ごほうびはキャンディ



夏候覇の手伝いの許可を無事得た伊智子は、意気揚々と2階の厨房へとやってきた。

今はまだ人が全然いないが、いつも夜になると厨房は黒服で溢れ返り、皆忙しそうに仕事をしている。
診察で配膳される全ての食事メニューをここで調理しているからだ。

さすがに高級レストランのような凝った料理はないが、営業時間が夜ということもあり割と注文も入るし、種類は豊富で味も評判がいい。ちなみに、全ての料理のレシピ・考案者は社長婦人、ねねである。
勿論スイーツ、フルーツなども人気商品で、アルコール含むドリンクメニューは数十種類に及ぶ。

客は限られた時間の中で医師との幸せなひと時を楽しむ。
これらの料理も、その時間を演出する1つの要素なのである。

そのため、注文を受けてからスムーズに作業を進行し、最短時間で配膳まで行うためにはしっかりとした下準備が必要だった。

野菜の皮むきから始まり、フルーツの準備、食材の下ごしらえなど、やることは山ほどある。
が、割と単純な作業が多いため、新人の黒服の多くはこの作業を任されることが多い。
初心者でも割と問題なくできるからだ。

…なのだが。

人には得手不得手がある。


「いやいやいや、もう見てらんないよ!やっぱいいよ伊智子やんなくて!」

「えっなんで…手伝いたい…」

「こっちの心臓に悪いんだよ!」


厨房では先ほどから夏候覇の叫び声が響いている。伊智子の手つきがどうも危なっかしくて口を出さずにはいられないのだ。

いすに座ってじゃがいもの皮をむき、床に置かれたバケツに皮を落としていく。

それだけなのだが、まず包丁を持つ手があやしい。

夏候覇は最初「じゃあ、頼むな」と言って包丁を渡したときから「あれ?」と思ったが特に気にはしていなかった。だがその時感じた違和感は本物だったようだ。
伊智子がむいたじゃがいもは見事にでこぼこだし、皮もものすごく分厚くてもったいないことこの上ない。
おまけに包丁は何回もすべってじゃがいもを持つ左手をスパッと切りそうになっている。

「ちょっと…もう、一旦休憩な!」

「あっ」

近くでずっとその光景を見せられた夏候覇はとうとう伊智子から包丁を奪い取ってしまった。
夏候覇はとりあえず包丁を伊智子の手の届かない場所におき、改めて伊智子に向き直った。


「……伊智子…って…さ、包丁使ったことある?」

「ない……」


まさかの真実に夏候覇は頭を抱えた。


「いやいやいや!少しはあるだろ!家の手伝いとか!家庭科の実習とか!!」


ごく一般的な調理器具に触れる機会はその程度だろう。
伊智子は力なくふるふると首を横に振った。


「そうなんだけど…お母さんも、同級生の子も、なぜか皆今の夏候覇みたいになって刃物を取り上げるんだよね…」

「……」

「だからずっと洗い物ばかりしてたよ」

夏候覇はしゃべるのをやめてぐったりとうなだれた。
あ、洗い物は?お皿洗うのなら私、できる!と伊智子が元気よく言うかたわら、今はねーよ…と力なく呟いた。


「…夏候覇、ごめんね…私、力になれなくて…」

伊智子も伊智子で、包丁を使う作業とは思わずに手伝うといってしまったことを後悔していた。
いや、でも、少し考えれば作業内容なんて予測できたはず。
夏候覇には無駄な期待をさせてしまったようだ。戦力になると思った人間が、全く仕えないのだから。

夏候覇も、伊智子に悪気があったわけではないのは分かっているし、できないことは仕方ない。それは理解しているつもりだ。

「…いやいやいや、謝るなよ。もともと俺一人でやる仕事だったんだし。元の形に収まったと思えば……」


「…夏候覇。いい加減作業を進めないと間に合わないのではないか?」


そこへ、夏候覇の言葉をさえぎるように声が響いた。
先ほどから厨房にいて、ずっと夏候覇と伊智子のやりとりを見ていた男が腕組をしながらこちらへ向かってくる。長い髪をひとつに結び、歩くたびにそれがひらひらと揺れる。


近くの椅子を引っ張って、夏候覇の隣へと座る。
そして、先ほど夏候覇が伊智子の手より避難させた包丁を手にとり、まだ皮のついたままのじゃがいもを1つ持った。


「どれ、私も手伝おう」

「趙雲殿」

「趙雲さん」


趙雲と呼ばれた男は頼もしげに優しく微笑み、瞬く間に数多くの野菜の下処理を進めていった。

趙雲はクリニックの黒服として働いている、夏候覇の先輩だ。下のものには優しく、上のものには決して敬意を忘れない。たまに怒ると鬼のように怖いらしいが…幸運なことに伊智子も夏候覇も、まだその場には居合わせていない。頼れる優しい先輩だ。
今も慣れた手つきで夏候覇の手伝いをしてくれてる。

「趙雲殿…ありがとうございます!」

「気にするな。…伊智子は包丁ではなくて皮むき機を使ったらどうだ?これなら怪我はしないだろう」

「ありがとうございます!」

手持ち無沙汰になっていた伊智子に趙雲はピーラーを渡した。包丁を封じられた(というか趙雲に使われた)ため、することがなくてどうしようと困っていたところだったのでとても嬉しかった。
伊智子は趙雲のこういうところがとても好きだった。


「夏候覇!みんなでがんばろーね」

「お、おう…ケガには気をつけろよっ伊智子!」

まだ先ほどの手つきを忘れられないのか、夏候覇がドキドキしながら言った。

「もー!大丈夫だってば。趙雲さんがピーラー貸してくれたから。ね、趙雲さん」
「ああ、そうだな。心配しすぎては失礼だぞ、夏候覇」

「いやいやいや、趙雲さんにそういわれたらはいとしか言えませんよ、俺…」

そんな感じで3人であらゆる下ごしらえを進め、2時間ほど経った頃には全ての作業が終わっていた。
ほとんど趙雲がやっていたが、それでも趙雲は「終わってよかったな。二人の頑張りのおかげだ」と、ポケットから飴を1つずつくれた。

夏候覇は改めて伊智子と趙雲に深くお礼を言い、「張遼殿に報告してくる!」と厨房を後にした。
二人で夏候覇の背中を見送ったあと、伊智子は趙雲に向き直り、

「…黒服のお仕事って本当に大変なんですね」

「仕事が大変なのは、黒服も、医師も、そして伊智子もだ。皆同じだろう」

「…それでも。趙雲さん、いつもありがとうございます」

趙雲はとても仕事ができる。上司の信頼も厚く、部下からの人望もある。任される仕事もきっと多いだろう。
それでもいつも優しく接してくれる趙雲は本当にすごいと思う。
そんな気持ちを込めて伊智子はぺこっと頭を下げた。

「…あ、あと飴も」

嬉しいです。とはにかめば、趙雲はすっと手をこちらに伸ばし、やさしく伊智子の頭をなでた。


「…飴玉、もう1つあげようか」
「ほしいです!」
「ははは。夏候覇には内緒だぞ」

素直に差し出された手のひらに、もう1つ小さな飴を乗せる。
ありがとうございます!と笑顔を浮かべる伊智子の頭を、趙雲はもう一度なでてくれた。

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