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落ち着く場所


土方さんが帰って一刻ほど経った頃。

私は、病室を抜け出した。


このままここで最期を迎えても、土方さんは自分を責める。
私はそんなあなたの前で、弱る姿を見せたくない。

道理として通じないなんて関係ない。

これしか、
もう考えられなかった。


「…意外に…、簡単に出れちゃった…。」

まだ閉館時間じゃなかったのと、
土方さんが買ってくれたこの着物のおかげ。

私は病棟を振り返り見て、すぐに前を向いた。

「どこまで行けるかなぁ…、」
"お金、あんまり持ってないし…"

手元にあるお金は、
入院した時に持っていたまま。

とりあえず歩きながら財布を見て、私は小さく溜め息をついた。

「この街には居れないから…、とりあえず隣町まで行こう。」

一駅だけ、電車に乗って。
その先で宿を探そう。

それぐらいしか、お金に余裕がない。

あてのない行動すぎて、不安になる暇もない。

それに、
不安になれば、いくらでも弱くなれそうだった。

私の頭の中は、不思議なぐらい何もなかった。

ただ一度、
電車に乗り込む時にだけ。

「…、」

"土方さん…"

彼の名前を、呼びたくなった。


「初めてだなぁ…、隣町。」

隣町はとても小さな町。
いくら江戸の隣でもあまりに小さいその町は、身内がいない限り目に止まらない町。

「すみません…、宿ってどこにありますか?」

駅員さんに聞けば、
町に1つしかないという宿を教えてくれた。

私は簡易な地図を書いてもらった紙を片手に、その宿まで歩く。

さほど駅から遠くないその宿は、この町のように小さい宿。

「すみませーん、」

玄関先で声を上げる。
少し待ってみるが、声は返ってこない。

「あのー、すみませーん、」

もう一度声を上げれば、奥から「はーい!」と女の人の声がした。
手を拭きながらこちらに向かってくるのは、とても優しそうな女の人。

「あらあら、もしかしてお客さん?」
「あ、はい。あの…空いてますか…?」

女の人は「まぁ!」と口に手をあてて微笑んだ。

「もちろんよ、こんな町だもの!この宿はいつでも空いてるわ。」
"お客様なんて久しぶりよ"

それはそれは嬉しそうに中へ入れてくれた。
入口で名前を書いて、電話番号を書く。
病室へ置いてきた携帯電話の番号を書くのは悩んだが、それしかないので書いた。

「部屋はたくさん空いているけど、遠くても女の子一人で私たちが心配だから」と人に近い部屋を選んでくれた。

私は「よろしくお願いします、」と彼女に頭を下げて、部屋まで案内してもらった。

道すがら、彼女はこの宿の女将だと聞いた。
通された部屋はとても綺麗で、店の質の良さが感じ取れた。

私は彼女に「実は…、」と声を掛ける。

「私、お金がこれだけしかなくて…。足りませんか…?」

手持ちのお金を見せて、彼女の顔色を窺った。
彼女は首を振って「十分よ、」と笑ってくれる。

「二日は泊まっていただける金額よ。どれぐらい泊まるの?」
「特に…決めてなくて…。」
「あらまぁ!そうなの!」

彼女は驚いた様子でそう言ったけど、「それなら!」と手をポンと打った。

「もし行くあてがないのなら、うちでしばらく居るといいわ!」
「え?!でっでもお金が」
「うちを手伝ってくれればいいのよ、それを宿代にしましょう!」
「そっそんな…、」

何とも唐突な発言に恐縮したけど、それを拒否する理由は全くない。

私は「…いいんですか?」とチラりと彼女を見た。
彼女は「もちろんよ!」と笑った。

笑顔が、とても素敵な人だった。
それを見てるだけで、私も元気を分けてもらえるような。

こんな人に、なりたかったな…。

そうしたら、
土方さんとのことも…、

また別の形があったのかな…。

「…大丈夫?」

その言葉にハッとして、私は「大丈夫です」と慌てて返した。

「あの、よっよろしくお願いします!」
「えぇ、こちらこそよろしくね。」

彼女は「今日からでも働いて構わない」と言った。
「お金が勿体ないでしょう?」と。

でも私はそれを拒んだ。
「払えるだけ、払わせてください」と言った。

だって、
お金なんて、もう必要ないもの。

ひとまずここで、
ゆっくりさせてもらおう。

「お金を払ってもらうからにはお客様のおもてなしをさせてもらうわね!」

彼女はそう言って、ご飯の用意をしてくると立ち上がった。


私は彼女の去った部屋で、溜め息をついて寝ころんだ。

嫌な溜め息じゃない。
ホッとした、溜め息。

「落ち着くなぁ…、ここ。」

とても穏やかな気持ちで、私は目を閉じた。

いずれ訪れる夜を忘れて。


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