21


窓と彼


「ぁ…っ…、」

声にならない声が出た。

土方さんは黙って私の方を見ている。
目が合っているような気がする。

確実に、私にはそう見える。

顔色ひとつ変えず、
動きひとつなく。

ただ黙って、
私を見つめるようにして立っていた。

「…、」

呼吸の仕方を忘れる。
騒いでいた胸のことも忘れて、私は息を止めていた。

しばらくして、
土方さんは背を向けた。

部屋の中へ、
何事もなかったように歩いて行った。

そのまま、戻って来なかった。

なのに。

私は少しの間、
その窓から動くことが出来なかった。

未練というのは恐ろしいもので。

あっという間に、
気持ちは元の形へと戻ってしまった。

一度見たあの日から、
その窓が気になって。

私は盗み見るように、毎日その窓に近付いた。

すると、

「あっ…、」

必ずと言っていいほど、土方さんはそこに居た。

庭でバドミントンをする山崎君を怒っていたり、
嫌がらせをする沖田君を怒っていたり。

「ふふ、また怒られてる。」

決してあの日のように私と目が合うわけじゃない。

いつもそこに居るなんて。
重なった偶然を、嬉しいと思っている自分がいた。

それからすぐに、
ギスギスした自分の感情が、
そこから見る眺めで随分と穏やかになっていることに気付いた。

いつの間にか、それが日常になって。

忘れなきゃなんて思うより、
私がこっそり想うことは自由だと思うようになっていた。

黙っていれば分からない。

そう思いついた時から、
私の生活は色を取り戻した。

だから、

それからずっと、私は窓を開けた。
それからもずっと土方さんは居た。

縁側で煙草を吸っていたり、
縁側で刀を研いでいたり。

私が隊士だった頃はこんなにも縁側に出ていただろうか?

そう疑問が浮かぶほど、土方さんはそこに居た。

それでも満足だった。
たとえ、私に気付いてなくても。

「近藤さん並だな…、これは。」

まるでストーカーのような自分に自嘲して。
私はまたあの窓に立つんだ。


随分と気持ちの晴れた、そんなある日。

行けないと言っていた団子屋に、久しぶりに顔を出した。
おじさんは「久しぶり!」と相変わらずの優しさで出迎えてくれた。

「早雨さんもそうやって着物を着ていると、真選組時代が嘘のようですなぁ。」
"可愛らしい普通の娘さんで"

おじさんと他愛ない話をして、
いつものお団子を食べて、
煎れてくれたお茶を啜った時、


「キャァァァァァァ!!!」


けたたましい悲鳴が聞こえた。
思わずおじさんが手に持っていたお盆を落とすほどの大きな声。
私はガタリと立ち上がった。

「なっ、何でしょうかね。」

おじさんはお盆を拾って、外を覗き見た。
私も同じように外へ出れば、道の真ん中で座り込む女の人がいる。


「おじさん、私ちょっと見てきますね。」
「え?!早雨さん、危ないですよ!」

おじさんの声を後ろに聞きながら、私はその女の人の傍へ行った。

「なっ…、」

その女の人の着物が血に濡れていた。
震えて座り込むその左胸から二の腕に掛けて、大きな切り傷。

命に別状はなさそうな浅い傷だが、血は流れている。

「大丈夫ですか?」
「ぁ…っわ、私っ…、」
「何をされたんです?」
「歩いてたら…い、いきなり知らない男に…斬られて…ッ!血が…っ!痛っ…痛いっ、誰かっ!」

自分の傷を見て興奮状態になってきている。
通り魔の犯行か。

私は彼女に「大丈夫です、すぐに救急を呼びますからね」と声を掛けて、おじさんの下へ向かった。

「おじさん、救急を呼んでください!浅い傷だとは思いますが流血しています。」

おじさんは「分かりました!」と店に駆け込んでくれた。
その背中を見送って、また店先に出た時、


「泥棒ーーー!!!」


また叫び声が聞こえた。
それと同時に、私の目の前をダッと駆けて行く男がいた。

「くそっ!」

この混乱に紛れてスリか。
通り魔の足取りも分からないし、こっちが先だ。

私はすぐに自分の前を走り抜けた男の跡を追いかけた。

だけど。

「っ、はぁはぁっ、着物っ…走りにくい!」

隊服と違って着物は裾が開かない。
足が駆け出せない分、小幅で走ることが困難。

「〜っ、仕方ない!」

私は太腿辺りに手を掛けて、裾の布を開くようにバラつかせた。

「着崩れたっていうレベルじゃないな。」

走りやすいようにとバラつかせたせいで、膝辺りから素足が見えている状態。

道行く人が私を見て、その格好に驚いている。

「よし!」

見失った男が行ったであろう場所を想定して、私は走り出した。


目ぼしい辺りで聞き込みもした。
「路地裏に走っていった」という証言を頼りに、私はその路地裏へ入った。

「汚…。」

ゴミ置き場もあるその路地裏は酷く汚い。

「って言っても、私も汚いか…。」

着物も裾が垂れ下がり、道に擦れて十分に汚い。
買い替えなきゃいけないな、これは。

ふぅと溜め息をついて、ゴミ袋を跨いだ時、


「姉ちゃん、誰探してんのや?」


私の背後で男の低い声がした。

同時に、
首筋に冷たい感触。

これは…刃物…?

左腕は、男に握られているために動けない。


失敗した。


その言葉が頭に何度も繰り返された。


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