モテる要素とは

「伊智子、ちゃんと食べていますか?ほら、これどうぞ」

そう言って、蘭丸が目の前にあった料理を取り皿によそってくれた。ねぎが豚バラ肉で巻いてある。
こんがり焼かれたそれは、ごま油の香りが最高なおつまみだ。

「蘭丸さんありがとう!ねえねえ、半分こしよ?」
「…もう、食い意地が張ってるんですから」
「バレましたか、えへへ」

張苞さんが腕をふるった料理は文句なくすごく美味しい。
美味しいけど、全部まともに食べたらすぐお腹がいっぱいになってしまう。
だから、たくさんの種類を少しずつ食べたい。
あつあつのから揚げも、ふっくらした出し巻き卵も全部食べたいし、一口サイズに丸めてくれたおにぎりは具の種類がたくさんあって全種類制覇するのは至難の業だ。
だから蘭丸には協力してもらう。
もちろん本人には、その思惑が透けていたらしい。
しかし蘭丸も、口ではチクリと言いつつもその顔は優しげだった。



「蘭丸ー、そんなに世話焼くなよ、そのうちお母さんって言われるぞー」


「張苞殿にだけは言われたくありません」
「え?」

からかってきた張苞は、すかさず蘭丸にツッコまれてしばらく「はて?」みたいな顔をしていたが隣でゴソゴソ動く関興に視線を戻すと、途端にあわてた様子でそちらに向き直った。

「おい関興、机の端っこにグラス置くなよ!こぼれるぞ」
「え、あ…ありがと、張苞…」
「全くおまえはしょうがねえなぁ」

このとおり、張苞のほうがよっぽど「お母さん」していたのであった。
しかし、あれこれと世話を焼く張苞も、それを当たり前のように受け入れている関興も、伊智子たちにとってその光景がもはや見慣れたもので、もはや別に何の感情もわかないのであった。



「なあ伊智子、知ってるか?」


張苞と関興のやり取りをボーッと見ていると、隣から李典が声をかけてきた。
同時に肩に手を回してきて、顔がグッと近づいた。酒くさっ。

「な、なんですかぁ…」
「関平は張苞の妹に惚れてんだぜ」

「ぐふっ り、李典殿!」

蘭丸に手をはがされた李典は、なんと関平の好きな人を伊智子にチクった。

関平は張苞の妹さんが好きらしい。

想い人を暴露された関平は、口に含んだお酒をふきだして大変なことになっている。
顔も真っ赤だ。かわいそうに。

「もー、李典さん、人の好きな人勝手にバラしちゃだめですよ」
「いや…いいんだ伊智子。もう皆にはバレているから」

バ、バレてるんだ。しかも皆に。

「兄上は分かりやすいですからね。気付いてないのは、星彩殿くらいではないでしょうか…」
「えええ…」

弟の関索にまでこの言われようだ。どんだけわかりやすいんだろうか。

今までの話を聞いていた張苞は関興のお皿に料理をとりわけながら、理解に苦しむといった顔をして関平のほうを見た。


「関平さあ…俺程じゃねえけど顔もいいし、女にももてるから将来有望なのに、女の趣味だけは残念だよな。あんな大飯喰らいのどこがいいんだ?料理は食べる専門だし、しかもすげえ喰うし、ほぼ毎日どついてくるし…」


「な……、なんでどつくんですか?」

“俺ほどじゃないけど”って自分で言っているところが気になるが、今はそこにツッコむのはよそう。
伊智子の素朴な疑問に対し、張苞はウーンと顎に手を置いて考え始めた。

「え?そりゃあ…俺が星彩の楽しみにとっておいたアイスを喰ったり、朝トイレを長い時間占領したり…?」
「完璧に張苞が悪いやつだろ、それ」

私も朱然さんと同じ気持ちである。伊智子は心の中で大きく頷いた。



「いけませんよ、張苞殿。妹君が怒るのも無理ありません」



その時。
騒がしい酔っ払いの集団の中に、一人正気を保つ凛とした声が響く。
部屋にいた全員は、声の出所の方向を一斉に向いた。

ドアのそばにいたのは…


「陸遜!」
「みなさん、お疲れ様です」


家の集まりで遅れる、と言われていた陸遜だった。


「今日来れたのか、こっち座れよ」
「いつのまにいたんだ?全然気付かなかった」

「陸遜さん!こんばんは」

「こんばんは、伊智子、みなさん」

陸遜は変わらぬ笑顔を向けた。

クリニックにいるときは大学の帰りが多いので、わりとカジュアルな服装が多いけれど、今日は格好いいジャケットでばっちりキメていて、髪の毛も少しセットしている。なんだか陸遜さんじゃないみたいだ。


「鍵が開いていたので勝手に入らせて頂きましたよ。ずいぶんとお話に夢中でしたね」

「………」

テンションの上がった面々のお出迎えを受けている陸遜を、ぼんやりとした目で見つめているのは関興だ。食べ物をもぐもぐしながら。

「……んー…」
「?関興?どうしたんだ?」

張苞も不思議そうに声をかける。

そして、一言。



「……陸遜、くさい」


「…えっ?わ、私ですか…?」


そう言って、関興は眉根をひそめてプイとそっぽを向いてしまった。

関興の言動に地味にショックを受けた陸遜は、自分の服を嗅ぐように鼻を近づけた。
伊智子も近くにいたので鼻をひくつかせたが、気になるような悪臭が陸遜のほうからすることはない。
そもそも陸遜が「クサイ」ことは今まで一度もなかったのだ。

