徐庶とラーメン

今日はなんだか忙しくて、片付け作業にバタバタしてしまった。
時間が足りなくて、終礼がはじまるまでに仕事を全て終わらせることができなかった伊智子は、1時をとっくに過ぎた今も後片付けをしていた。


ちらばった書類をトントンと叩いて直し、ファイルにはさめて戸棚に仕舞う。


「…よし、これで仕事おわり!疲れた…」


なんか元気のでるもの食べたい。近くのコンビニでも行こうかな。
そう考えていると、玄関のほうに大きな影がフラッと見えた。あれは確か……


「徐庶さん?」


仕事着に軽く上着を羽織っただけの徐庶が、つっかけを履いて玄関に立っていた。
すでに人の影はなく、薄暗く静かなエントランスで伊智子の声は十分に響いたらしい。
気づいた徐庶がこちらへ顔を向けた。


「……ああ、伊智子。お疲れ様」


「徐庶さん、お疲れ様です。こんな時間に、どこか行くんですか?」


伊智子の何気ない質問に、徐庶はぽつりと応えた。


「ああ、ラーメンを…食べに行こうと思って」


「ラーメン?」


この時間に…ラーメン…?


いっ…


いいなーーーーーー!




いいな、いいな。深夜のラーメン、罪深い味。
そう思っていると、よっぽどもの欲しそうな目をしてしまっていたらしい。
徐庶が面白そうに笑った。


「……良かったら、君も一緒に行くかい?」


「いいんですか!?」


嬉しすぎるお誘いに思わず声が大きくなる。徐庶は優しく頷いた。


「俺のよく行く店なんだ。…女の子は、あんまり行かないだろうけど。それでもいいかい?」
「嬉しいです!ちょっと上着だけ着てくるので、待っててもらえますか?」
「もちろんいいよ。ここで待ってるから、急がないで来ると良い」
「はい!」


そう言うや否や、伊智子は走って階段をかけ上った。(後ろから徐庶が「転ぶと危ないから走るんじゃない」と言っていたが無視した)
自室に戻って上着を羽織り、財布を上着のポケットに突っ込んで、靴をスニーカーに履き替える。
急がなくていいといわれたが、急がずにはいられない!伊智子はわくわくしながら階段を駆け下りた。


「お待たせしました!」
じゃっかん息をきらした伊智子。徐庶はまた笑った。
「…じゃあ、行こうか」
「はい!」


二人揃って玄関を出る。
外に出てまず、徐庶は伊智子に向き直り、手を差し伸べた。


「…?」


「手…つないでいこう。一緒に歩いてても、何があるかわからない。夜は危ないからね」


俺なんかと手をつなぐのはいやかもしれないけど…外を歩いているときは我慢してほしい…すまない。
なんて、謙遜を含んだ徐庶の優しい言葉。
伊智子は「ぜひよろしくお願いします」と、自分の小さな手のひらを、徐庶の大きな手にのせた。
ギュッと握られた手は熱かった。




深夜だと言うのに、この街はいたるところにこうこうと明かりがついているし、人もたくさん歩いている。
美しく着飾った若い女性、肩で風を切りながら歩く若い男性、疲れた様子で歩くサラリーマン…


伊智子がもともと住んでいたところは住宅街だったし、夜中に外に出歩くなんて信じられなかった。


ここに勤めてから始めてのことばかりで新鮮だし、そのすべてが楽しくて面白い。
優しい大人の人たちがなにかと助けてくれて、自分はなんて恵まれているんだろうと思う。
今だって、「危ないから」とつないでくれた手の優しさが疲れた心にじんわり沁みてくる。
深夜までお仕事して自分だって疲れているのに…




「ああ…早くにんにくが食べたい」




とか思っていたら、徐庶が遠い目をしてぼやいた。
相当疲れているらしい。はやくラーメン屋に行かなきゃ電池切れで倒れちゃうかも。









わいわい、がやがや


「まいどありー!」
「いらっしゃいませー!」


「伊智子、ここは発券機で注文を決めるんだ。どれがいい?」
「え…えと…」


徐庶が「一番人気!大ラーメン」と書かれたボタンを押し、こちらを振り向いた。
メニューがたくさんありすぎて迷っていると、徐庶が隣から


「…迷ってる?俺が頼んだのは…少し量が多いから、この小ラーメンがおすすめだよ」


と言った。


その言葉に素直に頷き、徐庶に食券を買ってもらって、ちょうど2席空いたカウンター席へ座った。
ちょっと…なんか…この店すごい狭い気がする…。隣に座るおじさんの肩が近い…。


「いらっしゃいませー、食券頂きます」
「お願いします」


カウンターごしに元気よく声をかけてくれた店員さんに、徐庶が二人ぶん食券を渡す。
それからしばらく、徐庶がついできてくれたお水をちょびちょび飲みながらラーメンができあがるまでおとなしく座って待った。その間にも、人がどんどん入れ替わっていく。この時間でも人の動きが多くて、とても人気があるお店なんだろうなと思った。
しばらくしてからさきほどの店員がまた顔をだしてきた。


「お客さん、どうします?」
「ヤサイニンニクアブラで」


え!?今なんか呪文いった!?
疑問に思っていると、徐庶は笑いながら教えてくれた。


「無料のトッピングをお願いできるんだよ。試してみるかい?」
「え…?はい…」


コール?トッピングが無料?ちょっと意味がわからない…
明らかに気後れしている伊智子に軽く笑った徐庶は、「こっちの子も同じので」と店員に頼んでくれた。


「はい、お待たせしましたー、こっちが大ラーメン、こっちが小ラーメンね」


「ありがとう」
「あ、ありがとう…ございま…す…」


店員さんが勢いよく机においたラーメンは、伊智子の知ってるラーメンと違った。
まず目に飛び込んでくるのは高く積み上げられたキャベツともやし。ゆでてあるのかしんなりしている。
その野菜の上に茶色いどろっとした何かと、白く小さななにかが散らばっている。


