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終業のチャイムが鳴った放課後、家に帰ろうとフラフラになりながら教室を飛び出した。


今朝から生理が始まってしまい、もともと貧血持ちな私は、生理がくると一段と悪化してしまう。


午前中はわりと平気だったのだが、午後からは生理痛がひどくなり、気分も悪くなったのだ。




靴箱まであと少しだというのに、平衡感覚を失い、視界まで歪み始めた。


歩いていられなくなったような感じがしたが、誰かを頼ることもできないし、誰にも迷惑をかけたくない。




意識が遠のき始めた時には、もうどうすることもできなかった。









目が覚めると、真っ白な天井と白色のカーテンが視界に入った。


薬品の匂いがする室内、清潔な白一色で固められた空間。


どうやら私は、保健室のベッドで眠っていたようだ。


規則的に鳴り響く掛け時計に目を向けると、時刻は午後7時を回ろうとしていた。




「あら、目が覚めたのね。」


目覚めた気配を察したのか、カーテンから養護教諭の先生が顔を覗かせた。




「体調どう?眩暈とか頭痛とかしたりしない?」


「しないです。もう大分よくなりました。」


ベッドサイドに近づいた先生に対し、上体を起こしながら返す。




「よかった。顔色もさっきよりは大分いいわ。親御さんに迎えに来てもらうよう連絡するわね。」


「あ、いつもこの時間に車で迎えに来てくれますので大丈夫です。」


窓際のデスクに駆け寄ろうとした先生に、嘘をついて阻止した。




このように学校で体調が悪くなった場合、連絡すれば両親のどちらかが迎えに来てくれる。


しかし今回ばかりは、母の親戚の弔事で、両親は現在遠方に出向いている為、不可能なのだ。




『ほんと?』と心配そうに見つめる先生に対し、『はい』と笑顔で返す。




先生に迷惑をかけない為の嘘なのだが、迎えに来てもらわなくてもまあ大丈夫だろう。


いつも帰りは電車だし、駅から自宅までもそんなに距離はない。




そう高を括った私は先生にお礼を述べ、保健室を出ていこうとした。




「あの‥‥誰が私を保健室まで運んでくれたんですか?」


このことが気になった私は、くるりと踵を返し、先生に尋ねた。




「侑くんよ、宮侑くん。名字さん、侑くんにお姫様抱っこで運んでもらったのよ。」


うっとりとした表情で思い出しながら答えた先生に、少し苦笑いを浮かべる。




だが、保健室まで重い私を運んでくれた侑くんにも感謝だ。


『明日侑くんに直接会って感謝の気持ちを伝えよう』と思いながら、さようならと挨拶をした。









靴箱から靴を下ろした時、暗くて誰だか分からないが人の影が視界に入った。




「名前ちゃんか?大丈夫なん?!」


「‥‥宮くん?」


声のトーンから『侑くんかな?』と思い、距離を詰めると、やはり侑くん本人だった。




「やっぱり宮くんだ。部活終わったの?」


「さっき終わった。名前ちゃんが気になって慌てて保健室向かったんやけど、今さっき出ていったって先生が言うてたから、靴箱ならおるかなって思って来てん。名前ちゃんもう平気なんか?」


