佐久早家の息子から〈2〉




久しぶりに部活休みの日曜日、友達と遊びに行く約束をした。

玄関で靴を履いた俺は、台所で何か作業をしていた母さんを呼ぼうと、振り返る。
職場や学校へ向かうにしても遊びに出かけるにしても、母さんは家族を送り出すのが日課で、出かける時に母さんを玄関に呼び出さないと拗ねるのだ。

振り返ると背後には、母さんでなく、俺を凝視する父さんがいた。


「お前今日何時に帰ってくんの?」

「さあ‥‥遅くても夕方じゃない?」

「もっと遅くまで遊んでこいよ。」

「は?なんで?」


父親が娘を心配して『早く帰ってこい』と言うのはよく聞いたことがある。
まあ、俺は娘じゃないけど。

『遅くまで遊んでこいよ』だなんて、何か企んでいるとしか考えられない。
俺がいない間に、何かしようと思っているのだろうか。
例えば、美味しい料理を食べるだとか。


「‥‥父さん、何か企んでんの?」


どうも怪しいとじっと睨むと、父さんがおもむろに口を開けた。


「別に。‥‥‥‥ただ、大人の時間を楽しむんだよ。」


父さんは俺から目を逸らし、床を見つめながら、抑揚のない声でぼそぼそと呟いた。


「‥‥はぁ?」


『大人の時間』といっても色んな意味合いがあるだろう。
目の前のこの男は、一体どんな意味で言っているのだろうか?


「いやだから、名前と大人の時間を楽しむんだよ!
メイクラブだよメイクラブ!!」


すると父さんは顔を真っ赤にしながら、発狂したかのように声を張り上げた。


うっわぁ、この人メイクラブとか言っちゃってるよ。
親が子どもに言うか普通?
しかも自分で言っておいて、顔真っ赤になってるし。
古森さんが今度遊びに来たら絶対晒すわ。


「自分で言っといて何顔赤くしてんの。てか、そうだとしても夕方帰るわ。」

「煩い黙れ。夕方って何?何時何分何秒?地球が何回回ったとき?」


挑発するかのように目をカッと開いた父さんが、尋問しながら詰め寄る。
クソうぜええええ!小学生か?!


「夕方は夕方!!てかそれより早く帰るわ、父さんの所為で母さんが菌まみれになってしまう。」

「ハァ〜?なるわけないだろ、誰と誰のお陰でお前がデキたと思ってんだよ?あ?」


正論を述べた俺を、こめかみに青筋を立てながらジロリと睨む。


「ちょっと母さーん!父さんが俺に卑猥なことばっか言って俺を遊びに行かせてくんないんだけどー!」


我慢の限界に達した俺は、叫ぶように母さんを叫ぶ。


「こら、寂しいからって引き止めないの!
今日のところは私で我慢してくださいよ。ね?」

「‥‥‥‥うん。」


パタパタと玄関に駆け寄った母さんが父さんを宥めると、さっきまでの態度が嘘かのように大人しく頷いた。
いやいやいやいや、『‥‥‥‥うん』じゃねぇよ。
その人、母さんでとんでもないこと考えてますよ。




「楽しんできてね。いってらっしゃい。」

「うん、行ってきまーす。」


笑顔の母さんと無表情で凝視する父さんに送り出され、家を出る。


そういや幼稚園ぐらいの頃、夕食時に『弟か妹が欲しい』と伝えると、父さんが『欲しいなら空気読んで早く寝ろ』と返し、そんな父さんを母さんが叱っていた。

昔も今も、なんてデリカシーに欠けた父親だとは思うが、それだけ母さんへの愛があるということか。

子どもが大きくなると殆どの夫婦は仲が悪くなり、離婚とか嫁や旦那の愚痴とかで持ちきりだと聞いたことがある。
ましてや今は、浮気や不倫なんてザラな時代だ。
まあ、あんな変わり者な父さんを好きになる人なんて、母さんぐらいしかいないだろうけど。

母さんを愛しているのはいいけどさ父さん、母さんに負担をかけるのはよしてよね。