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近づく距離


分からないことだらけだった。

あの男のこと。

考えただけで、
どこに居るのか頭に浮かんでしまう。

それは確信じゃないけど、
そこに行けば、

「元気ねェな。」

決まって黒い布を被った、
素性の分からない男がいる。

そして私はいつも同じ顔をしてその男の前に立つ。

「…。」

でも今日は…、
言葉すらも出ない。

話し出せば、
泣いてしまいそうで。

「っ…、」

唇を噛んで俯いた。

この男の前では泣きたくない。

悔しいから。

信じたくないことを言われて、そのままのことが起こって。

信じたくないのに、
信じなきゃいけなくなる。

「晦の夜は明けたな。」

男が言う。
私は俯いたまま。

さらに男は言う。

「あの男は大丈夫だ。」

まるで状態を知っているかのような言葉。

そこで私は思った。


「あなた…、攘夷浪士なんじゃないですか?」


それなら辻褄が合う。

真選組を潰すために、
掻き回すために私たちの関係を揺さぶって。

予言のようなことを言って、自分で実行する。

土方さんを斬るなんて、
よっぽどの実力がないと出来ないことだけど。

「そう…なんでしょう?」

これなら全てが一致する。

"別れろ"なんて、
そのために言ったんでしょう?

ねぇ、お願い…。

私は顔の見えない男を見た。
少し窺える男の口元が、小さく動いた。

口角を上げるような形は、
私を馬鹿にしているみたいだったけど、

男は、
悲しく笑っているようにも見えて。

一度、安著についた私の胸が、
また苦しく血を流す。

ゆっくりと男の口が動いた。


「…残念だが、違う。」
"俺は攘夷浪士じゃない"


私は歯を食い縛った。

攘夷浪士のせいにしたかった。
全てそれで、終わりにしたくて。

いつまでも、こんな風に考えている自分が嫌で。

うずくまりたくなって、
また私が俯いた時、


「まだ俺を信じられないのか?」


男の言ったその言葉が、

『紅涙、』

土方さんの口調と重なって。

「…、」

俯いたまま、
私は目を大きく開いた。

「なァ、紅涙。」

頭の上でする声と、その話し方。

胸が騒がしい。
頭が騒がしい。

私はゆっくりと顔を上げた。

そこにいるのは、
やっぱり黒い布を被る男で。

それなのに、私はもう土方さんにしか見えない。

「…土方…さん…?」

男は何も言わない。

「土方さん…なんでしょう?」

どうしてこんなことするのかなんて分からない。

でも、
きっとただの悪い冗談なんですよね?

「ねぇ…、返事…して?」

私はその黒い布に手を伸ばして。

「顔、…見せてください。」
"隠さないで"

でも男は私の手首を掴んで。

「紅涙、」

名前を呼ぶ。
私は「何ですか?」と言う。

「俺が土方だろォが、土方じゃなかろうが、」

男は言葉を続ける。


「俺のことを…、信じるか?」


私は無意識に少し手を引いた。


「俺の言うことを信じるのか?」
"晦の夜を受け入れるのか"


土方さんじゃないかもしれない。
ただの冗談じゃないかもしれない。

それはつまり元の話に戻るということで。

あの予言とともに振った災難を思い出せば、何も考えられなくなる。
まだ受け入れられる準備なんて出来ていない。

私はまた絶望に落ちるのかもしれない。

でももう…、
考えるだけは疲れてしまったから。


「…信じます…。」


信じることで、
何かが改善されるのなら。

「あなたが…土方さんじゃなくても…、」
"信じます"

それで今と少しでも変わるのなら。

「…そうか。」

男は掴んでいた私の手首を放した。
それは被る布に触れてもいいということ。


「ありがとう、紅涙。」


男が疲れた声で、
溜め息と一緒にその言葉を言った。

"信じてくれてありがとう"

その感謝のはずなのに、
私の胸が痛くて。

溢れ出しそうな感情を紛らわすように、男の被る黒い布に触れた。

そしてその布を、
私は引っ張った。


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