ある一冊のノート



「いたぜ、今日もあやしい男」



先ほど一人のお客様を見送りに行った甘寧は、そう言って休憩室にあるノートになにやら書きとめていた。
サラサラとペンを走らせ、パタンとノートを閉じる。

「はあ。しっかしよう、こんなことして本当に解決すんのか?」

甘寧はソファにどっかりと座り、疲れを一切隠さずに大きなため息をついた。
向かいのソファに座っていた于禁はそんな荒々しい甘寧の仕草に少し眉をひそめたが、心中を察してかそれについて何か言うことはなかった。

「信之殿にも何か考えがあるのだろう」
「ええ。于禁殿の仰るとおりです。兄上が何も考えなくこのようなことを指示するはずはありませんから」

于禁の隣に座る幸村も真剣な表情で頷く。正面の2人にそう言われた甘寧はおもしろくなさそうにネクタイをゆるめた。



先日の終礼で明らかになった問題は、クリニック全体の情報網を通して全従業員に通達された。
そして、同じときに信之から全従業員、特に黒服への「お願い」があった。

そのお願いとは…


「…客の見送りの時、その一瞬だけ、外を注意深く見回す。あやしい人物がいたら特徴を確認して、時間と一緒にノートに記録するだけ。とはね…」


壁にもたれかかり、腕を組んでソファのほうを見ていた徐庶が小さく呟いた。
甘寧は勢いよく徐庶のほうに顔を向けると、それだよ!!と大きな声を出して徐庶を指差した。

「おい、甘寧、人を指差すな」

「なんであやしい奴がいるってえのにとっ捕まえちゃいけねえんだよ!ああ、マジで腹立つぜ」

「お、俺に言われても困るよ…まあ、今のところ実際に被害にあっている場面に遭遇していないっていうのが理由だと思うけど」

甘寧はあやしい男を確認できているにも関わらず、手は出してはいけないということに歯がゆい思いを抱いているようだった。
そんなノートをつけ始めて、もう1週間は経つ。
未だに記録はとり続けるし、そのわりにこちらから動きを見せる様子はない。向こうもただこちらの様子を伺うだけで、手を出してくる様子もなかった。

…稲様は、しばらく来店を控えると信之に伝えたそうだ。

それなのに不審な人影はクリニックの様子を伺っている。一体何がしたいのか全くわからない。

半分八つ当たりのような言葉を受け、困ったように笑う徐庶は壁から移動し、ノートを手にとるとぱらぱらとめくりだした。



「しかし…この記録、妙だな」

立ち上がり、ノートをパラパラめくっていた徐庶が口元に手をあてて呟く。
その言葉を耳ざとく拾った幸村が疑問を口にする。

「…妙…とは?どういうことでしょうか、徐庶殿」
「…皆、これ、きちんと読んでいるかい?」
「あん?読むわけねえだろ、どうせ同じ奴のことしか書いてねえんだからよ」
「……本当に、そう思うかい?」

徐庶がそう言った瞬間、甘寧は勢いよく立ち上がり、ドスドスと音を鳴らして徐庶のいるほう、つまりはノートへと歩いていった。
幸村や于禁も、怪訝な表情をして2人の様子を伺っていた。

そして甘寧は徐庶の目の前までくると、手にもっていたノートを勢いよくひったくった。


「あっ」

「ふん、そんなに言うなら見せてみろってんだ!」

甘寧はふんと鼻を鳴らしながらノートを最初からぱらぱらめくりはじめた。
最初はどうでもよさそうに眺めていた甘寧だったが、そのきりっとした目元にじわじわと困惑の色が浮かんでいく。

「こんなノートの ど…こ……が……」

甘寧はいつしかノートに釘付けになっていた。
次のページにいったかと思えば、前のページに戻ったりと手元と視線は忙しい。

「お、おいこりゃあ…」

そんな甘寧の様子にしびれをきらした于禁は、すっくと立ち上がると甘寧のそばまで早足で向かい、持っていたノートを奪った。

「貸せ」
「あ、おいっ。俺まだ見てんのに」

ノートを読み出した于禁は、最初こそ疑いぶかい目で眺めていたが、それもやがて甘寧と同じように表情が変わる。

ノートを奪われた甘寧も、傍らで腕を組みながら「な、変だろ、それ」と言っている。
一部始終をうずうずしながらずっと見守っていた幸村は、「一体何が?」とおそるおそるたずねた。


ここにいる面々はほとんどがこのノートに記録をつけている。
徐庶だけは医師であるため、営業時間内に屋外を監視することができないのだが、それ以外、于禁、甘寧、幸村の三人は黒服の勤務中、お見送りの際に一時だけ屋外を見渡すことができるためその都度注意深くあたりを見回していた。


不審者はいつも見つかるわけではなく、時間帯によっては出没しないことが多々あった。

そのため、ノートには時間帯もきちんと記入してある。
見回した時間、不審者がいたかそうでないか、いた場合はその特徴。それらを一般的な枠線のついたノートに一行ずつ書きとめていく。
大体は1日1ページ程が埋まり、次の日になればまた新しいページに新しい情報が書き加えられていく。

だから、大半の者は気付かなかった。気付いても、たいしたことではないと思っていた。


「見かけた不審者の容姿が日ごと…かみ合わない。おそらくストーカーは…2人いる」


于禁が低く、うなるようにそう言った。幸村の表情が驚きで固まる。
徐庶も甘寧も妙な面持ちで、何かを考え込むようにじっと黙りこくってしまっていた。

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