徐庶とラーメンその2-1


うだるような暑さがここ連日続いていた。
気温に加え、むせかえるような気温が体温を奪っていく。

クリニックはエントランス、ホール、個室、厨房、事務室、休憩室、個人の部屋に至るまで全室エアコン完備だ。
しかし女性というのは強いエアコンが苦手な方が多い。
それに、日差しや照り返しの強い屋外から急にエアコンのよく効いた室内に入ると温度差に体がついていかず、体調をくずす原因にもなる。

そのため、お客様が訪れるエントランス、ホール、「波」用の部屋は全てエアコンの温度設定が控えめにしてあった。
来店されるお客様は夏らしく薄着で来られるので、温度についてクレームがきたことはない。

しかし困ったのは従業員のほうだ。

黒服や受付は上下しっかりスーツを着てネクタイまで締める。夏用のスーツではあるが、それでも暑いものは暑い。
服装の規定がない医師も、さすがにTシャツ短パンでお客様の前に出るわけにはいかない。
それなりにフォーマルな格好を求められるため、それはもう 暑い。暑いったら暑い。


「………ラーメン食べたい」


じんわり浮かんだ汗で額を濡らしながら、廊下にへたり込んだ徐元直はうつろな目でそう言った。






「あー、今日も美味しかったです! 徐庶さん、ごちそう様でした」
「いいよ。それにしても、伊智子も大分食べられるようになったね…」

太陽がさんさんと照りつけるお昼時。
クリニックの医師である徐庶と新人受付の伊智子は2人並んで、お昼休憩中の会社員でひしめく街を歩いていた。

今日は平日だが、クリニックの医師と黒服、ならびに受付である伊智子は定休日以外もシフトで休みがもらえる。

たまたま休日だった徐庶は、昼飯にラーメンを食べに行こうとでかけるところをたまたま伊智子に会った。
そしてタイミング良く伊智子も休日だったため、2人でいつものラーメン屋へ向かった。

この時間の「ラーメン二十郎」は、昼休憩のサラリーマンで溢れ返り、深夜よりも人の回転が早いように感じた。
伊智子はこころなしか膨らんだおなかをさすりながら満足気な表情だ。

「朝ごはん食べてなかったので、おなかすいててがっついちゃいました」
「そうか…若さだな。美味しかったのならなによりだ………うん」
「…?」

何か言いたげの徐庶。
伊智子は首をかしげ、徐庶を見つめた。
その視線に気付いた徐庶が言いにくそうに言葉を搾り出した。


「……女の子はこういうラーメン屋、本当は嫌なんじゃないのか?」


徐庶が初めて伊智子をラーメン屋に誘った数日後。
その話をどこからか聞いた関索が、廊下で徐庶とはたと目を合わせたあと、つかつかと近寄って徐庶につめより、

「徐庶殿…伊智子を二十郎に連れていったと聞いたのですが。正気ですか?」

とのお言葉を頂いてしまった。
年齢が数個も下の関索に鬼気迫る表情で言われた徐庶は「はい」と頷くしかなく(隠すことでもないのだが)、その後再び顔を合わせた時もあれこれと小言を聞かされる羽目になってしまった。

「徐庶殿。ご無礼を承知で申し上げますが、女性をあのような油くさく、慌しいところに連れていくのはおすすめできません。女性とは等しく食後になにかと語りたがる生き物なのです。せめてゆっくりできる、できるだけ清潔で落ち着けるところに連れて行ってあげてください。二十郎に行きたいのでしたら私がお付き合いします」
「…いや、別に付き合ってくれとは言ってない…」
「後ほど、女性に人気のお店をいくつかメールでお送りしますから」
「いやだから…、関索…」
「では、私はこれから予約が入っておりますので。急に失礼致しました」

言いたいことだけ言った関索はサッサとホールへ向かっていってしまった。
次の予約までしばらく余裕のある徐庶はしばらくその場に佇んでいたが、ハァとため息をついて、くちゃくちゃの髪の毛をワシャワシャとかき回した。

程なくして関索から届いたメールには、パンケーキやらオーガニックの野菜専門の店やら、ルイボスティーだかなんだかの敷居の高そうな喫茶店、インスタ映え必至の奇抜な見た目のスイーツ店などがずらりと並んでいた。
口コミサイトのURLも一緒に添付されていて、徐庶は適当なところをクリックした。
すると目がチカチカするような商品画像が目にとびこんできて、徐庶は目をぱちくりとさせた。
それに加えて、目の滑る口コミ投稿などを読んでいるとなんだか行き気がなくなってしまった。

