アクション映画さながらの
突如現れた不審者は、まさかまさかの人物だった。
ざんざんクリニックの人間を振り回した元凶となった人物。
このお客様が「つきまとい被害に遭っている」と言っていた元恋人そのものだった。
お客様の言葉を信じて警察に連絡をしなかった結果、逆上したストーカーにクリニックに乗り込まれるという最悪の事態に陥ってしまった。
伊智子は口元に手をあてて、サーーッと顔を青くした。趙雲さん、早く戻ってきて…
「も、もう付き合ってないんだから、浮気もなにもないでしょっっ!つきまとわないでよっ、ホンット迷惑なんだから!」
興奮したように叫ぶ男に負けじと、お客様もヒステリー気味に叫んだ。
しかし隆景の腕は離さず、むしろ隆景の体を壁にするようにしていた。
「うるさいっ、じゃあ俺がお前に渡した金全部返せよっ!こんなひょろひょろした男に入れ込みやがって…」
男は我慢できなくなったようで、固く握ったこぶしを振りかぶった。
「キ、キャアッ」
「落ち着いて…下さいっ!」
逆上した男が女性になぐりかかろうとした瞬間、隆景が胸元から何かを取り出し、それで思いっきり男の横っ面を吹っ飛ばした。
その瞬間ひどい殴打音がして、伊智子はつい目をつむる。およそ「落ち着いて」といいながら発するような音ではなかったのは確か。
「ウグッ……」
ボグッと音をたてて男にぶつかったそれはなかなかの重さがあったようだ。さすが、あのキャリーケースを軽々と持ち運ぶだけの腕力をたずさえた男の一撃である。
勢いよく走ってきた男はその衝撃にグラッとよろめき、打たれた頬を手で覆った。
脳が揺れてないかと心配になったが、まだ二本足で立ててはいるので問題はないだろう。
…かなり痛そうではあるが。
そんな中、ホールのほうから一際大きな声が響く。
「隆景殿!ご無事か!」
「趙雲殿。このとおりですよ」
走って戻ってきた趙雲だった。
隆景は本をふところにしまい、手のひらで男のほうを示した。
よろめいていた男は、打たれた場所を手でおさえながらふらふらと隆景たちのほうを睨みつけていた。
「お二方…今から私は長物を振り回すゆえ、少し離れて頂きたい」
趙雲は視線を男から外さずに隆景とお客様に向かって言った。
怯えて趙雲の言葉が耳に入らなかったらしいお客様の腕を、隆景が優しくひいてホールの端っこまで連れて行った。
そして興味深そうにホールを覗き込んだ伊智子を目ざとく見つけた趙雲は、そちらにも釘を刺す。
「お前もだ。何があるかわからぬ、身を乗り出すな。その中でじっとしていろ」
「うわはい…すみません」
言われてしまった…。伊智子はおとなしく椅子に座った。
その様子を確認した趙雲は、ようやく男に向き直る。
「そこの者」
なんと趙雲は槍を持っていた。
一体そんなものどこから、と思ったが、この一瞬の混乱の隙にホールに飾られていたレプリカの槍を持ってきたみたいだ。
作り物のはずの槍は、趙雲の手にしっかり握られているだけでまるで本物のようにキラリと光っていた。
趙雲は慣れた手つきでそれを振り回すと、腰を落とし槍の先端の照準を侵入者に合わせた。
そのままブンッと音がしそうなくらい早い速度で槍を右に振るうと、男は「ヒッ」と小さく悲鳴をあげて後ずさる。
「覚悟はよろしいか」
趙雲の声は今まで聞いたことがないくらい怒気を含んでいた。
決して優しいだけの人物ではないことは、伊智子も知っている。
けれど部下を叱咤するときの趙雲の声色とは何かが決定的に違うことを感じ取っていた。
趙雲は静かに、そして強い口調で男を見据え、もう一度口を開いた。
「趙子龍……いざ、参る!」
「うっ…ウワアァ!」
趙雲の声と厳しい眼光が男を射抜く。ワッと腕を高く上げ、槍を振りかぶった。
一瞬ひるんだ男だったが、やけくそとばかりに両手をブンブン振り回しながら勇敢にも趙雲に向かって行った。
「(な、何あの男の人…怖い!!)」
勢い良く、ただやみくもに突っ込んでくる男の勢いに何故か伊智子がビビってしまう。
エントランスの端っこで縮こまったお客様にしがみ付かれている隆景は、冷ややかとも見える表情でその光景を見ているし、当の趙雲でさえ1ミリたりとも動揺したところは見受けられない。
「はっ!!」
「ウワッ……うぐっ!!」
男の振り回す腕を最低限の動きでかわした趙雲。体勢をくずし後方へよろめいた男の無防備な背中へ、容赦なく趙雲の槍の柄が打ち据えられる。
パンッ!と小気味良い音を立てて背中に直撃した衝撃、そして痛みに男は悲鳴を上げて倒れこんだ。
「う、うぅ…」
四つんばいになって痛みに耐えていたが、逃げなければやばいと思ったのか、男は立ち上がれないままも体勢をくるりと反転させる。
しかし槍を片手にギロリと自身を貫く視線に腰が引け、悲鳴をあげながらじりじりと尻で後退する。
「ひっ…ひいぃ、こ、殺さないで…」
もはや男の目には涙さえ浮かんでいる。
命乞いまでしだした男の目の前で、趙雲は槍をブンと振り回すと男はまた「ヒッ」と悲鳴を上げた。
「命が惜しくば、去れ」
趙雲は見事な大立ち回りを見せた後、男の顔すれすれに槍を突き立て、そう言った。
弾かれたように立ち上がった男は、時々つんのめりながらも趙雲の横を通り出口へと走っていった。
「ひ、ひぃ、ひぃ……」
ほうほうのていでビルを後にする男の後姿はなんとも不憫なもので、よっぽど趙雲が恐ろしかったのだということがわかった。
「……ち、趙雲さん、すごすぎる……」
目の前で巻き起こったアクション映画のような勢いに、伊智子は少しちびりかけていた。
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