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本当のこと


「…鍵…閉めなきゃ。」

私は気持ちを振り払うように立ち上がり、玄関に向かった。

その時、
マンションの廊下を走る音が聞こえて。

それはすぐに近付き、私の部屋の前で止まった。

「紅涙さんっ!僕です、僕!山崎です!!」

ドンドンという音とともに、私は身体をビクつかせた。

山崎君?

私は小首を傾げながらゆっくりと痛む身体を動かし、玄関のドアを開けた。

「どうしたの?」
"何かあった?"

ドアを開けた先にいた山崎君は、額に汗を浮かべて「違います」と笑った。

「走って来たの?」
「はっはい…、結構…走りました…っ、」
「どうして?」
「副長を撒くのにっ…、苦労しましてっ…。」
「"撒く"?どうしてまた…、」
「つ、伝えたいことがっ…ありましてっ。」

山崎君は息を切らしながら言葉を続けた。
私は「そうなの?」とまた首を傾げて、「上がって」と促した。

なのに山崎君は顔と手を左右に忙しなく動かして、


「すっすぐに済みますんでっ!」

「ここで結構です」と山崎君は息を整えた。
はぁぁぁと深い深呼吸をして、山崎君が顔を上げた。

「さっきの…ことなんですけど。」
「"さっき"?」
「はい、その…副長のことです。」
「…何か…あったかな。」

私はさっきの時間を思い出すだけで苦しい。
目を背けるように、玄関の壁に凭れ掛かった。

「…副長、あんな言い方してましたけど…、」

山崎君は、
まるで自分のことのように必死だった。


「本当は…本心は紅涙さんに戻って来てほしいんです。」


私の気持ちは、動揺した。

「…やだなぁもう。適当なこと言わないでよ。」
「適当なんかじゃありません!」
「あ、そっか分かった。私のこと、励ましてくれようとしてるんだ。」

"優しいね、山崎君"
そう言って山崎君を見た私は、あまりの彼の表情に息を止めた。

「どうして…?どうして君がそんな顔するの…?」

苦しくて、
歪んだ山崎君の顔は、今にも泣いてしまいそうで。

「君には…関係ないことでしょ…?」

私までつられてしまうじゃないか。

「私は…大丈夫だから。山崎君は何も」
「"紅涙の"大丈夫"は当てにならねェ"。」
「…え?」
「副長が…言ってました。」

目を見開いた。
山崎君は私をジッと見て言葉を繋げた。

「"そう言う時は決まって大丈夫じゃない時だ"って。」
「っ…、そ、そんなことないよ。」
「"紅涙は我慢が出来ちまう女だから、気をつけなきゃなんねェ"」
「…っ、やめて…よ、山崎君…、」
「知ってますか、紅涙さん。」

耳を塞ごうとした私の右手首を掴まれた。

「最近、副長が縁側に出る理由。」

私を掴む山崎君の手が、意外なほどに強くなっていく。

「山崎君、痛いよ。」
「分かりますか?その理由が。」
「っ、痛いって、ほんと。」

掴む手に力が入って、山崎君の指が白くなっていく。

「紅涙さんが僕たちに助けられたことだって、偶然じゃないですよ?」
「っ、…な、に言って、」
「このマンションだって、僕は住んだことなんてありません。」
「…、え…?」

ようやく山崎君が私の手を放した。
私は「どういうこと?」と険しい顔をする山崎君に言った。

「このマンションの名義人は僕じゃないってことですよ。」
「…ちょ、ちょっと待って…、だってあの時、」


『せっかく買った僕の家、腐るのは悲しいんで。』
『僕はすぐに真選組が決まっちゃったんで長く住んでませんけど、友人は2年ぐらい住んでました。』


「全部、デマカセです。」
「え…?じゃ、じゃぁ誰が」
「本当に分からないんですか?」

山崎君が私を真っ直ぐに見る。
私は目を逸らした。

だって、


「副長しかいないに決まってるじゃないですか。」


だって、
そうしてくれる理由が分からない。

私とはもう…、
関係ないのに。

あんなこと、言ったじゃない。

「っ、」

どうして、
どうして優しくするの?

