銀色の人
朝だ。
この部屋の隅には一箇所だけ窓がある。
そこから差し込む日差しが夜明けを教えてくれたみたいだ。
「……ねむい。」
寝起きはすこぶる最悪だが、無事に午前に目が覚めたことに安心するべきか。
今日も若干寝不足の伊智子はぼんやりとする頭をうまく働かせることができず、しばらくベッドから動けないでいた。
布団をかぶり、ごろごろしているところにドアをコンコンと叩く音が響いた。
「伊智子。おはよう!起きてるかい?」
「え!ねねさん!おはようございます」
数回のノックのあと、ねねの明るい声が聞こえて布団を蹴っ飛ばして飛び起きた。ねねさん!?
ベッドから転がり落ちて、床を這いながらドアへと向かい、少しだけ隙間を開ける。
本当にねねさんがいる……。
「今日は伊智子の日用品や必要なものを買いに行こうと思って声をかけたんだけど…大丈夫かい?」
「は…はい!すぐ用意するので、ちょっと待ってください…!」
とりあえずそう叫び、寝巻きを脱ぎ散らかした。
ま、また起き抜けの呼び出し…!!!
唯一の私服に着替え、顔を洗って、歯をみがく。くしを使ってある程度の身支度を整える。
部屋を出る前に姿見を見ると、今の今まで忘れてた可愛いアップリケがなかなか…。
いやいや、そんなことを気にしている暇はない。
とにかく今は急がなければ。
「おっ、お待たせしました!…あ…」
勢いよく扉を開けると、ねねさんと、大きな男の人がいた。さっきは気づかなかった。
誰だろう…知らない人だ。
「………」
その人物は、胸の前で腕を組み、じっと伊智子を見つめていた。
その視線につられるように、伊智子も視線をそちらに向ける。
とても体格が良くて、髪の毛もすごく短いし、銀髪だ。(銀髪、流行ってるのかなあ)
ねねさんの隣にいるっていうことは、きっとここで働いている男の人なんだろうけど。
昨日までに会った人は皆スーツを着ていたりフォーマルな格好をしていたけれど、この目の前にいる人は明らかに私服だ。まだ朝だし、始業時間前だもんね。
客観的に見てなんかすごく格好がいいし、背も高い。女の人にモテそう…。
じっと見つめていると、ねねはおかしそうに笑いながら言った。
「なんだい伊智子。この子と会うのははじめてかい?この子は清正っていうんだよ」
「…加藤清正だ」
「え、あ…伊智子です!はじめまして…」
伊智子はそう言って頭を下げた。
それを見たねねは、満足そうに頷いた。
「うん。今日の買い物には清正にも付いてきてもらおうと思ってるんだよ。荷物持ちがいたほうが助かるだろう?」
「え、そうなんですか…なんかすみません…」
「…おねね様の頼みだからな」
「清正。助かるよ」
「いえ!おねね様のためなら俺は…」
なんかねねさんへの態度と私への態度が面白いくらいに違うんだけど…面白い人だな。
そう思っていると、後ろから見覚えのある人物が走ってきた。
「おーい、ねね!」
「お前様」
秀吉だった。
何やらひどく慌てている様子だ。秀吉はねねの前で立ち止まると、両手をこすり合わせながら言った。
「すまん!今から曹操殿達が打ち合わせに来るらしい、ねねもその場におってはくれんじゃろうか?」
「曹操様たちが?それは大変だね」
それは一大事!といった様子でねねは頷き、再び清正と伊智子のほうへ向き直る。
「清正、伊智子。悪いんだけど今日は2人で行ってくれないかい?」
「えっ!!」
「曹操様方が来るっていうのに、あの人一人にしておけないからね」
伊智子はそれが誰なのか、どんな事態なのかわからなかったが、隣に立つ清正が「おねね様の仰るとおりです」とか言うものだからそういうもんなのかー、と思った。
「清正、頼んだよ!伊智子ちゃんのことしっかり守ってやってね」
ねねはハイこれ、と黒いものを清正に手渡していた。
「あ、ねねさん…」
「お任せ下さい、おねね様」
「伊智子、清正となにか美味しいものでも食べておいで!じゃあね!」
車に気をつけるんだよー!と言って、ねねは手をひらひらとさせて廊下のむこうへ走っていった。その勢いに目をぱちくりさせていると、ひとつ瞬きした瞬間にねねの姿がまっさら消え去ってしまった。
「!?」
意味不明な光景に目をひんむいていると、横から低い声が響く。
「……じゃあ、行くぞ」
清正が大きな体を翻して背中を向けた。
今の一瞬の出来事にあっけにとられていた伊智子だったが、置いてかれないように慌ててついていく。
「あ…はい!」
コ、コンパスの差が地味にえぐい…。
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