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近くて遠い


いつもと同じはずの瞼を、何倍もの重さを感じて開いた。

「あっ!紅涙さんっ!!」

山崎君が覗き込むようにして声を挙げた。

「山崎…君…?」

覚醒したばかりの思考を必死に働かせた。

どうしてここに山崎君がいるのか。
そして私はどうして眠っていたのか。

「…あぁ、…そっか…、」

街でお団子を食べてて、
通り魔があって。
その隙にスリがあって。

私、確かスリを追いかけて、

「大丈夫ですか?その傷。」
「え…?」
「頬とか、全然腫れひきませんし…。」
「"頬"…?」

そう山崎君に言われて、私は自分の頬に手を寄せた。

「痛っ…、」

指の先が触れただけで響く痛み。

「そうだ…、あの時私…、」

蹴られて、殴られて。

「口の中とかも切れてたみたいですけど…、」
「…、」

あの後、どうなった?
その先が思い出せない。

「僕たちが駆けつけた時に、紅涙さんを見て心臓が止まるかと思ったんですよ!」

"僕たちが駆けつけた時"

そっか。
私、助けてもらったんだ。

「山崎君が…助けてくれたの?」
「あ、はい!」

山崎君は元気よく返事をして大きく頷いた。
だけどすぐに困ったように頭を掻いて、

「ほとんど副長が助けたんですけどね。」

そう言って、
私を通り過ぎた場所を見た山崎君が「ね!副長!」と言った。

その言葉に、
胸が鳴った。

言われれば煙草を吸わない私の部屋に、その匂いもする。

私は身体を起こして布団に座った。
腹部に吐き気がしそうなほどの鈍痛を感じたけど、


「…世話の掛かるヤツだ。」


夢の中で聞いた、その低い声がして。
痛みなんて、頭のどこかへ追いやられた。

私がゆっくりと視線を移せば、
あの屯所が見える窓辺に立って煙草を吸っていた。

土方さんは私の方を見ずに、ただ窓の外を見て。

「…土方…さん…、」


"お久しぶりです"なんて言葉は頭に毛頭浮かばなかった。

ただあんなにも遠くに見ていた人が、こんな傍にいることに動揺していた。

「テメェの力量を考えて行動しろ。」
"ガキじゃあるめェし"

土方さんは相変わらず私の背を向けて話した。
言葉が紡がれる度に、土方さんの隣に煙がスッと上がる。

私の知っている、
何も変わらないあのままの土方さんがそこにいる。

「っ…、はい…すみません…。」

胸が痛くて、喉が苦しい。
込み上げる涙を隠すように、私は俯いた。

「ちょっと、副長!今そんなこと言わなくてもいいじゃないですか!」
"それも良い事をしての結果ですし!"

山崎君が土方さんに声を上げた。
俯いたままの私に、
山崎君は「気にしないでくださいね」と言った。

「大丈夫…、本当の…ことだから。」

私は顔を上げて、「ありがとう」と笑った。
すると窓側で煙を吐き出す小さな音が聞こえて。

「余計なモンを見ても、首を突っ込むのはもう止めろ。」
"今後、一切"


土方さんの声に視線を向ければ、
窓辺で片手に煙草を持つ土方さんがこちらを向いていた。

逆光で少し離れたその場所は、
私の目にはっきりと映らなかったけど、

「…は…い。」

思考を真っ白にさせるには十分だった。
土方さんは胸ポケットから小さな携帯灰皿を取り出し、煙草を押し付けながら言った。

「お前にはもう刀はねェんだ。ただの…、女なんだからよ。」
「…そう…ですね。」

私は、皆と違う。
私は、もう普通の無力な存在。

私とあなたは、

やっぱり遠い存在になってしまったの?

「ちょっと副長!だからそんな言い方は」
「帰るぞ、山崎。」

土方さんは私の前を通り過ぎて、玄関へと歩いていった。
山崎君は「え?!副長?!」と声を掛けて立ち上がった。

玄関口まで辿り着いたとき、


「紅涙、」


土方さんが足を止めた。

その背中を、
私は立ち上がりもせずに、座って見ていた。

追いかければいいのに。

「行かないで」って、言えればいいのに。

言えないんだ。

その背中にも、


「もう…真選組じゃねェんだよ、お前は。」


そんなことを感じたから。

やっぱり、
言えるわけ、

ないよ。

「副長!!」

山崎君の咎めるような声とともに、土方さんの背中は消えた。

バタンという、
私と関係を終わらせるような扉を閉めて。

元は、私が一方的に終わらせた関係。
なのにいつまでも気持ちのある私が可笑しい。

「すみません、ほんと。」

何故か山崎君が土下座をした。
私は「やめてよ」と困ったように笑って、山崎君の肩を掴んだ。

「とりあえず今日は帰りますね。紅涙さんは、しばらく安静にしててくださいよ!」
"僕、また来ますから"

山崎君は「それじゃ!」と言って、足早に去ってしまった。


私は二人が去った後のドアを見つめてまま、まるで嵐のようだった彼らを思い出した。

「なんか…夢みたいだったな…。」

あまりにも衝撃で、
あまりにも一瞬で。

「…水…飲も。」

立ち上がろうとした時、腹部からの鈍痛が激痛に変わった。
思わず倒れこんだ自分に驚いた。

「あ…そっか…、お腹…蹴られたんだ。」

また忘れてたことに呆れた。
それだけ他のことで必死な自分に自嘲した。

「…自分勝手だなぁ…、私は…。」

溜め息と一緒に言葉を吐き出し、
痛みを耐えながら身体をゆっくりと起こした。

傷を確認するために服を捲ろうとしたとき、

「あれ…?私…服が…、」

外へ着て行った着物じゃない服を着ている自分。

もちろん、
血は愚か、泥さえ付いていない。

着替え…てる?

「山崎君が…?」

着替えさせてくれた?

まさかね。

じゃぁ…、
土方さんが…?

「…、」

そうならいいなって、思う自分が浅ましい。

彼の行動ひとつひとつに、
私のことを想ってくれる感情があればって。

「有り得ない…よね…。」


さっきの言葉。
土方さんが出しなに行った言葉。

『もう…真選組じゃねェんだよ、お前は。』

分かってたのに、
言ってほしくなかった。

お前と俺は、もう関係ないんだって。
言ってるんだ。

"もしかしたら、いつか戻れるかも"なんて。

甘い考えすらも、
私にはもう与えないかのような言葉で。

「…普通…、のことだよね。」

別れたんだ、私たちは。
もう、興味なんてないんだから。

「それなら…っ…、もっと…酷くしてよ…っ。」

私に少しでも期待をさせないで。
少しでも優しい素振りを見せないで。

私を助けたり、
家に運んでくれたり、
着替えさせてくれたり。

そんなこと、しなくてもいいから。

「嫌いにっ…ならせてよぉっ…、」

いっそ、ここを去りたくなるほど、

私を突き放してほしい。


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