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とある休日の昼下がり、朝から片付けに明け暮れた私は、息抜きに近くの公園に来ていた。




どれくらい時間が経っただろうか、公園のベンチに座り呆けていると、どこからともなく現れた侑くんが、私の目の前に立っていた。




「ど、どうしたの?」


何やらひどく慌てた様子の侑くんを、心配そうに見遣る。




「名前ちゃん‥‥なんで?‥‥なんで転校するって早く教えてくれなかったん??」


切なそうに言う侑くんの言葉に、少し目を見開いた。


私が転校することは担任の先生にしか伝えていないのに、何故侑くんが知っているのだろうか。




「もしかして‥‥また私んち行ったの?」


『いつものようにアポ無しに訪問して、私のお母さんから聞いたに違いない』と考えた私が疑い深く尋ねると、ばつが悪そうに侑くんが頷いた。




「‥‥ほんで名前ちゃんのお母さんが教えてくれてん。まあ、玄関にパンダの段ボールがぎょうさんあった時点で、嫌な予感はしたけどな。明後日にはもうここ引っ越すんやろ?2週間前から分かってたんなら、なんでもっと早く教えてくれなかったんよ‥‥。」


眉を下げながら言葉にする度に、どんどん悲しそうな表情へとなっていく。




「‥‥‥‥私さ、今までたくさん転校したんだ。小学校の時に4回、中学校の時に2回、高校は次で2回。学校に慣れてきたなーって思ったらまた転校の繰り返し。まあでも、お父さんの仕事の都合だから仕方ないんだけどね。」


視線を落とし、呆れたようにぽつりぽつりと呟く。


高校卒業までずっと稲荷崎に通えたらいいなと思っていたのに、今から2週間前、東京への転勤の辞令が下された。


転校は慣れたつもりなのに今回ばかりは何故か私も悲しくて、涙が溢れそうになるのをぐっとこらえながら話を続けた。




「小学校の時にね、凄く仲よかった子と転校で離れ離れになってからは、手紙のやり取りをしていたの。最初は『名前ちゃんに会いたい』って感じの内容だったのに、次第に新しく出来た友達の内容になって、気づいたら手紙は全く来なくなったの。そのことがきっかけで『すぐに転校する私のことなんて、みんな忘れていっちゃうんだなぁ』って気づいたし、友達にも言わずに黙って転校するようになったんだ。」


どうせみんなは私が転校したとしても、一時期在籍していた、ただの転校生としか思っていないだろう。


『来るもの拒まず去る者追わず』の精神で、友達付き合いをし始めたのもそれからだった。




「名前ちゃんは‥‥俺が名前ちゃんのことを忘れていくと思ったから、転校するの内緒にしてたん?」


「うん‥‥‥‥そう‥‥だね。」


侑くんに不安そうに尋ねられ、消え入りそうな声で答えた。




「名前ちゃんのアホ!!」


「えっ‥‥?」


一喝に驚いた私は、侑くんの顔をキョトンと見上げる。




「いやアホちゃう、ドアホや!!名前ちゃんはどうしようもないドアホや!!もうほんま、なんやねん!!」


感情剥き出しな侑くんに怒鳴られ、悄然として俯く。


そんな私に気づいた侑くんが小さくため息をつくと、決まりが悪そうに自分の頭をくしゃくしゃっと掻いた。




「俺が名前ちゃんのこと忘れるわけないやん‥‥。忘れろって言われても絶対無理やし、というか忘れるつもりもないけどな。大体転校するって知った時なんかめっちゃパニクって、ここまで辿り着くのもやっとやったんやで?」


「‥‥ごめん。」


どこか焦ったように呟いた侑くんに、小さく謝罪の言葉を告げる。


すると侑くんが、ベンチに座る私と目線が合わせるように蹲み込んだ。




「名前ちゃんさ、もう一人で抱え込むんやめてや。名前ちゃんが苦しい時には、その苦しみを半分もらう。せやからそのかわり、俺の幸せを半分もらって欲しいねん。名前ちゃんに出会ってから俺は、すっごく幸せやから。」


