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愛しき華


あいつは、いつも笑っていた。

「土方さん、今日は一段とヤニ臭いですね!」
「煩ェよ。」

傷は、とうの昔に治っている。
それでも俺はここに通う。

紅涙が居るから。

「忙しいんでしょう?毎日なんて来てもらわなくても…、」
「いいんだよ、俺が居ないぐれェが丁度いい。」
"アイツら、働きやがれ"

これほどまで長く病院に居るのに、不満の一つも言わず。

傷が治った頃は長い病院生活に不思議がっていたが、今では疑問のひとつも言わない。

それがどうしてなのか、なんて。
俺は考えたことがなかった。


「土方さん、私もうお腹いっぱいです…。」
「あァ?!またテメェ残しやがって!!」
「だって味がしない…。」
「うっせ!食え!オラオラァァ!!」
「ギャァァァ!!」

紅涙が何も聞いてこないことをいいことに、俺はいつまでも言わなかった。


「…、か…帰らないで…。」


紅涙の怯えた声は、正直驚いた。

一気に罪悪感が俺を襲った。

不安にさせている。
寂しい思いをさせている。

言わなければ。
本当のことを。

言ったところで、余計に紅涙を苦しませることだとしても。

何も知らずに、毎夜ここで過ごさせているなんて。

俺だけ、
帰るなんて。

お前だけを、
不安にさせているなんて。

言わなければ。

本当のことを。
お前の、体のこと。

お前に話すのは、俺の役目なのに。


「すみません、今日の夜…、」

今にも崩れそうな紅涙が俺を呼びとめた次の日。
俺は病室で泊まる許可を取った。

あれほど抱え込む紅涙が、あんな顔をして引き留めるなんて。

あいつの中で、
何かが一線を越えたとしか考えられない。

そう、考えて。
紅涙に気を遣わさないためにも、寝静まった頃に病室へ入った。


すると、目の前に苦しむ姿があった。

紅涙は虚ろに俺を見て、「心配しないで」と言った。


俺は、胸を掻き毟りたくなった。

無力な俺は、
紅涙の手を握りしめることしか出来なくて。


「先生…、紅涙はどうなんですか。」
「…数値は確実に上がっています。」
"今は落ち着きましたが"

またこうして、
眠るお前を置いて、俺は医者の話を聞くだけ。

「発作が出たということは注意すべきですね。」
「…。」
「これが初めての症状ですよね?」
「…いや…、俺は初めて見ましたが…。」
「早雨さんからは何かお聞きでは?」
「…いえ…。」

お前は、
俺の知らないところで苦しんでいたのか?

気になる点はあった。

発作のあった夜、
紅涙はどうして耐えるように苦しんでいたのか。

ひたすらに痛みが通り過ぎるのを待っているかのように、全くナースコールに手を伸ばさなかった。

病室にいる人間が、
まずナースコールに手を伸ばさないわけがない。

痛みを、
伝えたくなかったのだとしたら。


『ッ、心配っ、しな…ぃッで、』


なぜだ。
なぜ、伝えたくなかった?

「土方さん、もう仰られましたか?」
「え…?」
「早雨さん自身に、病状を。」
"土方さんからお伝えくださる予定でしたよね"

医者がカルテを見ながら俺に問う。
俺はそれに「…まだです」と言った。

気持ち悪いほど、小さい声で。

「…そうですか、なら私からお伝えしましょうか。」
"あなたにとっても、辛いものですからね"

こちらを向いた医者は、
俺を"仕方ないことだ"という目で言った。

「…いえ…、俺から…言います。」
「しかしね、土方さん。今度ばかりは本当に先の見えないとこまで来ていると言えます。」
"もちろん、今までだってそうでしたが"

医者は数字ばかり並べられた紙を、目を細めて見た。

「私どもも投薬を開始します。上がった数値を下げるものと、発作に対してのもの。」
「…。」
「直接的に治せる薬ではありません。」、
「…それは…、今までと…変わらないってことですか…、」
「本当の病に対しては…厳しいようですが、そうですね。」

