33


そして、冒頭へ


愛しさが募っても、
寂しさが募っても。

私が納屋から出してもらうことは出来なかった。

でももう近藤さんを責めるような気持ちにはならなかった。

近藤さんは言った。

「トシが帰ってくるまでは出してあげられないんだ、分かってくれ。」

私がここを出る時は、土方さんが帰ってきた時。
それだけで、十分だった。

「代わりに」と近藤さんはお風呂に行かせてくれた。

次の日も、その次の日も。
近藤さん自らが納屋に来て食事を持ち運んでくれる。

「用がある時は呼んでくれ」と、
業務時に使用される携帯ひとつを置いていってくれた。

日常を納屋で過ごす以外には大した変わりのない生活。

こうしてる間にも、
土方さんの身に何か起きてないのだろうか。

死別するというのも、
今まで私が去る立場だったけど、今世は土方さんかもしれない。

そんなの、

そんなのっ…。

「っ…、ダメだ…、考えないように…しないと。」

納屋の静けさは、
自分との葛藤だった。


---ガタン…

4日ほど経った頃、夜中になって近藤さんが納屋の扉を開けた。

「紅涙ちゃん…寝た?」

私はその声に「まだですけど」と返事をした。
近藤さんはまだ隊服のままで、「よかった」と言った。

「隊から帰還の連絡があったよ。」

待ち望んでいたのに、
その言葉は私にとってあまりにも不意打ちで。

「え…?」と近藤さんに向けてしまう。

近藤さんは小さく頷き、明るく笑って言った。


「トシ達、帰ってくるって。」


私は無意識に立ち上がっていた。
近藤さんは納屋の扉を開ける。

それを見て、近藤さんの顔を見上げた。

「外で一緒に待っていようか。」

私は高鳴る胸を押さえて、静かに頷いた。


納屋から出ると、夜中の風が私たちを通り過ぎる。

足がフワフワした。
近藤さんは「気持ちのいい風だな」と嬉しそうに言った。

閉めていた屯所の門を開けて、左右に伸びる道を見る。

「もう少し掛かると思うよ。」

近藤さんが私を見て微笑む。
私はその言葉に「そうですよね」と苦笑して、門の前にしゃがんだ。

近藤さんも同じように私の隣にしゃがみ込む。

小さく笑って、夜空を見上げた。

「星…、綺麗ですね。」

黒とも紺とも言えない空に、小さな点が光る。
近藤さんは「そう言えば」と言った。

「今回は遠征の間、ずっと晴れてたなァ。」
"これだけの晴天続きは珍しいよ"

近藤さんが見上げた夜空に言葉を飛ばした。
私は「そうなんですか?」と同じように夜空を見上げ、言葉を投げた。

「きっと紅涙ちゃんのお陰だな。」
「え?」
「トシを心配する気持ち、伝わってるんだよ。」

近藤さんは「なんちゃって」と言って笑った。
私もそれに笑った。

「紅涙ちゃん。トシはね、真面目なんだ。」
「はい…、」
「自分の崩し方を知らない。まァそれが隊士の見本になってるんだけどね。」
「そうですね…。」

近藤さんは立ち上がって「だからね、」と言った。


「だからきっと、君の未来に連れてってあげても、不足はないと思うよ。」

『その君が見る未来に誰かが居るのなら、そいつも連れってやってくれ。』
"一緒に、生きてやってくれないか"


