その名は劇物

「ときに伊智子、こちらの御仁は?」

ぱっと伊智子の頭から手を離し、趙雲の視線は隆景へと移る。
そうだった!隆景さんは今日ここに来たばかりで皆とは顔を合わせていないんだった。
伊智子は頭を上げ、それぞれを紹介する。

「うちで働くことになった小早川隆景さんです。隆景さん、こちらは黒服の趙雲さんです」

「始めまして。小早川隆景と申します。三成殿のご推薦を頂き、こちらにお世話になることになりました。出勤は明日からですが、よろしくお願い致します」

「そうだったのか。私は趙子龍。趙雲と読んでくれて構わない。こちらからも、よろしく頼む。小早川殿」

「隆景と呼んでください…ときに趙雲殿。先ほどのお話、少々詳しいお話をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

隆景の礼儀正しさに趙雲も気を良くしたようだ。
うむ、と頷いて隆景の要求を受け入れる。

「承知した…隆景殿。うちで働くとなれば、事の仔細を知っておいたほうが良いだろう。伊智子、お前も時間があるなら一緒に聞いておくといい」
「あ、はい。わかりました」

趙雲、隆景、おまけに伊智子といった面子は朝礼が終わったあともホールに残り、てきとうなテーブルを陣取った。
テーブルを挟んだ二つのソファの片方にまず趙雲が座り、正面のソファに隆景、伊智子と並んで座る。

ちょうど趙雲の背後にインテリアとして配置された槍のようなものがキラリと光っている。
槍はもちろん作り物で刃先もけずられているが、なんだかやけにしっくりくる組み合わせだなあ。と思った。


「お三方。ミーティングですか?喉渇くと思うんで、これどうぞ」


すると、その様子を見ていたらしい夏候覇が気を利かせて飲み物を持ってきてくれた。

細いグラスに入っているのはピンク色のしゅわしゅわした液体。
炭酸と、なにかのシロップが入っているのだろうか?
見た目も華やかなドリンクは女性にもウケが良さそう。
ここで提供される食事メニューは味は勿論見た目にもこだわらないといけないことを、夏候覇はよくわかっているみたいだ。

「わぁ、ありがとう夏候覇!」
「夏候覇。すまないな」
「いえ。これ、今考案中のドリンクなんです。よかったらあとで感想聞かせてください」

伊智子もよろしくな。ニカッと笑う夏候覇に、伊智子は「任せて」とこぶしを握る。

「私にまで…すみません。まだ部外者だと言うのに」
「いやいやいや。ここにいるってことは、うちの関係者なんですよね?部外者なんていわないで下さい」

隆景の発言をあわてて否定する夏候覇は、コホン、とせきばらいして背筋をのばした。

「俺は黒服の夏候仲権です。夏候覇って呼んでください。よろしくおねがいします」

そんな夏候覇に対し、隆景も立ち上がって腰を折る。

「ご丁寧に有難う御座います。私は小早川隆景。明日より医師としてお世話になります。よろしくお願いします」

隆景とおよびください。と微笑むと、夏候覇ははきはきと返事をした。

それでは、お話の邪魔してすみません。と、夏候覇は一礼してからその場を去った。
去っていく後姿を見る趙雲の目が、なんだか嬉しそうなのは気のせいではないだろう。
新米で、まだミスの目立つ後輩だが趙雲をはじめ黒服の重鎮たちが目をかけているのも事実。
それは夏候覇に伸びしろがあり、期待しているからこそ。

時には厳しい言葉を受けることもあるらしいが、その度にへこたれず前を向く姿を伊智子は何回も見ている。

きっと夏候覇は趙雲のように、しっかりとした黒服になるだろう。


しかし、そんな夏候覇いわく「考案中」のドリンクを一口のんだ瞬間真顔になった趙雲は、


「うっ!!」


とうなり声をあげた。
そのまま卓上の紙ナフキンを数枚引っこ抜いて口元にあて、しばらくだまっていた。こんな趙雲の姿は初めて見る。
伊智子も隆景もいきなりのことに面食らってしまい、このテーブルはシーンと静まり返ってしまう。

そしてそれをばっちり目撃してしまった伊智子は、ドリンクに伸びかけていた手をゆっくりと引っ込めた。

「………どうやら製品化は難しそうですね…」

同じように趙雲を見ていた隆景が小さく呟いた。

製品化もだが、夏候覇が一人前として認められるのもしばらくは…難しそうだ。

- 66/111 -
その名は劇物
*前 次#

しおりを挟む
小説top
サイトtop