このような場所、関索のような人間や、行きたい人だけ行けばいい。どうも自分には合いそうにない。
そう思い、徐庶はそのメールを最後まで読むことなく携帯を閉じた。






そんな理由もあって、徐庶は「ラーメン屋は嫌じゃないのか」とたずねたわけだが…


「……?いえ、別に?徐庶さんに連れてきてもらって初めて来ましたけど…美味しいと思うし、それになんか新鮮で、楽しいです」

当の伊智子は全く気にしていない様子だった。
それに、と続ける。

「徐庶さんが連れてきてくれるところに、嫌なところなんてありませんよ」


「…………そ、そうか。それなら…いいんだけど。ジュ、ジュースでも飲むかい?」


伊智子のまっすぐな目に見つめられ、居心地が悪そうに目を逸らした。

徐庶は伊智子の返事も待たずに近くの自動販売機まで早歩きで向かった。
正直腹がぱんぱんであまり水分が欲しいとは思っていなかったが、返事をする前に小さなペットボトルを手渡されてしまった。

「あ、ありがとうございます…」

…いや、いいんだ…。と、徐庶は伊智子から顔をそらして一人缶コーヒーを飲んだ。

なんだかいつもと違う徐庶の様子に伊智子が顔を傾げていると、遠くの方からにぎやかな声が聞こえてきた。
その声は複数で、若い。


「…さーん!」

「徐庶さん!」

「……徐庶さん!!徐庶さーん!!」


「…えっ、なんで、お前たち…」

そのにぎやかな声の主たちは一直線に徐庶の元へ駆け寄ってきた。
徐庶も少々驚いた様子だったが、顔見知りらしく言葉を交わしていた。


「徐庶さんだ!お久しぶりです!!!」

「こんなところでお会いできるなんて…!」


「徐庶さん」「徐庶さん」とわらわら徐庶のまわりに人が集まってきた。
5、6人の男女達は、徐庶とはなんだかタイプが違って見えた。
露出の多い服を着て、派手な髪色をしている。
一体どんな関係なんだろう…と思って眺めていると、集団の一人が伊智子のほうを身ながら、徐庶の耳に口を近づけて

「徐庶さん、あれ今のオンナですか?趣味変わりました?」

「ぶっ…!!!」

などと言い放った。徐庶と、不運にもしっかり聞こえてしまった伊智子は揃って口に含んでいた飲み物を噴き出した。


「ちょ、ちょっと。何を言い出すかと思ったら、」

「だって徐庶さん、俺らのチームいた時はもっとギュンギュンなオンナばっか連れてたじゃないっすか」

「ぎ、ギュンギュンの女」

どんな女だ。と思っていたらつい口をついて出てしまった。

「口にだすんじゃない、伊智子やめなさい。聞くんじゃない」

徐庶にそう言われ、伊智子は口をつぐむ。

「今日はデートっすか?」
「趣味は変わったかもしれないけど、可愛らしい彼女さんですね、徐庶さん!」

「いやだから…」

矢継ぎ早に質問を浴びせかける若者たちに、徐庶はとうとう困ってしまった。
この者たちに一切の悪意はなく、純粋な好意からのことだというのは分かっている。
だとしてもこの勢いに徐庶は明らかに参ってしまっているようだった。

「…あ、やべ、もうこんな時間」
「本当だ!徐庶さん、ウチらこれからチームの集まりがあるんです。スンマセン、失礼します!」
「今度飲みに連れてってくださいねー!!」
「彼女さんとお幸せにー!」

