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ミエナイ場所


「う〜ん…、少し熱ありますね。」

体温計を見て看護師が記録する。

「気分は悪くないですか?早雨さん。」
「別に…何ともないです。」

看護師は「何かあったら呼んでくださいね」と言って、病室を後にした。

そんな短時間では、
やはり近藤さん達は戻ってこなくて。

「…何、話してるのかな…。」

ベッドで寝ころびながら呟いても、気になる気持ちは治まらない。

「どうせ後で聞くんなら…、一緒だよね。」

起き上がり、そろそろと歩いて入口のドアを引く。

有難いことに病室のドアはスライド式。
少し気を引き締めて開ければ音の一つも立たない。

忍び足で待合室の傍まで来て、足を止めた。

恐る恐る近寄る私の耳に聞こえたのは、


「…先生…、待ってください。」


土方さんの声だった。
すぐに私は身を屈めた。

ここから彼らの姿は植木によって妨げられ、草木の合間からしか見えない。

担当医は私に背を向けた状態で座り、その向かいには近藤さんと土方さんが座っている。

こちらからすれば、
二人の表情が見えやすくて分かりやすい。

「…話が…、頭がついていかねェ…。」

土方さんは、困惑しているように眉間を寄せていた。

近藤さんも似たような顔をして、額に手を当てていた。
そんな姿は珍しい。

担当医は「分かります、」と言った。

「しかし大切なことです。落ち着いて、受け入れてください。」

冷静で、淡々とした口調。
そして、担当医は言った。


「早雨さんの体調は、悪化しています。」


私の胸が、ドクリと鳴った。
「くっ」と苦しそうに近藤さんは呻き、短い自分の髪を握り締めた。

「考えられる原因は斬りつけられた時ですかね。その際に錆が体内に入っていたようで。」
「さ…び…?」

近藤さんの掠れた声。
担当医は「えぇ」と頷いた。

「刀が錆ていたのかは分かりませんが、何らかの形で体内に錆が残っていたようです。それが細胞と反応してしまっています。」
"過去に事例のないことなので、詳しいことはまだ明らかではありませんが…恐らく"

私の体内に…、錆…?

体調が…悪化…?
こんなに…、元気なのに…?

「そっそれはどうなるっていうんすか?!」
"マズイことなんすか?!"

ドンと机に両手をついて、近藤さんは声を響かせた。
病院には相応しくない大声に、「お静かに」と担当医が促した。

「錆が血液と何らかの反応を起こしているのは確かです。血脈に乗って、他の器官に回り、そこで何が起こるか…。」
「そんなっ!!」
「しかしあまり例のないこと。私たちも早まった行動をするわけにはいきません。症状が出るまでは何とも…。」
「どっどうにかならんのですか?!」

近藤さんは担当医の両腕を縋るように掴み揺らした。

先ほど注意されたことも忘れるかのような声量だけど、私の耳には小さいぐらいだった。

この体の中で、そんなことが…?
到底…信じられない…。

耳鳴りが、遠くからやってくる。

「分かりますよ、近藤さん。しかしここは落ち着いて。」
「落ち着いてられますか?!」

担当医の促しを近藤さんは払いのけた。


「どうにかならんのですか?!」

再度の声に、担当医はゆっくりと顔を横に振った。

その態度に悔しそうな近藤さんの声が空しく響いた時、ずっと黙っていた土方さんがポツリと声を上げた。

「俺の…、」

その声に、近藤さんも担当医も目を向ける。


「俺の血は…使えないんですか。」


土方さんの声が、静かな廊下に響く。
机の上で硬く握られた土方さんの拳。

「俺の血、どんだけ使ってもらっても構いません。アイツが…ッ、アイツが助かるんならっ、」

私は無意識に、息を呑んでいた。
土方さんの俯くその肩が、少し揺れて見えた。
近藤さんは「トシ…」と声を震わせた。

「…残念ながら、それは出来ません。」

担当医は変わらず冷静に否定した。

「型が一致していたとしても、血液を全て抜き取り、入れ換えられるというものではありません。
ただ今の私たちに出来るのは、これからは容態を毎日精密に検査し、異常反応を見せる前に手術へ移る…。それを目指すだけです。」

近藤さんは「目指すって何すか?!どういう意味ですか?!」と声を上げた。
担当医は「厳しいようですが、」と苦言した。

「症例がないので、どのような状態で異常反応が表れるかが私たちにも分からないのです。
血液中に必要以上の数値が出る等、明確な"異常"として出てきてくれない以上は防ごうにも防げないということです。」
「くっ…!」

近藤さんが唇を噛んだ。
「どうしてなんだ!」と机を叩いた。
ドンと揺れた机上にある拳を見ながら土方さんは黙っていた。

私はただそれを、処理できない頭で見ていた。
鼓動ばかりが早く打って、呼吸が苦しくなった。

医者は広げていた書類を束ねながら、

「この後、早雨さんにもこのことを伝えようと思いますが宜しいですか?」

近藤さんと土方さんを見て言った。

近藤さんは苦虫をすり潰したような顔をして、土方さんを見た。
土方さんは自分の拳に目を向けたまま、「…いや、」と小さい声を出した。


「紅涙には…、…言わないでください。」


その声に、「トシ…?」と近藤さんが声を上げた。


「紅涙ちゃんには…病気のことを言わないつもりなのか?」
「…、」
「確かに…こくなことだが、紅涙ちゃんに話した方が良いと…俺は思う。」
「…、…。」
「彼女自身、いつまでもここにいることが不満になってくるだろうし、それに…、何が…あっても悔いのないように、」
「分かってる…、分かってるから…そういう言い方は止めてくれないか…近藤さん。」

近藤さんは「すまない」と眉間の皺を悲しく寄せて謝った。

「…俺が、」という声とともに、土方さんは顔を上げた。


「俺が…、話します。」


顔を上げたその土方さんの眼を見て、

「っ!」

堪え切れなくなった。

私は病室へ駆け戻った。
すぐにベッドへ突っ伏せて、布団で顔を隠した。

「…っ…、」

溢れ出すような涙の意味は、

信じられないことへの戸惑いとか、
先への不安とか、

もちろんあったけど。

「土、方さっ…んっ…、」

あれほどまでに、

苦しい眼をする土方さんを見て、

「やだよっぉ…っ…!」

逃れられない輪廻を、

目の前に見た気がしたからだ。


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