28


シアワセ


土方さんは知っていた。

私がこっそり土方さんに似た男に会っていたこと。
その男に言われて、私の態度が変わったこと。
男の話は「死別する」と言い、私たちを別れへ導いたということ。

それに従って、私は別れて。
泣いたこと。

四六時中、
傍に居なければ分からないようなことまで、土方さんは知っていた。


「どうして…?…どうしてですか…?」
"どうして知ってるんですか…?"

土方さんは気まずそうに私から目を逸らす。

小さく溜め息をついて、
自分の机の方まで戻り、座りなおした。

「…山崎。」
「"山崎"…君?」
「あァ、…あいつに調べさせてたんだよ、お前のこと。」

土方さんは机の上にあった煙草の箱から一本取り出して火を点けた。

「あの頃、お前の単独行動が増えたからな。」
"極端に暗ェ顔ばっかしてたしよ"

どこを見るわけではなく、土方さんは目線を下げたまま煙を吐いた。

「俺、お前に言ったよなァ?」
「…何…をですか?」
「"俺はお前を繋いでおく気はねェ"って。」

『俺はお前を繋ぎとめておきたいとも思わねェ。』

市中見廻りで暗い路地に連れ込まれた時。
土方さんは確かに私にそう言った。

「あの時だってそうだった…、俺ァそんな風に思ってねェんだよ。」
「…?」
「いつだって…言いたいことは言えねェんだ…。」

自嘲するように土方さんは笑って、また一つ煙を吸う。
ふぅと吐く煙は、天井を目指して昇る。

土方さんはゆっくりと目を閉じて、本当にゆっくりと開いた。


「お前の幸せ、願ってんだ。」


そう言って、困ったように微笑む。
その顔は私を苦しませた。

土方さんは「だがよ、」と言葉を続けた。

「俺が振り返ったら、お前はそこに居る気がすんだよ。」

また小さく笑った。
吸われない煙草がゆらりと煙を焚かせる。


「そこに…居て欲しい。」


土方さんは独り言のように呟いて、何度目かの自嘲をする。

そのまま片膝を立てて、同じ方の腕を乗せた。
その先にダラしなく持たれた煙草は燃やした灰を長くしていた。

「悪ィ…、」
「…?」
「今の、忘れてくれ。」
「土方さん…、」

土方さんは「疲れてんだな、俺」と鼻で笑って、煙草の灰を落とした。
一吸いして、煙を吐きながら煙草を消して。

私越しに外を見て「あ」と土方さんが声を上げた。

「ヤベェな、もう外真っ暗じゃねェか?」
"長居させちまったな"

土方さんが立ち上がって、さっきみたいに部屋の襖を開けた。

帰れと。
その部屋を開けた。

私の頭は土方さんの言葉でいっぱいだった。
処理できないまま、私の頭の中に溢れた言葉。

「送らせるからちょっと待ってろ。」

考え深げに立ち上がって土方さんの方を向けば、

そんなことを言って廊下に出てしまおうとしてしまう。

私は土方さんの服を引っ張り、すぐにそれを止めた。

「大丈夫…です。すぐそこですので…。」
「…そうか。」

きっと今、
私たちは矛盾してる。

気持ちに歯向かって、しなければいけないことに目を向けている。


これが大人だ。
これが相手を想うことだ。

正しいこと。

それはこんなにも、自分を悲しませることなのか。

「それじゃぁ…、長い時間すみませんでした…。」
「いや…、気をつけてな。」

私が悲しい分だけ、相手が幸せになってくれればいい。

そうでないと、
この気持ちは報われない。


どうか…、


「…紅涙、」


どうかあなたが、


「…幸せに、な。」
「っ…、」


どうか、あなたが幸せでありますように。


「っ、土方さん…っも…。」
「あァ…。」


土方さんに頭を下げて、
私は彼の顔を見ずに背中を向けた。

その部屋から遠ざかるように歩く廊下が軋む。

ボロボロと流れる涙は乾かない。
枯れもしない。

さよなら、は言わなかった。

それなのに、
言葉以上に私は距離を感じた。

眩暈がしそうなほど、心に線を引かれたように感じた。



「ありゃ?もう帰るんですかィ?」

玄関で靴を履いている時、沖田君の声がした。
振り返れば「あ〜ぁ」と片眉を上げて私を見下した。

「酷ェ顔してまさァ。」
"そんな顔で外歩けますかィ?"

私は彼の言葉に「近いから平気ですよ」と目に溜まっていた最後の涙を拭った。

立ち上がって、
黙って私を見る沖田君に「それでは」と声を掛けた。

「てっきり今日は夜までいるのかと思ってやした。」

沖田君は私の挨拶が聞こえなかった様子でそう言い、玄関に座った。

「泣くほど好きなのに、どうして離れるんですかィ?」
「…。」
「俺ァ好きなら傍に居たいと思いまさァ。」
「…好きだけじゃ…駄目なんだよ。」

口にして、
"こんな話、山崎君にもしたな"って思った。

自嘲気味に笑えば、沖田君は盛大な溜め息とともに腰を上げた。

「まァ別れてェと思ってる時に良かったじゃねェですかィ。嫌でも暫く顔は合わせられねェや。」
「…え?」

どうして彼はこういう言い方をするのか。

あえて私が気になるように言う。
そしてそれに分かっていても、私は口にしてしまう。

「どういう…こと?」

そして沖田君は楽しそうに笑う。
してやったりと頬に書いて。


「今日の深夜、西へ遠征でさァ。」
"前回に接触のあった攘夷浪士と"


沖田君は「どうせ野郎は言わなかったんでしょうねィ」と言った。

「難戦するの?」
「さァねィ。でも野郎が言わなかった理由、考えれば分かるんじゃねェですかィ?」

土方さんがどうして言わなかったか。

それは生死が見えぬ戦いだから?
それとも私には必要のない情報だから?

今の、
隊士でない私には分からない。

それでも。

「…沖田君、」
「何ですかィ?」

黙って土方さんを見送るなんて出来ない。

「近藤さんは…どこ?」
「…食堂にいやしたぜ。」
「ありがとう。」

生死が見えないのなら尚更。

土方さんは私が守る。
過去の私が土方さんを苦しめて来たのなら、きっとそれを望んでいる。

私が彼の盾になるんだ。

「紅涙、」

歩み出した足が、沖田君に呼ばれて止まった。
振り返れば、


「野郎には、内緒にしときますんで。」


初めからこうなることが分かっていたような顔で、沖田君は笑った。


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