そう言って、嵐のようにやってきた男女たちは、また嵐のように去っていった。
2人残された徐庶と伊智子だけが、気まずい雰囲気の中佇んでいた。


「えー…っと。…すまない」
「…いえ……。お知り合いですか?」
「……えっと、あ、あれは…」



徐庶が何か言いかけたその時、先ほどの男女が消えた方向とは逆のほうから、見知らぬ男性の声が響いた。




「……元直。お久しぶりですね」

「いやあ、驚いた驚いた。元直とこんなところで会えるなんてね」




その声を聞いた瞬間、徐庶はバッと振り向いた。
そして、ひどく驚いた様子で目を見開いた。


「…孔明!士元!随分久しぶりだな…大学卒業以来か?いつこっちに…?」

「つい先日です。」
「いやあ、元気そうでなによりだよ…それに」

突如現れた二人組のうち、一人が伊智子のほうを見て言った。

「元直も隅におけないねえ。どこでこんな娘さん見つけたんだい」

「…だから!違うんだってば。ああもう、彼女は俺の恋人なんかじゃないよ。失礼だろう」

「おや。違うのですか?先ほど、恋人だといわれても否定していなかったので、つい」

「いつから見ていたんだ…」

どうやら徐庶とこの二人組は気の置けない間柄らしい。
しばらく話しをした後、徐庶は伊智子のほうに近寄って二人に背を向けようとした。


「…じゃあ、俺たちは急ぐから、これで」

「久しぶりの再会なのに立ち話もなんだ。どこか涼しいところにでも行かないかい?」

「いやだから、」

「あなたもどうですか?美味しいパンケーキをご馳走しましょう」

一人の視線が伊智子に向いた。その言葉を聞いて、伊智子は満腹なのも忘れて目をきらきら輝かせる。

「孔明、ちょっと」

「パンケーキ食べたい!」

伊智子の返事を聞いた徐庶は何か言おうとした口を閉じた。

「………」
「決まりだねえ」

「すぐそこです。さあ、行きましょう」

そう言って徐庶の友人二人組の先導で人ごみのなかを歩いた。
伊智子と並んで、二人の後ろを歩く徐庶は小さなため息をつく。

「…あのさ。君たちって本当…人の話、聞いてくれないよな」

「聞こえてはいるさ」
「ええ、聞いてはいますよ。安心してください、今から行く店、パンケーキ以外にも色々ありますから」

「そういうことじゃなくてだな…はあ、もう、いいや…」

徐庶は降参、というように頭の後ろをがしがしとかいた。
その光景を眺めながら、なんだか今日の徐庶さん、面白い。伊智子はそんなことを思っていた。






徐庶と久しぶりの再会を果たした二人、そして伊智子は少し歩いて目的地の喫茶店へとたどり着く。
クーラーのよくきいた店内へと足を踏み入れた。

若い女性客や若いカップルで溢れかえる店内に、4人の姿は少々浮いていたが、周りはこちらなど見向きもしていないので問題ない。

ほどなくして可愛らしい女性店員がお冷とメニューを持ってテーブル席に案内してくれたので、伊智子は看板メニューのふんわりパンケーキを、徐庶以外の2人はアイスコーヒーを頼んでいた。


「元直、あなたは?私たちが誘ったのだし、ここは持ちますから好きなものを選んでください」
「いや…俺はいい。胸がむかむかしているから」
「あなたね…年も考えず油っこい物食べるからでしょう」
「半分は君たちのせい…いや、なんでもない。アイスティーを一つ」
「ただ今アイスティーにプラス100円でアイスルイボスティーに変更できますがいかが致しますか?」
「え…あ…じゃあ、はい、それで…」
「かしこまりました」

店員はメニューを持って下がっていく。
その後ろ姿を見ながら、伊智子は徐庶の耳元にささやく。

「ルイボスティーってなんですか?」
「…さあ?わからない。女の子は好きなのか?こういうの」
「少なくとも私はなんなのかさっぱり…ティーってつくくらいだからお茶じゃないですかね、やっぱ」
「だよなあ…」

そう言って、二人仲良く首をかしげた。


その時、思い出したように口を開いた人物が二人。

「申し遅れました。私は諸葛孔明。諸葛亮とお呼び下さい。元直とは大学の同期です」

「あっしはホウ統、字は士元。同じく元直とは大学の同期でね…あっしら3人、ずっとつるんでたねえ。懐かしい」

ホウ統と言った人物が昔を懐かしむように目を細めた。
自己紹介を受けた伊智子は、徐庶からパッと離れて頭を下げた。

「私は伊智子です。徐庶さんは職場の先輩で、たまにラーメン屋さんに連れていってくれてとても優しいです!」

「伊智子、この二人の前で余計なことは言わなくていいから…」


「…へえ、ラーメン屋ですか」
「…元直、伊智子ちゃんが優しいお嬢さんでよかったねえ」

「……」

とうとう徐庶はお冷を飲んで黙ってしまった。



- 99/111 -
徐庶とラーメンその2-1
*前 次#

しおりを挟む
小説top
サイトtop