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置き忘れた部屋


自室だったその場所は、本当にあのままで。

「何か…、変な感じだな…。」

主がいなくなった部屋はどことなく少し暗くて。

机に指を滑らせれば、薄く積もった埃が線を描いた。


色んな時間が、ここにはある。

狭いこの部屋を見渡して、手持ち無沙汰に座った。

あそこの引き出しにはいつも溜まった書類が押し込まれてて、
この場所には隊服を掛けていた。

色んな思い出が、ここにはある。

少しへこんでいる襖。
あぁ、召集で慌ててた時にぶつけたっけ。

傷ついた箪笥。
沖田君が酔った勢いで暴れて傷つけてったなぁ。

「これ…は…、」

座っていた私の右手がザラついて。
目を移せば、人差し指が触れていた畳。

小さく丸い、焦げた畳。

「…、これは…煙草の…、」

煙草。

土方さんが、ここに落とした煙草。

その場所を指でなぞれば、
簡単に頭の中で浮かぶその時間…。


『あ、悪ィ。』
『あぁぁぁ!ちょっと土方さん何してんですか!』

ポトリと落として焦げを作った畳。
大して悪ぶれた様子もなく、平然と手で灰を払って。

『ンだよ、大袈裟だな。』
『当たり前ですよ!女中さんに見つかると私が怒られるんですから!』
『それだけかよ。』
『ヤですよ!そんな印象つけるの。いい子なんですから!』
『…誰が?』
『"私が"です。』
『へぇ。』

興味なさそうに返事をして、『とっとと書類を書きなおせ』と顎で机を指す。

『何ですかその態度。』
『煩ェ。お前こそ俺がわざわざ書類持ってきてやってんのに仕事遅ェんだよ。』
『う…、』
『…まァいいわ。俺ァちょっと寝るからよ、出来たら起こせや。』
『え…ここで寝るんですか?』
『ここしかゆっくり寝れる場所ねェだろ?』

当然のような言い方をして目を瞑る土方さんだったけど、

私の場所だけで気を許すその姿はいつだって嬉しかった。

冷たくても、
優しい言葉なんて中々言ってくれなくても。

私は、満たされてた。

なのに。
なのに私は…、

満たされていたことは普通だと感じ、
それはいつの間にか当たり前になって。

欲深くなって、
一人で不安になって。

この場所も、
ここにあった時間も。

私ひとりで壊して。


「っ…、…どうして…こうなっちゃったんだろう…、」

気がつけば、
とても大きなことになっていて。

「死ぬってっ…、何…っ…、」

どうして、

「どうしてっ…、死んじゃうのっ…?」

どうして、別れるの?
どうして、決められているの?

「どうしてっ…、」

どうして。


「私たちなのっ…!」


神様は、
どうして私たちにしたんだろう。


「こんなに辛いぐらいならっ…、」


出逢わなければ良かったのに。


そう口にしようとした時、
廊下の軋む音がした。

私は慌てて立ち上がって、押入れの中へ身を潜めた。

軋む音はどんどん近付いて、
無意識に上がる自分の息を手で塞いだ。

スッと開く障子の音。
私の部屋だ。

「…、」


音は聞こえない。

でも足音はする。
畳の上を誰かが歩く音。

その音が止まった。

静か過ぎる空気に、私の心臓の音だけが馴染まない。

そんな時、
部屋にいるその誰かが、ふぅと息を吐いた。

私の胸が騒いだ。
溜め息なんかじゃないその音。

頭で理解する前に、私の胸が騒いだ。

同時に鼻を掠めるのは、嗅ぎ慣れた白い匂い。

彼がここに、何をしに来たのかなんて分からない。

なのに私は涙が込み上げて、
必死に口を閉じて。


「紅涙…、」


誰もいないはずのその部屋で、
一人で私の名前を呼ぶ土方さんの声。

気がつけば、
私は自分の胸を握り締めていた。


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