美しいひと

受付という仕事をしていると、クリニックに来るお客様全員と顔を合わすことになる。

女性といっても色んなひとが来る。
若い人、年をとった人、太っている人、背の低い人、口調が乱暴な人、声の小さい人、伊智子のことをワンちゃんと呼んで可愛がる人。

来店するお客様はさまざまで、個性的な人やしょっちゅう見かけるお客様は顔も名前も覚えてしまう。
それでもマニュアルとトラブル回避のために毎回名前を聞いて確認しなければいけないのはちょっと面倒くさいよな、なんて思ったり。


ところで伊智子はこの職場に身をおいてから、顔の良い男には大分免疫がついた。
それはもう、これ以上必要ないくらいついた。

顔がよくて、背も高くて、頼りになって、女性への気遣いや気配りもきちんとしてて、おまけにやっぱり顔がいい。

あとみんな、すごいお給料貰ってる…。


そんな人たちと普段気軽に話しているし、職場が一緒だし、ここにいるとそれが当たり前に感じてしまうけれど、それは絶対違うと今のところは理解できている。

うん、まだ大丈夫。ま、まだ…大丈夫。

しかし、ここにずっといたら一生彼氏とかできないのでは…と未来の自分を不安に思ってしまうことはたまにある。


(べつに彼氏欲しいとか、思ってるわけじゃないけど…)


そんなことを思っていると、エントランスの自動ドアが開くのを見て伊智子は背筋を伸ばした。
少し低めのヒールをコツコツと上品に鳴らしながら歩いてくる。
仕事帰りらしいその影に見覚えのあるものを感じ、心の中でだけアッと呟いた。


「おはようございます」
「おはようございます、予約をしているのですが、よろしいですか?」


久しぶりに顔を見る。多分、二週間かそれくらいぶりの来店だ。
伊智子は心のなかでそう思いながら、笑顔を浮かべていた。


「はい、恐れ入りますがお名前をお願い致します」


「稲と申します」


伊智子はこのお客様を認識している。
なぜなら、このクリニックに来店する女性客の中で一番…一番可愛いと思っているからだ。

受付という仕事はクリニックに来る全てのお客様と顔を合わす。
お客様の容姿で順列を付けるなんてよくないことだけど、どうしてもこのお客様の美しい容姿、控えめな態度、可愛らしい声は同性として本当に憧れてしまうのだ。
女の子のアイドルを見ている気分とでも言うのだろうか。

「指名医師は真田信之医師。「波」でお間違いはございませんか」
「…はい…」

きわめつけに、ポッと頬を赤らめて返事をする稲様はとてもお可愛らしい。
こんな女性と一緒にいられる信之さんって…多分世界で一番幸せだと思う。



そしてきっと、稲様は信之さんのことが好きなんだと思う。


なぜかと言うと。

それは稲様がはじめてこのクリニックに訪れた時までさかのぼる。



最初はご友人らしい甲斐様というお客様に引っ張られるようにして来店した稲様。
全く乗り気ではなかった上に、システムを説明しているとことあるごとに

「なんと…婚姻を結んでいない男女が…不埒です!」

「信じられません!不埒です!」

「不埒!」「不埒!」「不埒!」

と、このような感じで怒涛の不埒祭りにびっくりしてしまったが(「ふらち」の意味がよくわからず、あとで辞書で調べた)、まずは「伊」コースで様子見、担当医師は落ち着きがあって紳士的な真田信之さんをおすすめした。

気が乗らなさそうな稲様を、たまたま弟である幸村さんがお出迎えに来て、2人はホールのほうへ消えていく。


1時間。いつもはすぐに経ってしまう時間が、なんだかすごく長く感じた。
そんな時を乗り越えて、幸村さんに連れられた稲様が戻ってくる。


「……あれ、なんか、最初と雰囲気が違うような…」


伊智子は自分にだけ聞こえるくらいの小さい声で呟いた。

幸村さんに優しく手を引かれて歩く稲様は、どこかぽうっとした表情であさっての方向を向いていた。
心ここにあらずといった感じだ。
そんな稲様の様子を、幸村さんは心配そうにちらちらと見つめていて、自動ドアの前でお見送りをしたあとも、不安そうにその背中を見守っていた。

姿が見えなくなったのか、幸村さんは自動ドアから離れ、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。


「すみません、なんだか足元がおぼつかないご様子だったので。心配で」


照れたように言う幸村。伊智子は、そんな幸村の心くばりに微笑みを返した。

「そうですね。なんだか…ホールへ向かう時とは全く様子が違って見えたので、私も注目しちゃいました」

「はい。私も1、2度配膳でテーブルを訪れましたが…そのたびにお客様のご様子が変わっていくようでしたよ」

「そうなんですか。信之さんを推薦したのは正解でしたね」

「ええ。さすが兄上です」


あれだけ嫌悪感丸出しだったのに、先ほどの様子ではそのようなことは全く感じられなかった。
ひとえに担当医師である信之の功績だろう。
信之の紳士的な態度が稲様の心を癒し、警戒心もあっと言う間に解いてしまったのだろう。

その証拠に、稲様はご友人である甲斐様の付き添いがなくともクリニックをたびたび訪れるようになった。


もちろん、真田信之医師を指名して。

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