五色家の息子から




俺の母さんは、父さんより年上の、いわゆる姉さん女房というやつだ。

元々母さんと父さんは先輩後輩の関係で、付き合い始めた時から父さんは敬語を使い、呼び方も『名前さん』と名前にさん付けで呼んでいる。
何度か『敬語じゃなくてもいいよ』『呼び捨てでいいよ』と母さんに言われ、意識的に変えようとしたらしいのだが、癖になっていて変えられなかったらしい。

父さんが母さんに敬語で話すことに対し、俺の友人は驚くが、俺は別に可笑しいこととは思わない。
夫婦の有り様なんて百人百様で、今でも仲睦まじい二人の有り様に他の人の価値観を反映させる必要はないと思うのだ。





朝食を食べながら、ぼんやりとテレビを見ていると、俺と同い年の子が自殺したというニュースが流れてきた。

見つかった遺書によると、人間関係と進路に悩んだ末、自殺に至ったらしい。

俺はただ何となく、このニュースを聞いていたのだが、目の前に座る母さんは神妙な面持ちで俺を見ていた。


「今のうちに言っておくけど、自殺するくらい悩むなら学校を辞めていいし、進路も諦めていいんだからね。貴方が生まれてきて、生きていることだけで親孝行なんだから。だから自分で命を絶とうなんて絶対思わないでね。」

「‥‥うん。」


母さんの言葉から感じる愛情に、鼻の奥がツンとする。
母さんが、俺の母さんでよかったと、改めて思った。


「ちょっと名前さん!朝から泣かせるようなこと言わないでくださいよ!」


チラっと横を見ると、何故か父さんが号泣していた。
俺よりも感動しているのだ、何も父さんに対して言ったわけじゃ無いのに。


「えっ?ははっ、なんで工が泣いてんの。」

「俺にも言ってください!生きてるだけでいいって!仕事しなくていいって!」


笑う母さんに、父さんが懇願する。


「ん?工も悩むくらいなら仕事辞めていいよ〜。私も働こうと思えば働けるから。」


父さんの顔を拭きながら、にこにこ顔で言う。
複数の資格を持つ母さんは昔はバリバリ働いていて、『家庭に入って欲しい』との父さんの頼みで寿退職したらしい。


「ア″ー!!それはダメです!外には危険がいっぱいなんですから!名前さんは俺の帰りを待っててください!」


母さんが不在の家庭を想像したのか、顔を蒼ざめた父さんが大声で喚く。
自分が言い出したくせに、なんなんだ全く。




俺の父さんは、親バカならぬ夫バカだ。
父さんは母さんを好き過ぎるあまり、すぐ暴走し始める。

そんな父さんを、俺の友人は『可愛いお父さんだな』と言って、こういった光景が微笑ましく見えたりするみたいだ。
しかし、毎日のように巻き込まれる自分にとっては結構鬱陶しいものである。





とある日の夜、バラエティ番組で『夫婦間の一日のキスの回数、日本は世界最下位』と評論家が言っていた。


「まあそうだろうね〜。」


頬杖をつきながら、母さんが何気なく呟く。


「大丈夫です!我が家は常にランキング上位ですから!俺と名前さんで日本の順位を上げましょう!」


すると、父さんが母さんにキスをした。

父さんは、俺が見ていても普通にキスをする。
俺も物心ついた頃から見慣れた光景だから、気にも留めないけど。


「じゃあ、親子間のランキングも上げようかな〜?」


父さんと母さんをぼんやりと見ていると、母さんが眉を上げながら悪戯を思いついた子どものように、俺の方へ近づいてきた。
この表情は、母さんが冗談めいたことをする時によくする表情だ。
冗談と受け取った俺は、近づく母さんを呆れたように笑った。


「ちょっと名前さん!冗談でもやめてください!親子間なんて必要ありません!」


父さんが母さんの前に立ち、大きく手を広げて阻止をした。


「え〜、小さい頃はよくやってたじゃん。ね?」

「あ〜、小さい頃はね。」


俺を見て意地悪く笑う母さんに、適当に相槌を打つ。


「ハア〜?!父親が仕事している間に、お前は名前さんにキスしてたのか?!」


俺の両肩を掴んで揺さぶりながら、父さんが大声で喚く。


「したっていうか、されてた?」


キスといっても、ほっぺにチュー程度だったが。


「どっちも同じだろ!キスしていいのは父さんだけだから!分かったか!?」


首がもげそうになるぐらいに肩を揺さぶられる。
すると母さんが『いい加減にしなさい』と言って父さんの頭を叩いたことによって、やっと解放された。




父さんがいない時に『父さんってほんとバカだよね』と言ったら、『そこが可愛いんじゃん。それにバカじゃない工なら結婚しなかったよ』と母さんは笑って言っていた。

それを聞いて、バカな父さんに心から感謝する日が来るなんて思いもしなかった。
バカな父さんがいなければ、俺もこの世にいないということになるからだ。



まあでも、夫バカは程々にしてよね、父さん。
母さんを好き過ぎるのは別にいいんだけどさ。