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「なあなあ名前ちゃん。俺が告白した時のこと覚えてる?」


「あ〜うん。忘れたいんだけどめちゃくちゃ鮮明に覚えてる。」




このように名字名前のクラスでは、宮侑との夫婦漫才らしきものが毎日の如く繰り広げられている。




「鮮明に覚えとるなんて嬉しいわ〜。俺が名前ちゃんのこと、いつ好きになったか知りたい?知りたいやんな?」


「え〜いいや〜。遠慮する〜。」


嬉しさで頬が緩む侑に、眉をしかめた名前が憂鬱そうな顔をした。




「え〜聞いてや〜。俺な、名前ちゃんが転校してくる前から好きやってん。」


「何それ、新たな詐欺の手口?」


「詐欺ちゃうって、ほんまやって!」


「だって転校する前とかあり得ないじゃん。会ったこともないのに。」




そんな馬鹿なことがあってたまるかといった表情で、名前が侑を見つめた。


名前に信用されず、侑はへらへらと笑っているが、侑の言っていることはあながち嘘ではないのだ。









それは、信号の故障で電車が大幅に遅れていた日のことだった。


学校や会社帰りの人々で車内は混み始め、熱気と湿気で乗客の不快指数は上昇していた。




すると、立っていた女性が抱えていた赤ん坊が愚図りだし、狭い車内に『ギャー、ギャー』と赤ん坊の泣き声が響いた。


さぞ乗客の神経を逆撫でしているだろう、冷たい視線が母親に注がれ、車内の空気が凍りついていた。




母親は必死にあやすのだが、必死になればなるほど、赤ん坊は泣きやまない。


乗客の冷たい視線は、自分の赤ん坊さえ泣きやませることのできない母親への無言の非難が込められているように感じた。




この場から逃げ出したいが、降りることもできない母親。


俯いた母親の目から今にも涙が溢れかかったその時だった。




その母親のななめ前に立つ、十代後半くらいの女が赤ん坊をあやし始めたのだ。


ビニール袋でガシャガシャと音を鳴らしたり、鏡に赤ん坊の顔を写したり、いないいないばあをしたり。




すると、あんなにぐずっていた赤ん坊が笑い声を上げ始めた。


あふれかかった涙が母親の頬を伝い、母親は『ありがとうございます』と女に礼を述べた。




一人の母親を救った彼女の優しい行動に、車内の空気が変わった。


その様子を侑は、少し離れたところから一部始終見ていた。


彼女の思いやりと、何でも受け入れてくれそうな彼女の優しい雰囲気に惹かれ、部活の疲れが吹っ飛んでいた。






その翌日、転入生が来るとの噂を聞きつけた侑は、友人に連れられ、隣のクラスへと向かった。


廊下から興味なさそうに眺めていた侑は、目を見開いた。




群がるクラスメイトの中心に、昨日見かけた彼女がいたからだ。




今までの侑は、言い寄ってくる多くの女の中から適当に選り好みしていた。


しかし隣のクラスで名前を見つけた途端、今まで感じたことの無い、表現できない愛しさを侑は覚えた。




その日から侑は、廊下を通る度に名前の姿を目に捉えた。


クラスメイトに話しかけられている名前は無邪気な笑顔で楽しそうな様子だったが、でもどこか寂しそうに見えた。


その姿を目にした侑は、優しい彼女を悩ませているものは一体何なのだろう、彼女のことをもっと知りたい、と思うようになった。




なんとかして名前に近づけるようなきっかけを作ろうと思っていた時、侑のクラスに彼女がやってきた。


何の用だろうかと名前に視線を向けていると、ふと名前と目が合った。




侑を視界に捉えた名前は、視線を逸らすことなく、無邪気な笑顔を振りまいたのだ。


その瞬間、侑の心臓がズキュンと跳ね上がる。


名前の笑顔は、何もかも無償で差し出したくなるような最強の笑顔で、今まで目にしたモノの中で最も尊いと侑は思った。




名前への激しい愛情が胸いっぱいに溢れ、居ても立っても居られなくなった侑は、初めて言葉を交わした翌日に想いを打ち明けた。


結果は玉砕、というよりも、名前に本気と受け取ってもらえなかった。




にも関わらず侑は、ショックも苛立ちも感じなかった。


名前はそう簡単になびくような軽い女ではない、そうであって欲しいと思っていたし、名前の返答はショックどころか更に好意を持たせたのだ。




それから侑は、名前のクラスへ通い、子犬のように無邪気に首を突っ込んだ。


基本名前は優しいが、過干渉な侑への態度は冷淡で堅苦しいものだった。




冷たく返されたとしても、侑は何ともなかった。


それは普段の優しい名前を知っているからこそであり、名前に会いに行けば会いに行くほど侑は好きになった。




名前に構ってもらえた日なんか、いつもの学校の帰り道が違って見えた。


いつも見ている電線ごしの青空が急にみずみずしく見え、一日分の教科書が入った鞄はいつもより軽く、道路を駆けぬけてゆく車のスピードさえ心地良いと感じたのだ。









「ほんま名前ちゃんはおもろいな〜。一家に一台欲しいわ〜。」


「あ〜、よく言われる。」


「は、誰に言われてんの?絶対許さん。」


「急にどうした。」




侑の発言を冗談と捉えたのか、気怠そうに冗談に乗った名前に、笑顔からスーッと真顔になった侑が詰め寄る。


そんな侑に眉を下げ、怪訝そうな表情を浮かべた。




好きになったきっかけを名前に教えるのはもうちょい先でいいか、と思いながら嬉しそうに目を細める侑なのであった。