私は俯いて、両手で顔を覆った。

「紅涙さんが真選組を出て、すぐに家を見つけることなんて出来ないだろうからって。」
「だから部屋を用意してくれた…?」
「お金だってそんなにないはずだからって、光熱費とか全部出すって。」
「どうして…っ…、」

顔を覆っていた両手を外し、俯いたまま山崎君に言った。

「とりあえず1ヵ月間はそこに住ませてくれって。それで僕が嘘を言ってここに連れて来たんです。」
「そんな…こと…、」
「あの窓から屯所が気になるように仕向けて、顔が見えない日は僕が尾行してました。」
「なっ…、」
「"何かあればアイツは飛んでいくに違いないから"、そう言っていた副長の言葉がここまで当たるとは思ってませんでしたけどね。」

山崎君が笑った。
胸が締め付けられて、言葉は見つからなかった。

「分かりますか?紅涙さん。副長がどうしてここまでするか。」
「っ…、」

信じたいよ、
山崎君が言ってること。

全部、本当だとして、
それが私を想ってしてくれてることだって。

だけど、

「それは…私が未熟で…、心配なだけでしょう…?」

その土方さんの気持ちは、
きっと自立できない子を心配しているだけだ。

「山崎君が思ってるような…ことじゃないよ。」
「〜っ!!どうして分からないんですか!!」

山崎君の声が人一倍大きくなった。

「副長が言ったんですよ!紅涙さんが出て行った日の夜!!」
「え…?」
「あの日、珍しく酒を誘われて!それで俺が付き合ってたんです!」
「…そう…、」
「その時、副長がえらく酔っちゃって!それで!!」

声を荒げたまま、山崎君は私に言った。


「"あんなに惚れた女は居なかったのにな"って!!」


傷が、熱い。
身体の中に、押さえていた気持ちがまた駆け巡る。

愛しい。
愛し過ぎて、今が悲しい。

「副長だって"忘れる"って何度も言ったんです!だけどっ…だけど副長…っ…、」

山崎君がギュッと自分の手を握り締めた。

「さっき紅涙さんが眠ってる傍で、俺コッソリ聞いちゃって…。」
「…何…を?」

きっと今。
以前よりも土方さんが好きだ。

どうしていいのか、
分からないほど、好きなのに。

「…"忘れなくても…いいか"って…。」
「っ!!」
「"いつかは自然に忘れるだろ"って…。だからっ…だからお願いします!!」

急に山崎君はその場に座り込んだ。
そしてまたさっきのように土下座をして、

「紅涙さんっ、戻って来て下さい!!」
「っ、そっそれは出来ない!」
"私はもう退職手続きを済ませた人間なんだよ"

顔を上げるように山崎君を促せば、彼は私の手を払って、また頭を下げた。

「俺たち、もうあんな副長を見てらんないんすよ!」
「そんなこと言ったって…、」
「じゃぁ!じゃぁ副長とよりを戻してださい!!」
「っ…、」
「紅涙さんだって同じ気持ちじゃないですか!それなら」
「ダメだよ…、出来ない…。」
「どうして?!」


山崎君の言葉に顔を横に振って、また「出来ないよ」と言った。

すると山崎君は「分かりました!」と声を荒げて、

「それなら今日のお礼、明日にでも屯所に言いに来てください!」
「え?!」
「副長に言ってないでしょう?!だから!!」
「でっでも、」
「助けてもらったんですから当然ですよね?!じゃ!」
「えっ、ちょっと!山崎君?!」

彼は言うだけ言うと、その場からすぐに去ってしまった。

私はその場にポツンと立ち尽くし、

「明日…、どうしよう…。」

静かなマンションの廊下に、独り言を響かせた。


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