トレンドの話題
従業員が泊まる部屋はホテルの一室のようになっていて、基本、浴室やトイレが備え付けてある。
部屋の中を色々と案内したり、隆景によると明日からすぐ出勤するとのことなので仕事についての説明も軽く話した。
しかし仕事の話はすでに三成から詳しい話を聞き、書類や契約書の類も全て交わしているそうだ。
石田三成というのは、どこまでも仕事のできる男である。

そんな時、カラーン、コローン、と鐘の音が聞こえてきた。
伊智子はハッとして顔をあげる。

「あ…この鐘が鳴ると、今日出勤の人は一階のホールで朝礼なんです。…一緒に行きますか?」
「よろしいのですか?」

今日、クリニックに到着したばかりだという隆景を朝礼に誘ってしまった。
しかし、飛行機に乗り、電車を乗り継いでやって来た隆景は長旅で疲れているにもかかわらず割と乗り気のようだ。

「実際の現場を見られるのはありがたいです」
「多分他の皆さんへのご紹介とかは違う機会にすると思うんで…雰囲気だけでも」

それはもちろん。と、隆景は笑う。

部屋を出て、ホールに向かうために階段を使って一階へ降りる。
そのとき伊智子が「あ、」と思い出したように言った。

「毎日深夜、業務が終わった後に終礼があるんですけど。それは今日、顔出さなくっていいですからね」
「ふふ、恐れ入ります。さすがに今日は早く眠ってしまいそうです」

慣れない飛行機で実は体がガタガタなんです。と本気なんだか冗談なんだか分からない調子で隆景が言うものだから、伊智子は真剣な顔で「…今日ははやく寝てくださいね……」と言った。



ホールに降りると、今まさに朝礼が始まるところだった。
ただでさえ大柄な男が多いこの職場。皆の前に立つ三成や張遼の姿はチラリとしか見えない。
隆景はちょっと背伸びをすると姿が確認できるらしい。「おや、三成殿がいらっしゃいますね。あの方もお忙しい」と言っていた。
それでも見えにくいのは事実。仕方ない、ちんたら歩きながら来たのが悪いのだ。

伊智子と隆景は一番隅の壁のほうにちょこんと立ち、聞くだけに徹しようと開き直った。


そして朝礼はいつもどおり三成の号令で始まり、とどこおりなく進んでいった。


「……最後に例の不審者情報だが。趙雲、頼めるか」
「承知した」

三成に声をかけられて、人ごみのなかから一際すらりとした影が一歩前にでる。
そのまま歩き、三成と張遼の間に立つと、全体へ向き直って厳しい顔で話し出した。

その「不審者情報」の話とは、今クリニックで一番の問題となっている出来事だった。
趙雲の声がホールに響く中、伊智子の横に立つ隆景がそっと耳元に口を寄せて小声で話しかけてきた。


「伊智子殿。今、あの方が仰っている不審者とは一体…」

「あ、隆景さんは今日始めて来たんですもんね…」


隆景は怪訝な顔をしている。そんな隆景に、伊智子も声をひそめながら応える。
趙雲の話は聞けなくなってしまうが、今回もまたいつもと同じようなことの連絡だろうし問題はないだろう…多分。

「えっと、ちょっと前から一人のお客様にどうやらつきまとい?がいるらしくて。結構頻繁に来るお客様なんですけど、普段は何も接触がないのにこのクリニックに来る時だけいつの間にか追いかけてきてるみたいで」

「警察に突き出せばよいのではありませんか?」

間髪入れずにそう言われた。
そうしたいのはこちらも山々なのだが、それができない理由がある。

「それが……お客様がかたくなに拒むんです」
「なんと、それは一体…なぜですか?」
「わかりません」

隆景は理解不能といった表情をしている。理解ができないのはこちらも同じだった。

「でも、そのお客様が警察には連絡しないでほしい、帰る頃になると姿が見えないから大丈夫だと言って聞かなくて…それでも、うちに来る度にひどくおびえている様子だし。他の女性客にもちょっと影響を与えているので、医師と黒服の皆さんも皆ぴりぴりしてて」

伊智子はハァとため息をついた。隆景は神妙な面持ちで聞いてくれている。

「その女性客が来店した次の日はいつもこうやって朝礼の最後に連絡があるのですが…まあ毎回進展なしって感じです」
「なるほど…」

「付きまといに対してこちらが手を出せない以上、事態の収束が着くまで来店禁止を言い渡す案もありましたが…それは最終手段として今のところはまだとっておいてるみたいです。それでもいつまでもこんなことが続くなら、強硬手段をとるのもやむなし、と」

ふむふむと真面目に聞いてくれる隆景に、つい伊智子も余計なことをしゃべってしまう。

そんな時。
二人に大きな黒い影がフッと覆いかぶさって、二人の視界を暗くする。


「伊智子」


そして後方から静かに聞こえる声。周りからはゾロゾロとホールから出て行く足音。
…いつの間に朝礼が終わっていたのか……話に夢中で全く気付かなかった。

伊智子はゆっくりと後ろを向く。そこには腕を組んで立ち、まるで芸術作品のような出で立ちの趙雲がいた。
しかしその完全仕事モードの顔つきに、伊智子はヒュンと喉を鳴らした。


「取り込み中のところ済まないな。私の話はきちんと聞いていたのか?」


そう言う趙雲に、伊智子は力なく「す、すみません…」と謝るしかない。本当にすみません。
すると趙雲はフッと笑い、垂れ下がった伊智子の頭をぐりぐりと撫でた。

「冗談だ。前回の連絡とさして変わりない。警戒して業務に当たれということだけだ」


気にするなと口ではそう言っているが、ほ、本当かなあ…。
黙って頭をなでられながら、伊智子はそう思った。

- 65/111 -
トレンドの話題
*前 次#

しおりを挟む
小説top
サイトtop