「うん、もう大丈夫。‥‥あっ、保健室まで運んでくれてありがとう。本当にありがとね。」


玄関を出て、正門に向かいながら、侑くんに感謝の言葉を述べる。




「俺は全然ええよ。名前ちゃんをお姫様抱っこできた俺からしたらこないなハッピーなことないわ。お姫様抱っこしたついでに指が名前ちゃんの胸に当たったしな。」


相変わらずヘラヘラと笑う侑くんに『私の感謝の言葉を返せ』と思いを込めながら、軽蔑の眼差しを向ける。




「おーい侑ー!はよー!」


すると体育館前にたむろする集団から、侑くんを呼ぶ声が聞こえてきた。


『先行っといてー!』と言い返す侑くんに、私は『どっか遊びに行くの?』と尋ねた。




「部内の2年で遊ぶんやって。」


「そうなんだ。宮くんすぐ行かないの?」


『早く来い』と呼ばれているにも関わらず、未だに私の隣にずっと居続ける侑くんを不思議そうに見遣る。




「名前ちゃんとこ迎えに来るんやろ?来るまで俺も一緒に待っとく。」


ニコッと笑いながら言い、その場に立ち止まる侑くん。


気づけば正門を越えて、送迎ゾーンに来ていた。




保健室の先生から聞いたのだろう、侑くんの気遣いは凄くありがたかったが、今ではこの気遣いが余計に感じる。


親が迎えに来るなんてさっき私がついた嘘であって、いくら侑くんが待ったとしても迎えには来ないからだ。




この状況を上手く切り抜くことも出来ない私は、おもむろに口を開けた。




「それ嘘。お父さんもお母さんも遠くに出掛けてて明日まで家にいないから、迎えに来れないの。だから早く行きなよ。」


「えっ、じゃあ名前ちゃんどうやって帰るん?!」


「いつも通り電車で帰るけど?」


キョトンとした顔の侑くんに尋ねられ、あっけらかんと答える。




「ほんなら俺も一緒に帰るわ。」


「えっ、なんで?遊びに行くんでしょ?」


駅まで歩き出そうとする侑くんを、慌てて阻止した。




「せやけど、名前ちゃんを1人で帰らせるわけにはいかんやろ。また倒れたりしたら大変やん。」


「大丈夫だよ。もう何ともないし。」


心配そうに見つめる侑くんに、淡々と返す。


本調子ではないが、倒れた前に比べたら幾分マシだ。




「あかん!もし名前ちゃんがまた倒れたりして、知らないおっさんに連れ去られたりしたらどないすんねん!?」


「考え過ぎだって。じゃあね。」


必死の形相で訴える侑くんを呆れたように笑う。




そしてそそくさと立ち去ろうとしたとき、引き止めるように侑くんが私の手首をガシッと掴んだ。




「俺と一緒に帰らんと、今すぐここでちゅーすんで?!」


私の手首を掴んだ侑くんが、早口でまくし立てる。


自分で言い出したくせに、歩道照明に照らされた侑くんの顔は赤くなっていて、どことなく恥ずかしそうな顔をしていた。




「それも嫌なんだけど‥‥。」


「あからさまに拒否られるのもヘコむんやけど‥‥。ま、ほんなら一緒に帰ろか。」


露骨に否定され、しゅんとした侑くんだったが、気を取り直して駅へと歩き始めた彼のあとをついていった。









「宮くんってさ‥‥優しいね。」


最寄り駅で下車し、自宅へと歩いていく道すがら、隣で歩く侑くんに向かって呟くように言った。


奔放な行動ではあったが、それは私の為だけの行動であり、今だってさり気なく車道側を歩いてくれている。




「俺は好きな相手にしか優しくせえへんよ。
その点名前ちゃんは、誰に対しても優しいよな。」


「私が?全然でしょ。」


侑くんの言葉に、呆れたように笑い返す。




私が優しいかは別として、私は侑くんに対して優しく接したことなんて一度もなかったように思える。


それなのに、何故侑くんはそんなことが言い切れるのだろうか。




「優しいよ。名前ちゃんが転校する前、電車の中で泣き出した赤ちゃんあやしよったやろ?俺あん時近くで見ててん。その次の日に名前ちゃんが転校してきた時にはめっちゃびっくりしたけどな。」


「えっ、そうだったんだ‥‥。」


侑くんに告げられた事実に目を見開き、驚きの声を漏らす。


その出来事はやんわりと覚えているが、まさか侑くんに見られていたなんて。




「俺な、あん時から名前ちゃんのこと好きになったんやと思う。優しい名前ちゃんのことが。」


「全然優しくないって。」


ストレートに伝える侑くんに、自嘲気味に返す。





「優しい人ほど、そう謙遜すんねん。他人に優しくない人って自分にはとっても優しいけど、他人に優しい人は自分には優しくできないで、優しさって何かを探しているんやって。」


まっすぐ前を向きながらポツリポツリと呟く侑くんの言葉に、静かに耳を傾ける。




「名前ちゃんって、人にはめっちゃ優しいけど自分には全然優しくないよな。」


「そう‥‥かなぁ。」


穏やかな口調で指摘した侑くんに、困ったように口籠る。




「せやから自分に優しくない名前ちゃんに、優しくさせてほしいねん。」


そう弱々しく笑いながら立ち止まる。


いつの間にか私の住むマンション前に到着していた。




「名前ちゃんのことが好きやから。」


「‥‥‥‥ふっ、ほんと物好きだね。」


真剣な物言いの侑くんに、私ははぐらかすように苦笑いするのが精一杯だった。


精一杯の感謝の気持ちを込めて、侑くんにお礼の言葉を述べると、マンション内に入っていった。









自分の部屋に入った私は、ぼんやりとしながら制服を脱いでいく。




私が誰よりも嫌いな私を、侑くんは誰よりも好きだと言ってくれる。


あんなに毎日冷たく接しているのにも関わらず。




私も侑くんに冷たく接したいわけではない。


昔から私は、人と深く関わることが怖いのだ。




人は飽きる生き物で、人との関係は出会いから始まり、別れによって関係が切れる。


もし私が侑くんのことを好きになって、私も侑くんに深入りしてしまったら。


深入りした分、裏切られるのが怖いのだ。




頭の片隅でモヤモヤと考えながらベッドに横たわると、体が欲するままに意識を手放したのであった。