43


夕風


歌舞伎町に出て、まず初めにしたことは。

「えぇぇ?!こんなに高いとこ、ダメですよぉ!!」

街を歩くための着物購入。

病室には以前に着てきた着物を綺麗にクリーニングされたものがあったから、それを着てきたけど。

「構やしねェよ。ほら、どれがいいんだ。」
「どっどれって言われても…、」

土方さんは値段も見ずに、着物を見繕ってくれると言う。

昔なら「外で待ってる」とか言いそうな場所なのに、土方さんは私と同じように店の中。

たまに着物を手に取って、
「こんな派手なの誰が着んだよ」とか悪態ついていた。

土方さんがそうは言ってくれても、やっぱり気は引ける。

「こ…これ、どう思います?」

私はその中でも安い値段の物を手に取って、隣に立つ土方さんに見せる。

土方さんはそれを一目見るなり「却下」と言って、店の中をぐるりと見渡した。

「おい、そこのを見せてくれ。」

座敷の中に広げられていた着物を指差して、店の主人を呼んだ。
それはどこからどう見ても、

「だっ駄目ですよ!土方さん!!」
「あァ?」
「あっあれ、絶対高いです!とんでもなく高いですよ!!」

私は必死に土方さんの腕を引いた。
それでも土方さんは「構わねェよ」と冷静な顔をする。

「お客さん、お目が高い!これはうち一番の品でね、絶妙の染めを」
「買う。」

土方さんは主人の話も聞かず、財布を取り出した。
私は腕を引いたが、土方さんは聞かず。

「今すぐ着て行くから。こいつに着せてやってくれ。」

私はあれよあれよという間に、新しい着物を着つけてもらった。

着つけが終わって、土方さんの前に出されて。


「ど、どうですか…?」

恥ずかしいような感覚に、ドモりながら声を出せば、

「…あァ。すげェいい。」

土方さんは目を細めて微笑む。
珍しいその言葉に、
私はさらに顔を赤くして俯けば、視界の端に手が見えた。

「行くか。」

その手は、繋ぐためにあるもので。

「…はい!」

私は、土方さんの手を取った。


「どこに行きてェんだ?」

着物屋を出て、
街を歩きながら。

当然の如く、行き交う人が振り返る。

「あれって真選組の副長だよな?」
「隊服着てるからそうだろ。女連れて歩いてるぜ?」
「やだ、手まで繋いでるわ!信じられない!!」

野次の声は小言でも聞こえる。
私がそれに歩幅を遅らせれば、土方さんに引っ張られるように手が浮かぶ。

「…土方さん、」
「ん?」
「手、やめましょう?ほら、土方さんの信頼が薄れちゃったら仕事に支障が」
「ンなこと気にすんな。俺ァ今プライベートなんだよ、関係ねェ。」

ぐいっと土方さんが繋いだ手を強く引っ張れば、私はつんのめるように土方さんの隣に立つ。

体勢を崩しかけた私を支え、
「どこ行く?」と私より高い場所から優しい目線を向けてくれる。

「じゃぁ…ご飯、食べたいです。」
"あの定食屋さんで"


私がまだ隊士だった頃、と土方さんといつも食べに来ていた定食屋。

おじさんとおばさんは、
長い時間来ていなかった私達を見て驚き、それはそれは喜んでくれた。

土方さんは「いつもの、」と頼む。
私は「それと同じで、」とおじさんに頼んだ。

その言葉に驚いたのは、おじさんよりも先に土方さんだった。

「お前、マジで食うのかよ。」
「食べますよ?前までは食べろ食べろって煩かったのに。」
「…無理すんな。」
「無理してませんよぉ、今日は食べたいんです。」

ニコニコする私に、土方さんは溜め息を零す。

食べられるかどうかなんて、正直分からない。

だけど食べたかった。
同じ物が、食べたかった。


「…うっ…、き、気持ち悪い…、」
「ほれ見ろ。無理して食うからだろーが。」

ご飯も食べ終わって、
定食屋の外で土方さんは煙草に火を点ける。

私は蹲りたい気持ちを抑えつつ、「だ、団子屋へ行きましょう」と口にした。

「はァ?!お前、それでまだ食えるのかよ!」
「お口直しです。」
「失礼なヤツ!!」

ケタケタ笑う私に、
なんだかんだ言いながらも土方さんは歩いてくれる。


団子屋へ行って、
歌舞伎町を練り歩いて。
市中見回りの道順も歩いた。


その途中には屯所も通ったし、
私が住ませてもらっていたマンションも通った。

だけど、
あの道は通らなかった。

あの道。
土方さんと私の道が変わってしまう切欠になった道。

それには触れなかったし、
触れる勇気がなかった。

今を、
壊されそうな気がして。


「懐かしいなぁ〜…、」

道すがら、土方さんは隊士の話をしてくれた。

いっぱい笑ったし、
いっぱい歩いた。

「そろそろ日が暮れるな。」

川辺で腰を下ろす私達を裂くように、日は紅く染まり出す。

「今日は…、ありがとうございました。」

川を見たまま言葉を紡いでも、土方さんは返事をくれなかった。
代わりのように、煙草の煙が風に届く。

「…楽しかった、です。本当に。」

思い出とは、不思議だ。

たとえ古い記憶が寂しく悲しいものでも、
幸せな新しい記憶が重ねられた瞬間に、塗り替わってしまう。

現に、
私の中にある歌舞伎町は、

とても、甘いものになった。


「今日だけなのに、高い着物まで…買ってもらっちゃって。」

私が自分の袖を見ながら微笑めば、「違ェだろ」と低い声がした。
その声で土方さんの方を見れば、真っ直ぐな眼差しが私に突き刺さった。

「今日の為だけじゃねェ。ずっと着りゃァいい。」
"次にまた出かける時だって着りゃァいい"

土方さんの言葉に、
私は口を開けて、何も言わずに閉じた。

周りの草が、ザっと音を立てて揺れる。
私と土方さんの間に、柔らかい風が通り抜ける。

「そうだろ?紅涙。」

互いの言葉が、言わずと伝わる。

それはきっと、

「…そう…ですね、」

この風が、伝えてくれているからだと思う。


- 43 -

*前次#