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約束


土方さんは立ち上がって、私を通りすぎるように襖まで歩いた。

私は黙って見ていた。

それしか出来なかった。

『それ以上、言うな。』
『今日は…、もう帰れ。』

別れて、良い関係なんて出来るわけない。

それは分かってた。
だけど土方さんはこんな風にしてくれたから。

自分に甘えた関係を、続けられるのかと思っていた。

「…。」

立ち上がった土方さんは、襖を少し開けた。

私の方へ振り返り、


「帰るんなら、今のうちだ。」


また違った言葉を私に言った。
私は黙って土方さんを見ていた。

口を開けば、弱音が零れ落ちそうだった。

きっと、情けない顔に違いない。

「帰んねェのか?」

冷たい視線を向けられる。
私は、責めるその言葉に目を伏せた。

「ほら、早くしろ。」

土方さんは私を急かす。

私を帰らせようと。分かってる。
帰んなきゃいけない。

だけど。

「っ、分かんないっ…、」
「あァ?」

どうすればいいのか、分からない。

「私っ…、帰らなきゃっ…いけない、っ、」

なのに。


「帰りたくっ…ないっ…っ。」


土方さんの傍に居たい。

我が侭で、
矛盾した私。

あなたはどんな風に私を見下ろしているのだろう。

「ごめっ…なさいっ…、」

迷惑ばかりを掛けて。
ごめんなさい、土方さん。

「紅涙、」

土方さんは険しい顔をして、大きくはない声で私を呼んだ。

「…言っただろ?」

静かに襖を閉める。

「俺は割り切れてねェんだ。」

再び向けられたその目は、まるで獲物を狙う鋭い視線。

「お前がそう願ってなくったって、」

土方さんはゆっくりと私に近付き、しゃがんで厭らしく微笑んだ。


「帰す気なんて、さらさらねェよ。」


目を大きく開いた私が彼の名前を呼ぶ前に、言葉は攫われた。

「っ…、ん」

私の腰に回された腕が、強引に引き付けられるようで。

「っは、ぁ…土方、さん、」

私を求めてくれていることが、苦しいほどに伝わった。

嬉しい。
嬉しいよ、土方さん。

寂しかったのも、
欲しかったのも、

私だけじゃなかったんだって分かって。

嬉しい。

なのに…、


『死別するんだ、俺たち。』


どうして…。


「っふ、ぅ…っ…」
「…紅涙?」


どうして?


「お前、…何泣いてんだよ。」
「土方っ…、さんっ、」


『俺は…お前に生きて欲しい…。』


「私っ…、約束、っしたんですっ…、」


『俺のせいで…っお前が死ぬのはもう耐えられねェんだよ!』


「っ、土方さんとっ…、約束っ…!」
「"約束"?何のだよ。」


土方さんが心配そうに私を覗き込む。
私はしがみつく様に土方さんの胸元に余る服をギュッと握り締めた。


「土方さんをっ…、悲しませないって…っ、」

『もう…、土方さんを悲しませたり…しません。』


土方さんは私の言葉に険しい顔つきを見せた。
私は土方さんの胸を押した。

約束、したじゃないか。
土方さんと。

こんなに苦しいこと、
これよりも悲しいこと。

もう二度と繰り返さないために。


「別れるって…っ…、約束っ…したんですっ…!」

『別れます…、土方さんと。』


離れるんだ。


俯いた時に、私の瞼から溢れた涙が畳に落ちた。

突き放すように土方さんの胸を押した腕は、今もまだその胸を押していて。

震えだした腕を離そうとした時、土方さんに掴まれた。

顔を上げれば、
土方さんは真っ直ぐに私を見て。

「…まだ、信じてんのか。」

私にそう投げかけた。

「それは…どういう意味ですか…?」
「アイツの言ったこと、まだ信じてんのかって。」
「"アイツ"…?」

流れた涙の跡が、僅かに入る隙間風で冷たく感じる。

その部分だけが、
唯一私が冷静に感じ取れることだった。

「お前が会った…俺に似たヤツ。」

それは紛れもなく、
今はもう消滅してしまった土方さんのことを言っていて。


「俺は信じてねェよ、アイツの言うこと。」
"そんな輪廻、あって堪るかよ"


私と彼の会話を、
全て知っているという口ぶりだった。


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