満面の笑みを浮かべる宮くんに、私は口を紡いでプイと顔を背けた。


顔がやけに熱く感じるが、それはきっと、日が当たっているからに違いない。




「ほんっとお人好しだね‥‥。」


どんなにぶっきらぼうに返しても、何故かドキドキしてしまう自分がいる。


侑くんによって、いつの間にか植え付けられたむず痒い熱を胸の奥に抱き、私はため息を吐いた。









引越し当日、家具と荷物を輸送業者に依頼し終わった私たちは、新幹線で移動するために駅に来ていた。




「名前ちゃん!」


改札口に向かおうとした途端、背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。




「宮くん!?」


声の方に振り向くと、そこには予想もしなかった侑くんが息を整えながら立っていて、私は驚きのあまり目を大きく見開く。


するとニヤニヤとした表情の母が私の耳元で『まだ時間あるから、侑くんとゆっくり話しておいで』と囁き、両親は改札内に入っていった。




「学校は?いま授業中なんじゃないの?」


侑くんのもとに駆け寄り、見上げながら尋ねる。




「そんなんサボるに決まってるやん。授業出たとしても、名前ちゃんのことが気になって集中できひんし。」


「そっか‥‥ありがとね。」


そんな侑くんの様子を容易く想像できてしまい、思わず吹き出しそうになった反面、『もうそんな侑くんを見ることもできないんだな』と寂しくなった私は、感慨深そうに呟いた。




「元気でな名前ちゃん。毎日電話しよな。」


「毎日はし過ぎ‥‥‥‥宮くんも元気でね。バレー頑張って。」


声援を送ると、さっきまでの穏やかな口調が嘘だったかのように、侑くんが目をパァッと輝かせた。




「めっっっちゃ頑張るわ!あんな、ユースの合宿と春高って東京でやるねん!つまり全日本ユースに選ばれたら、春高に行けたら、名前ちゃんに会えるってことやんな?そのためにはもうめちゃくちゃ頑張るわ!待っといてな!?」


「‥‥もっと他に頑張る目的があるでしょ。」


呆れたように指摘しても、どういうわけか侑くんは嬉しそうだ。
 



「なあ名前ちゃん、俺まだ告白の返事聞いてへんのやけど。」


侑くんの浮ついたような質問に、私はうっと言葉を詰まらせる。


こんな場面でそんなことを聞くなんて、侑くんの性格の悪さが垣間見える。




「‥‥‥‥一年後も‥‥好きでいてくれたら、考えてあげてもいいよ。」


何故かドキドキする胸を押さえながら、侑くんを一瞥して呟いた。




「えっ、ホンマに?!!うっわ〜〜、名前ちゃんが付き合ってくれるんやったらもう何年でも待つわ!!」


「あっいや、付き合うとは誰も言ってない‥‥。」


訂正しようにも、興奮気味の侑くんには、うまく伝わらないようだ。




「ほな、約束の握手しよか。」


笑顔で右手を差し出した侑くんが、私の左手を取り、ギュッと握った。




「‥‥宮くんって、手大きいね。」


侑くんの手の感触を確かめるように、何度も握り返した。


予想外に大きくて、ごつごつしていて、少し皮膚が固くて、『男の人』だと感じさせる手だ。




「えっ、ちょっ、名前ちゃん待って。ちょ、あかんてホンマに。」


「えっ?‥‥あっ、ごめん。」


落ち着きを失った侑くんに気づき、パッと手を離した。




「はぁ、大胆な名前ちゃんの所為で、心臓根こそぎ持ってかれるかと思ったわ‥‥。」


真っ赤になった顔を見られないようにと片手で顔を覆う侑くんに、私は思わず笑ってしまいそうになった。




「じゃ‥‥またね。」


別れが寂しいのを見抜かれないように、無理やり笑顔を浮かべ、改札内へと入った。




どんどん改札内を歩き進め、立ち止まる。


『さすがにもう帰っただろう』と思いながら振り向くと、私の姿が見えなくなるまで待つつもりなのだろうか、侑くんはまだそこにいた。


遠目に私と目が合った侑くんは、パァっと顔を輝かせ、人目を憚らず嬉しそうに大きく手を振り続けた。




侑くんの姿に呆れたように笑い、手を振り返しながら、私はある事を思った。


転校で離れ離れになる際に『またね』と言って別れるのは、そういや侑くんが初めてだと。


そんな侑くんが、私の人生をがらりと変えるキーパーソンだなんて、まだこの時は知る由もなかったのであった。






ここは一つ余談だが、私と侑くんは一年と数ヶ月後、東京の別々の大学に進学する。


そこで、歩いて通えるほどの距離の賃貸に偶然住み始めることになるのだが、それは遠い先の別のお話。