むしろ今は、この男くさい、酒くさい場にそぐわないような良い匂いがする。

それこそ、普段の陸遜からは香らないような匂いだ。


「ん…確かに陸遜さんから甘い匂いがします。今日は香水つけてるんですか?」


いつも陸遜からはせっけんや、柔軟剤のような清潔ですっきりとしたいい匂いがする。

今日は家族の集まりがあると言っていたし、もしかしたらそのせいでつけていたのかもしれない。
少し甘すぎるような気もするけれど…。


「?…いいえ、香水の類は普段から…………」


つけておりません。
そう言いかけた陸遜は、とたんに不機嫌な顔になる。

「!?」

急な表情の変化に伊智子がびっくりしていると、事情を読み取った朱然が面白そうにニヤニヤしていた。


「またやられたのか陸遜。うらやましいぜ」
「…朱然殿。思ってもないことを仰るのはやめてください」
「あっはっは。わりーわりー」

陸遜は朱然の冗談に少々困った顔をしてジャケットを脱いだ。
どこからかハンガーを持ってきていた関索がそれを受け取り、移り香を嗅ぎ取って納得したように頷く。
どうでもいいけどみんなここ、自宅だと勘違いしてないか?

「本当ですね。女性ものの香水です。今人気のブランドですよ」
「…関索。お前は本当にくわしいな…」
「お客様が教えてくださるのですよ」

関索の情報量に感心する関平だが、その声色にはさまざまな感情が入り混じっているようだった。


ジャケットを脱いだ陸遜は、やっと開放された、とでも言うように肩や首をもんでいた。
陸遜が疲れているなんて、めずらしい。たまに事務室に顔を出すと、半兵衛や元就に無茶振りをされている様子をよく見るけれど、今ほど疲れた顔はしていないはずだ。

「…陸遜さん、大丈夫ですか?」
「…家の集まりほど窮屈なものはありません。一日中半兵衛殿や元就殿にこきつかわれていたほうがずっと良いです」
「そ、そんなにですか」


伊智子が驚きに目を白黒されていると、朱然がグラス片手にこちらにやってきた。


「陸遜はさ、ちょっと家の方針が固いから、親族とか関係者の集まりが多いんだ。そういうとこでいつも、興味ない女の子にすり寄られて大変なんだ。苦労してるんだぜ、こいつも」

「そこまでは言ってませんけど…まあ、そのようなところです」

さきほどの甘い香りは他の人からの移り香だったのか。しかも女の人。
確かに嫌味のない甘い香りで、もし素敵な女の人からあの匂いがしたらドキッとしてしまうかもしれない。

でも陸遜さんの疲れようは相当だ。きっと沢山の女の人にモテモテだったのかなあ。


「お。お疲れ様です…。陸遜さん、かっこいいし、すごく優しいですもんね。明らかにモテそうだし」


純粋に陸遜をねぎらって言ったつもりだった。
しかし、それに反応したのは関係のない朱然だった。何故。

「おい、俺だって同じくらい大学でキャーキャー言われてるぞ」

「なんですか急に…。朱然さんもかっこいいですよ」

なんか急に張り合ってきた。
伊智子はちょっと面倒くさいな…と思いつつ適当に返す。べつにウソは言ってない。朱然だってクリニックの人気医師だ。

「てきとー!適当だろそれ!」

「えぇ…」

しかしアルコールの入った朱然はお気に召さなかったようだ。
絡んできそうな不穏な空気に困っていると、背後にいた陸遜が朱然に声をかける。



「おや朱然殿。グラスが空ではないですか、次は何飲むんですか?」


声をかけられた朱然は一時停止して、伊智子からグラスへと視線を動かした。
そこで初めてグラスが空になっていることに気付いたらしい。
朱然はいくらか気分があがったようで、次はなにを飲もうかな、とあたりを物色した。

「おっ…そうだなあ……んー、そこの日本酒がいいな」
「はい、どうぞ。グラス動かさないでくださいね」
「サンキュ!」

陸遜は朱然の近くにあった日本酒を手に取ると、朱然が掲げたグラスに静かに注いだ。
グラスが満たされたことで、伊智子の適当な対応なんてすっかり頭から飛んでいったらしい朱然は、ニコニコして景勝たちのほうへ戻っていってしまった。

その場に残された伊智子は陸遜に向き直ると、ありがとうございます、と小さくお礼をした。
陸遜は「なにがですか?」としらばっくれている。わかってるくせに。


「…こういうところですよ、陸遜さん」

「え?…ふふ、そうかもしれませんね」


すごく優しくて、たくさんの女の子に勘違いされちゃうところ。
暗にそう言えば、陸遜は薄く笑った。その笑顔はいつも見るさわやかな陸遜の笑顔だった。


「でも、伊智子殿だから助けてあげたいと思ったのですよ」
「え」

「おーい陸遜、お前もこっちで飲めよ!」


「今行きますよ――では、失礼」


陸遜にはめずらしくいたずらっぽく微笑んだかと思うと、グラスを持って朱然達のほうへ行ってしまった。
伊智子はしばらく放心していたが、やっとからかわれたことに気付き、正気を取り戻すようにジュースを勢いよく飲み干した。

その光景は蘭丸にばっちり見られていて、ものすごい顔をされてしまった…。


陸遜さん相手だったら仕方ないって!

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