語った言葉は
人でざわめく道路を2人並んで歩く。周りはとても楽しそうなのに、ここだけ全く違う雰囲気をかもし出していた。
「少し前…あの女と寝た時、あの店が今話題だから行きたいって言われたんだ。金ならいくらでも払うからと。会うたびに、寝るたびに言われた。でも、俺は…その要求をずっと断っていたんだ」
清正はポツポツと語り始めた。
伊智子は、果たしてそれは私が聞いてもよい話なのだろうかと思ったが黙って話を聞くことにした。
「これ以上客と深い仲になりたくなかった」
清正は前を向いたまま言った。
その言葉には強い意志があった。
「体だけの関係ならまだ良いと思っていた。でも、その上店外でも関係を持つと…私生活にあの女の顔がチラつくようで…嫌だったんだ」
「でも…それだけ…清正さんのこと好きだったんじゃ…」
「どうだかな。さっき、あの女の後ろに男がいただろう。恋人かもしれないし…、俺みたいに商売男かもしれない」
さきほどの女の人。後ろに男の人がずっと立っていた。
きっと恋人なら、清正さんに一言二言文句を言ってたかもしれない。一緒になって水をぶっかけてたかもしれない。あるいは一発パンチくらいお見舞いしてたかもしれない。
もしそんなことがあれば、清正さんはお金をもらって仕事をしていただけなのに…と思うけれど。
あの時は何も無かった。
むしろ、めんどくさそうな視線さえ感じた。
もしかしたら…もしかしたら。清正さんの言うとおり、金銭のやり取りが発生する間柄…なのかもしれなかった。
「誰でも良かったんだろうな。驚くほど金はあったし、見てくれもきちんと見せていたが、心が空っぽだった。それを埋めるために、どうせ抱かれるなら安全な男に金を払って抱かれていたんだろう。」
清正はひとつ大きなため息をついた。
「俺は……あの女を抱くたびに、かりそめの関係を築くたびに、心がどんどん死んでいくのがわかった…でも、やめられなかった」
「…つらいのに…どうしてですか?」
「……俺はオープンスタッフだったんだ。三成は今でこそ黒服として働いているが、初期は俺と三成が医師で、正則が黒服…秀吉様とおねね様と俺たちの3人で初めたんだ」
そうだったのか。まさかの話に目が丸くなる。
石田さんが医師…。へ、へえ…。
「今でこそ軌道に乗っているが、最初は本当に大変だった。
秀吉様は毎日、スタッフの確保で知り合いにあたったり、若者のいるところへ繰り出して人手を探していた。おねね様は資金繰りに頭を悩ませていたし…俺たちも客がいないときはチラシをくばったりインターネットで宣伝したりして…とにかく大変だった」
その口ぶりは本当につらかった当時のことを思い出しているかのようだった。
しかし当時の清正含め皆さんの頑張りがあって今の私がいることを再確認した。本当に頭が上がらない。
「そこそこ客が安定してきた頃にあの女と出会ったんだ。」
スタッフも一人二人と増え、経営状況も最初と比べて大分安定してきた頃のこと。
その頃は三成ももともと裏方や補佐的な仕事が性に合っていたこともあり、医師から黒服に移動していた。
そのため医師の中で一番経験豊富で固定客も多く、稼ぎ頭だったのが当時の清正だったらしい。
「金払いが当時どの客よりも良くて、かなりの上客だった。俺を気に入ってくれて…俺も売り上げが上がるから素直に嬉しかった。だが、そのうち「波」以上の対応を要求するようになったんだ」
「波」以上とは、つまり体の関係を持つということ。客と店側という関係性の上でそれを要求するなんて、なんて残酷なことなんだろう。
当時の清正に伊智子はおおいに同情した。
「俺は迷った。秀吉様やおねね様も断って良いといってくれた。三成や正則もやめろと言ってくれた。でも最終的に…俺は受け入れてしまったんだ。」
しぼり出すような声だった。
どれだけ悩んで決断したんだろう。どれだけ…心を痛めたんだろう。
「断ったら、もし、この客が俺に愛想を尽かせて離れていってしまったらどうしようと思った。売り上げの多くが減ってしまう…そう考えると、答えは一つしかなかったよ」
それからずっと清正はある一人の客に対し、特別メニューで対応をしていた。
週に何回か、必ず深夜呼び出しを受けて…クリニックに連れ込む。そこで体を重ねた後、女は札束を置いて去っていく。
清正が、伊智子の手をギュッと握った。
「俺は結局割り切れなかったんだ。やはり…家族が大事だから。店の奴らが一番だから。あの女一人のために、自分を殺すことはできなかったんだ」
体で繋がるということは、言葉を交わすよりもずっと、清正さんの心の中の大事なものを削っていたみたいだった。
お客様に振り回されて体を、心を消費する毎日。
どれだけ辛かったんだろう。口にするのもいやなはずなのに。
握られた手を伊智子もそっと握り返す。
すると、もっと強い力で握られた。
「俺はやっぱり、愛した女を優しく抱きたい」
伊智子は彼氏がいたことがない。好きな人も…これといっていない。
だから清正の言うことにいまいちピンとこなかったけれど、自分がこれから恋をしたとき、好きな人ができたとき、こんなふうになるのかな、切ない気持ちになるのかな…と思った。
清正はそれからは何も言わず、ただ黙って歩いていった。
伊智子もとりたてて話すことはなかったし、なんだかこの沈黙が心地よいような気がしてしばらく無言で歩いていた。
クリニックがあるビルが視界に入り出すと、どちらともなく手を離した。
そのタイミングがなんだか面白くて、2人で目を合わせて笑ってしまった。
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