「はい…、」

私は立ち上がって、近藤さんに笑った。
「でも」と私は呟いた。

「土方さんは…、私とじゃ不足かもです。」

困ったように笑った時、


「局長ォォォー!戻りましたァァァ!!!」


まるで遠足帰りのような山崎さんの声が聞こえた。

その声はすぐに「煩ェ!」という大きな怒鳴り声で消されて。

「トシ!御苦労だったな!!」

山崎さんの声に負けないぐらい大きな声の近藤さんが声を掛けた。

「お?総悟が見当たらないんじゃないか?」
「あー、ダラダラ後ろ歩いてやがる。」

ぞろぞろとこちらに歩いてくる様子は誰も負傷者がないように見える。

「良かった…、」

安著の溜息と一緒に、その言葉が自然に零れ落ちた。

近藤さんが皆の方へ歩いて、私もその後からついていく。

土方さんがこちらを見て驚いた顔をした。
私はそれに小さく笑んだ。

お互いに歩けば、
お互いの距離が縮まるわけで。

いつの間にか、私たちは近くなっていた。

「土方さん、」
「…お前、何でここに居るんだ。」
「そ…それは…、」
「トシ!待っててくれた人に対して何て言い方してんだ!!」

近藤さんが皆に労いの言葉を掛けてる合間に、こちらに向かって言った。

それに土方さんは舌打ちをして、「まァいい」と言った。
不満そうに懐から煙草を出して火を点ける。

特別な行動じゃないのに、懐かしくて愛おしい。

「土方さん、」

おかえりなさい、そう言おうと土方さんの目を見た時、


「…?」


私は、
とても不思議なものを見た。

皆に紛れて、一人だけ刀を握りなおす姿。
その男は柄を握りしめ、こちらに駆け出していた。

「ッ!!」

目の前に立つ土方さんを横に押した。
それでも私より体格のある土方さんはピクリとしか動かない。

「ッおい、何すんだよ。」

土方さんの機嫌の悪そうな声。

その声と被さるように、


「土方十四郎ォォ!覚悟ォォォ!!」


醜い怒声が響いた。
私は無意識に土方さんの背後に立った。


「紅涙ちゃんっ!!」


近藤さんの悲痛な叫び声がする。

私の前には男が驚いた顔をして刀を光らせていた。

そして悔しそうな顔に変わり、彼はより憎しみに力を込めた。

勢い付いたその刀は、

「ッぐ…ッ…!」

私の腹部を突き刺した。
その瞬間は、痛いという感覚よりも熱くて。

男が「このクソ女ァ!!」と叫び、
私から刀を抜いた時が一番激しい痛みを感じた。

息苦しさと痛みに膝をつく。


「ッ、紅涙…?、…おい…、テメェ…ッ!!」


信じられないと言った様子の声が私を呼んで、今までに聞いたことがないような怒声。

私は地面に滴る血を見て、咽返るように吐血した。

そのまま崩れ落ちそうになって、
何とか付いた手は、ビチャリと降って来た誰かの血に濡れた。


そして視界の端に倒れたのは、私を突き刺した男。

男は瞳孔を開き、既に息絶えていた。

震える腕で体を支えて見上げれば、土方さんが刀を握り締めて立っている。

その刀からは血が刃に沿うように流れ落ちていた。

肩が揺れるほど、
息をしているのが印象的だった。

良かった…、
土方さん…、無事…だ。

「土…方、…さ、」

うまく声に出来たかは分からない。

だけど土方さんはすぐに刀を捨てて私を抱き抱えてくれた。

「おいッ、紅涙!!」

視界が良くないせいで、土方さんの顔はよく見えない。

こんなに動揺している土方さん、見たことがない。

土方さんの声が、痛々しいほどに悲しい。

「紅涙ちゃん!!しっかりするんだ!!」
「紅涙ッ…!おい、返事しろッ!!」
"総悟!!救急呼べッ!!!"

そんなに悲しそうな声を出さないでほしい。

土方さん、
私まで悲しくなるから。

もう、死んじゃうみたいじゃないですか。

私、
まだ土方さんに言ってないのに。

あなたの背中、

まだ、
押してあげてないのに。

そんなに…、
悲しい声、出さないで…。


「っ?!っ、紅涙ーっ!!!」


返事をしたかったのに、
今はもう眼を閉じたくて。


何も、声には出来なかった。


- 33 -

*前次#