コクリと頷く医者に、俺の頭が端から白くなっていく。

「土方さん。もちろん、本人に対して絶対に病気を伝えなければならない、ということはありません。」
「…。」
「しかし、病気というのは不思議なものでね。」

医者は手にしていたカルテを置いて、俺を見る。
病気のことを話しているとは思えない穏やかな笑みを見せて、


「楽しく病気と向かい合えば、良くなることがあるんですよ。」
"医学的に、証明されてるんですよ"


そう言った。

"楽しく"?
そんなの、出来るわけないじゃないか。

笑ってても、泣いてるかもしれない。

何をしたって、
人は、死ぬじゃないか。

今日もこの病院で何人が願い、何人が叶わなかった?

「伝えずに、知らずに闘病するのもその人によっては良いかもしれません。」

その中に、
紅涙も居るかもしれない。

「でも大切なのは、諦めずに戦う本人の"生きる意志"だと思います。」

紅涙、お前は願ってるだろう?
お前は生きたいと、強く願ってるだろ?


「看病するあなたが悲観的になってはいけませんよ、土方さん。」
"辛いのは、あなただけじゃない"


紅涙、

紅涙…。


俺は、お前に…何をしてやれる?


「…先生…、」
「はい、」
「…紅涙を…助けてやってください…。」
「…土方さん…。」


お前を傷つけたくせに、俺は助けられないのか…?


「紅涙をっ…お願いします、助けてくれ!」
「落ち着いてください、土方さん。私どもも全力を尽くします。」
「頼むっ!頼むからっ…、紅涙を…、」


あいつが何をした?
これだけ苦しまなきゃいけねェ理由がどこにある?


「っ殺すならっ…!殺すなら俺にしてくれ!!」
「土方さん!!」


医者が俺の肩を掴み、
「何てことを口にしてるんだ」と怒鳴った。

「君が強くいないでどうする!」
「っ、」
「彼女が頼れるのは君しかいないんだ!君が一緒に戦わないでどうする!」

紅涙…、

「逃げるんじゃない!!」
「ッ…、」

俺は…お前に生きてほしい…。

少し前は、
お前の幸せを願ったけど、

俺はお前と生きたい…。


「心を強く持ってください、土方さん。」


"君が彼女の薬でもあるんだ"

そう言われた言葉に、喉が苦しくなった。
鼻の奥が小さく痛む。

あぁ、悲しい。
俺の目にも、まだ涙はあったのか。

外からコンコンとしたノック音が聞こえて、看護師が「先生、」と呼んだ。

俺はそれを見て立ち上がった。

「ありがとうございました、…。」
「土方さん、酷ですけど楽しく過ごすことは大切なことなんです。」
「…。」
「今まで以上のことをしてくださいなど言いません。今までの通りでいい、ただ紅涙さんが心から笑えるようにしてあげてください。」

"あなたと居る紅涙さんは、本当に幸せそうですから"


俺はそれに頷いて、部屋を後にした。
そのまま中庭に行って、煙草を吸う。

火を点けて煙を吸っても、味はしなかった。

頭の中は、
真っ白なようで真っ黒。

紅涙のことしか、頭に浮かばない。

病室に戻っても、
紅涙はまだ眠っているかもしれない。

それを見て、
俺はまた何を考えるのだろうか。

ただ燃え続けた煙草を捨てて、俺は紅涙のいる病室へ戻った。


扉を開けた時、

「あっ!土方さん!」

紅涙がいつものようにベッドの上に座っていて。

「も〜どこ行ってたんですか?」
"聞きたいこと、いっぱいあったんですから"

この夜が嘘のように、紅涙は元気よく声を掛ける。

「…、紅涙…、」

お前を呼ぶ声が、震えている。

「はい?」

小首を傾げる紅涙は笑っていた。


「…、…話が…ある…。」


いつだって、

紅涙は、笑っていた。


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