てか、麺が見えないんですけど。


「…はやく食べないと冷めるし、麺がのびてしまうよ」


かつてない見た目のラーメンに目を白黒させていると、横から徐庶の声が聞こえて我に返った。
パッと徐庶のほうを見ると、伊智子の倍くらいはありそうなラーメンに勇敢にも箸をつっこんでいた。


「は、はい…いただきます!」


おはしをパキッと割って、おそるおそる野菜の山に挑む。茶色いものと白いものがかかったもやしを口に入れる。
口にいれた瞬間に、もやしのシャキッとした食感と甘辛い味、そして鼻に抜ける独特の香り…。


「…あぶらとにんにくだ」


そうか、ヤサイニンニクアブラって、野菜とニンニクと油トッピングの意味だったのか。
野菜が進むように味付けされた油がとても美味しい。疲れているからか、箸がとまらない…。
一心不乱に野菜を食べていると、ようやく麺が見えてきた。

「わあ………」

伊智子がふだん食べるラーメンとは違う、平べったくて太い麺だ。器の中にぎっしり詰まっている麺は、見るからに食べ応えがありそう。太い麺をすくい、口にいれる。少し固めに茹でられているのか、野菜を片付けるのに時間がかかったけれど麺は全くのびていなかった。




「……美味しい!」




思わず声がでてハッと口をふさぐ。いけない、ここは外だった…。隣に座る徐庶が「良かった」と笑った。


「徐庶さん、よく来るって言ってましたけど。ここのラーメンはよく食べているんですか?」
「ああ…割とよく来るよ。来るときは理由があるけどね」


「…理由?」




「……今日、パフェを1つと、パンケーキを3つ食べたんだ」




そう言ったあと、徐庶は勢い良く大きな豚肉にかぶりついた。
耳に飛び込んできた暴力的な数字に驚いて、伊智子は思わず徐庶のほうを二度見した。


「予約が3人、飛び込みが1人。みんな、甘いものを食べたがって…ていうか、俺に食わせようとするんだ」


徐庶は普段、決してハキハキと元気よくしゃべるほうではないけれど、今この瞬間と比べたら普段の様子は大分調子がよさそうに見えるくらい、徐庶はどんよりとしていた。


「断ることもできないし…我慢して食べたんだけど…最後のほうは、作ってくれた人には悪いけど吐くところだった」
今の徐庶さんなら多分、パンケーキにしょうゆかけて食べそうだな。


「だから無性にしょっぱいものが食べたくなった時は…ここに来るんだ」


徐庶は心から美味しそうにラーメンを勢いよくすすり、スープを飲んで


「ああ…美味かった」


と満腹のためいきをついた。











なんとか伊智子もラーメンの山を完食し、長居は無用とさっさと店をあとにした。あー、今ぜったい自分にんにく臭い…。

「全部食べたのには少し驚いたよ、伊智子」
「最後の方ちょっとつらかったけど、美味しかったから全部食べられました」
「そうか」

始めて来たラーメン屋は、色々なところにちょっと驚いたけどとても美味しかったし、仕事の疲れも吹っ飛んだ。
ねねさんのご飯は最高に美味しいけど、たまに外食も美味しいな。


店を出たところで、伊智子は大事なことを思い出す。


「あ、ラーメンのお金、払います」


なんか流れで食券を買ってもらってしまってた。忘れないうちに返したい。
徐庶は軽く笑って首をふった。


「いい、ラーメンくらい…気にしないでくれ」
「でも…」


自分から行きたいって言ったようなものだし、ラーメンだって安くない。
どうしても申し訳ない気持ちが勝ってしまう。


「…ええと、そうだな。…じゃあ、俺の愚痴を聞いてくれたお礼ってことで、受け取ってくれないかな」
「……ラーメンがなくっても、愚痴くらいいつでも聞きますよ?」

伊智子はキョトンとして言った。


「そうだな…君はそういう子だったね。」


徐庶はそう言って伊智子の手をとり、「ラーメン二十郎」とのれんのかかった店から歩き出した。


「俺は…いや…俺達は、いつも君のそういうところに癒されているんだよ」


伊智子の手を握った手がキュッとなった。




「いつもありがとう」




徐庶は伊智子の顔を見て、そう言った。




「…徐庶さん。またラーメン食べに来たいです」
「はは。…ラーメン屋じゃなくてもいいよ。いつでも連れて行くから」




伊智子のおねだりに、徐庶は優しく笑って応えてくれた。
その言葉のとおり、徐庶は仕事が終わったあと、たまーに伊智子をあの店に連れて行ってくれ、ぽつりぽつりと仕事の愚痴をこぼしていくのであった。






…これは後日の話だけれど。
あんまりにも深夜のラーメンが嬉しかったので、その時たまたま一緒にいた関索に

「徐庶さんに二十郎っていうラーメン屋につれていってもらったんですよ」

と話した。
何故かそれを言ったら関索は

「は……?二十郎……?」

みたいな顔をしたが、あまり気にしていなかった。

しかし、次の日廊下で

「徐庶殿。伊智子を二十郎に連れて行ったと聞いたのですが、正気ですか?」

と関索に詰め寄られている徐庶を見かけた。まさか気狂いを疑われているとは。
徐庶は見ててかわいそうになるくらいタジタジになっていて、ちょっと面白かった。
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