知将のささやき
気を取り直して。
問題のドリンクはグラスをまとめて机の隅に置き、改めてお冷を用意して三人は額をつきあわせた。

心なしかげっそりして見える趙雲は…今は見ないふりをした方がおりこうだと思う。


「…この問題が明らかになったのは一ヶ月ほど前だ」


その頃よりうちに通い始めた一人のお客様が突然「昔の恋人につきまとわれている」と言うようになった。

もちろん、それを言われた手前クリニック側も対策を考えざるを得ない。
先ほど伊智子が隆景に伝えたとおり、「警察には言わないでほしい」と言われたとしてもだ。

他の女性客の安全を確保するのは勿論、現実にどんな事情があろうとも、ここは嫌なことを忘れてもらう場所だからだ。

それでも、できることは限られてしまう。
こちら側ができることと言えば、そのお客様を安心させるためにできることといえば、出迎えと見送りの黒服の人数を増やしたり、診察中も親身になって話を聞くことくらい。
それに、あまりにも一生懸命話すものだから、たびたび時間がオーバーした。

延長するかどうかを聞くと、必ず断ってさっさと帰っていくのだそう。


「なるほど……」


そこまで聞いた隆景は、形のよい唇に、これまた形の良くまっすぐ伸びた指をそっと添えて考える仕草をした。
その表情は「どうにもあやしいな」と言う感情が隠すことなくさらけ出されていた。

その気持ちは、ここにいる3人の共通点だったようだ。

しばし訪れた静寂の殻を伊智子がやぶった。

「…予約をしないって言うのも気になるんですよね」
「予約…毎回、飛び込みで診察にいらっしゃる。ということでしょうか?」
「そうです」
「確かに、そういわれてみれば…少しおかしいな」

「はい。通常ここによく通うお客様は皆、「お気に入り」がいるんです」


自分と気が合うから。対応が気に入ったから。顔が好きだから。なんとなく続いてるだけ。
理由はさまざまだが、何度もクリニックに通い慣れた「常連」たちは1人や2人、必ずお気に入り医師というものがある。
顧客情報を全て管理しているこちらは、どのお客様が何回目の来店でどの医師をいつ指名したのか、というデータが瞬時に確認できる。
その情報を見れば、多くのお客様に「お気に入り」がいるという傾向がみてとれるのだ。
そしてその「お気に入り」と確実に話をするために、必ずと言っていいほど予約をとってから来店する。

それなのに…このお客様は一回も予約をとって指名をしない。する気がないような気さえする。


「………」
「………」
「………」


三人はしばし押し黙った。悩んでいるような、それとも「これを言って良いものか」と考えているようにも思えた。

そんな中、隆景の凛とした声が響く。


「……少々、ご相談したいことがあるのですが」


隆景は真剣な表情だった。心なしか声も抑えているような気がする。
口のそばに手のひらを持って来て、内緒話をする手つきをする。

趙雲と伊智子は顔を見合わせ、そしてずいっと身を乗り出して耳をそちらに傾けた。


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