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読めない本


布団を握り締めて、声を抑えるように泣いた。

空しかった。

少しでも輪廻を超えたと思ったあの時の感情が。
晴れ晴れとしたような、あの時の感情が。

やっぱり、と思ったこの瞬間の、空虚感が。

苦しかった。
土方さんのことを想うと。

ずっと甘い夢は続かないのかもしれない、
ずっと一緒に居れないのかもしれない。

何より、

土方さんに、
あんな眼をさせてしまったことが、

土方さんに、
また苦しい思いをさせてしまっている今が、

悲しかった。


---コンコン…

「…紅涙、入るぞ。」

それからどれぐらいも時間が経たないうちに、土方さんは病室へ戻ってきた。

私はベッドの上で寝ころび、
さも今まで本を読んでましたという顔をして「お帰りなさい」と笑った。

「どうだった?検診。」

土方さんの表情はバレバレで。
部屋を出て行った時のような顔つきは嘘のように感じ取れない。


私を見る目が、切なくて。

「何ともありませんでしたよ。」
"ほんと、何もなくて申し訳ないぐらいです"

困ったように土方さんへ微笑めば、土方さんは「そうか」と弱く微笑した。

「…、」
「…。」

二人が黙ってしまう空気なんて、今までいくらでもあったのに。

「…あ、そうだ。近藤さんはどうしたんですか?」

とても、耐えられるものではなかった。

土方さんは、
どんな風にこの沈黙を感じているんだろう。

「…呼び出しがあってな、先に帰ったよ。」

いつ、話を切り出そうかとか考えてるのかな。

私と話しながら、
私のことを話すタイミングを。

ずっと、考えてるのかな。

「…土方さん…、」

…ごめんなさい。

私…、
あなたを悲しませるために生まれて来たんじゃないのに…。

「どうした…?」

どうして私は…、

苦しませて、
悲しませて。

そればかりなんだろう。

「紅涙?」
「…、」

私に出来ること、しなかったからかな。

別れなさいって言われたのに、結局こうして傍に居てしまうこと。

唯一、
私に出来ることだったのに、

それをしなかったから、また繰り返すのかな。

「おい…、どこか具合悪ィのか?」

ごめんなさい…、土方さん。

やっぱり私、
別れられなかった。


「好きになることって…、辛いですね。」
「…紅涙?」


好きなんだもん…。

だから…、

悲しくたって、
苦しくたって、

何度だって私はあなたに出逢うんだ。

「お前…、急に何言ってんだよ。」

土方さんは私に対して、眉間を寄せて窺い見る。
私はそれにクスクスと笑って、

「やだな、土方さん。」

「何て顔してるんですか」と土方さんを笑い飛ばした。

「これですよ、これ。さっき読んでた小説。」
「…あァ?」

土方さんは若干イラついた様子で私を見た。
私は先ほど傍に置いた本を手に取り、「これね、」と言った。

「この話、好きだからこそ別れなきゃいけないって話なんです。」
「…。」
「お互いの成長のために、二人は背中合わせに旅立つんです。」

本当は。
私の手にあるこの本は、本当はそんな内容ではなくて。

それは、
フイに出た言葉を紛らわすには、十分なあらすじ。

「まだ最後まで読んでないんですけど…、二人は…幸せになれるのかな…。」

それは、
私たちのあらすじ。


「一緒に…なれるのかな…。」


私たちの、話。

「…、どうだかな。」

土方さんはそう言って、ベッドの上に腰を掛けた。
ベッドのスプリングがゆっくりと軋む。

「決められたことを変えるなんて…、出来ねェ。」
「…、土方さん…、」
「たとえば俺がベッドにこうして座ったことも、決まってたことだ。」

土方さんは布団を軽く叩いて、「俺たちが、」と言って寝ころんだ。

私の足が布団越しに土方さんの体重を感じる。

「俺たちがどうこうしたって…、決まってたことなんだよ。」

土方さんは弱く吐き出すように天井に向かって言葉を投げた。

「だがよ、何したって初めから決まってたことだと思うと、がむしゃらにできる気がすんだよな。」
「…どういう…ことですか?」

私の疑問に、土方さんは小さく笑った。
そうしてまた天井に戻した土方さんの眼は、先ほど部屋に入ってきた眼とは違って見えた。

「どっちにせよ、結果は決まってたんだ。それまでどれだけ暴れてもイイってことだろ?」
"悪く転がろーが、良く転がろーが、結果は決まってんだからよ"

土方さんは、
まるで自分の声に納得したように小さく笑った。

そして私に向けられた目は、

「"幸せになる"、じゃねェんだよ、紅涙。」

優しく、強く感じる目で。


「"幸せにする"、俺の力で。」


私は眼を見開いた。
だってこれって…、

「ぷ…プロポーズ…?」

あまりの驚きに、頭に何も言葉が浮かばなかったけど。

それはすぐに土方さんの声に紛れた。

「あァ?!違ェよ、馬鹿!!」
"俺なら、って話だ!"

土方さんはガバッと音が立ちそうなほどの勢いでベッドから起き上がった。

「な…何だぁ…、違うんですか。」
「当ったり前ェだろーが!」
"誰が病院なんかでプロポーズするかよ!"

私が土方さんの言葉に「そういう問題ですか?」と苦笑すれば、「煩ェ!」とまた怒鳴られた。

すると病室のドアが開いて、
「お静かに」と看護師さんが顔を出した。

私たちは「はい、すみません」と二人して謝って、病室のドアが閉まるのを待った。

「お前のせいで怒られちまっただろーが!」
「ひっ土方さんが大声出すからですよ!!私全然小声でしたからね!」
「煩ェ!お前が変なこと言いだすからだろーが!!」

閉まった途端にこの始末。
ドアは再び開き、同じ看護師が注意を促して出て行った。

今度こそ静かになった部屋で、
土方さんは溜め息を零して、また寝転がった。

「ったく。お前はほんと減らず口だな、昔から。」

『昔から』
その言葉は、不思議と私を安心させるものだった。


私をずっと知っていてくれている、
ずっと傍で見てくれていた、そう感じた。

「…そんなことないですよ。」
「いーや、お前が一番タチの悪ィ顔になるのはマヨ丼を見てる時だな。」
"あの時のお前はほんと失礼だからな"

土方さんは「あんな上手いもんはねェのによォ」と言って、自分の顔に腕を乗せて目を塞いだ。


「…今度、」


目を隠したまま、土方さんは話す。


「今度、…連れてった時は、…そんな顔させねェからな。」
"絶対に食わせるから腹くくっとけ"


そんなことを言う土方さんは、いつだって意地の悪い顔をして言うのに。

「土方さん、」
「あァ?」

消えそうな声で、そんなこと言わないでください。

「さっきの。…ちょっとドキドキしましたよ。」
「"さっきの"?」

笑って?土方さん。
私、土方さんと居て幸せだったから。

「ぷろぽーず。」
「だからしてねェって!」
「ふふ。でも、」

だから土方さんも、
私と居て幸せだったなって思えるように。


「ちょっと…嬉しかったです。」
「…"ちょっと"かよ。」
「あはは。」

どうか、

最期の時まで。


一緒に笑っててください。


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