふ…じゃあね、新人くん」
硬直する伊智子の前で女性はかすかに笑っていた。

「あっ…はい!お時間近くなりましたらお迎えにあがりますので、それまでお待ちくださいませ…」
「ええ、わかったわ。ありがとう」


バインダー片手に背を向ける女性の姿がどんどん小さくなっていく。
そして隣の小十郎は先ほどからぷるぷる震えている。

てっきり自分の顔を褒められたかと思ったのも一瞬だった。しかも勘違いだったし。

それにしても…ど、動物って……。


「動物…」

「…アニマルセラピーという言葉をご存知ですか?伊智子様…ふふっ」

「片倉さん、ひどい…」

「これはこれは。失礼致しました」

言葉だけの謝罪をした小十郎は、かすかに笑っていた顔を引き締めて「ところで」と話をきりかえた。



「先ほどの応対についてですがいくつか申し上げたいことがございます」
「う…はい」

きた。一体どんな評価がくだされるのか…。



「まず第一声が最悪です」
「ううっ」

びしっと放たれた言葉に小さくうなる。

「いらっしゃった方に不安を与えないことを前提としたお出迎えをお願いします」
「はい、わかりました…」
「パソコンの操作は…まあ、始めてですから多少まごつくのは仕方ありませんが。もう少し練習してスムーズにできるように頑張ってください。流れは間違っていませんので」
「は、はい」
「まあ、今回は対応したお客様が良かったですね。あの方は医師だけでなく黒服や他の人間にもお優しい言葉をかけてくださるので。きっと、動物に似ていると言ったのも貴方が新人だと知って緊張をほぐそうとして下さったのでしょう」
「はい…」
「ですが全てのお客様があのような方とは限りません。むしろ少数派です。次からは一層気を引き締めてくださいませ」
「は…はい…すみません…」

なんだこの微妙にあげて奈落に落とす戦法。



「しかし…」


伊智子はひそかにへこんでいたが、小十郎の言葉にはまだ続きがあった。



「この小十郎が手を出さずともお客様とのやり取りを終えられました。これは素晴らしいことでございますよ、伊智子様」



「…はい!ありがとうございます!」



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