51


焼ける記憶


その人は、
暗くなるまで居てくれる。

「仕事は大丈夫ですか?」といつかに聞いたけど、「問題ない」とだけ言われた。

朝に来て、
遅くに帰る。

まるで彼にとってそれは日課のようで、

私にとっても、
それは日課のようになっていた。


ある日。
彼がその時間に来なかった。

定時と言ってもいいほど、彼は几帳面に来るのに。

「今日は…用事かな…。」

来ないことが不安になる自分が怖い。

私は、
誰でもいいみたいで。

誰かがいれば、それでいいみたいで。

「…、…土方さん…、」

考えることがなくなれば、すぐに頭はそれで一杯になる。

なのに頭の中に浮かぶ彼はハッキリしなくて。

私を呼んでくれる声も、
私に向ける顔も、

どれも分かるのに。
どれも、分からない。

「…やだ…、私、…忘れてるのかな…、」

ほら、土方さん。
早く来てくれないから、私。

土方さんのこと、忘れちゃうよ?

「一緒に居れるって…やっと…、叶ったのに…、」

これだけ想っていても、忘れてしまう私が恐い。

変わらないのに。
想いは何も、変わらないのに。

「…そうだ…、中庭…。」

思い立った時には立ち上がっていた。


病室を出て、中庭まで歩く。
売店の前にある中庭。

どこも私と土方さんが一緒に通った場所。

「思い出すよね、…ここに居れば。」

ここに何度も来たよ。
土方さんと一緒に居たよ。

私が忘れるわけないじゃない。

「いつも土方さんはここで煙草吸って…、」

私はその隣で喋ってたよね。

煙草の煙を見ては、自由なそれが羨ましくて。

静かに目を閉じれば、
土方さんの煙草の匂いが鼻を掠める。

忘れてないよね。
忘れるわけ、ないよね。

忘れるわけ…ないはずなのに。

「…っ、」

どうしてあなたが思い浮かばないんだろう…。

「忘れたく…ないよ…っ…、」

顔を手で覆って俯いた時、私を呼ぶ声がした。

その声にドクりと胸を強く打つ。


「紅涙…?」


その声は、私の中に強くある音。

何よりも確かなことは、記憶よりも鼓動が教えてくれていた。


顔を覆っていた手が震えて、隠した目をその主に向けられない。


この、声は。


「おい、紅涙。どうした?」
"どっか痛ェのか?"


左の手首に、触れられる。
私の顔から手を放させるように、ゆっくりとそちらに引かれた。


「大丈夫か?」


恐る恐る、
前に立つ人を見上げた。

それが誰なのか、
口の先まで言葉は出ていた。


でも…、


「…あ…、…あなたは…、」


それは、

「どうした?」

いつもここへ来てくれる、黒い髪の男の人。

口の先にまで来ていたはずの名前は誰だったのか、分からなくなった。

私は彼を期待していたのかもしれない。

来てくれるはずの彼が来ないから、私は彼を待っていたのかもしれない。

「紅涙、」
「だい…じょうぶ…です、」

私の中に強くあったのも、
鼓動が強く震えたのも。

「…今日は、…遅かった、ですね…、」

彼に対するものだったのかもしれない。

「あァ、悪かった。立て込んでてよ。」
"出てくるのが遅くなっちまった"

そう言ってすまなそうに笑んで、片手に持たれていた煙草を吸った。

「一服してから部屋行くつもりだったけど、紅涙がここに居てビックリした。」

彼の持った煙が私を包む。

その匂いが、

「土、方…さん…、」

焦燥感を煽る。

「…電話…、してきます…、」

この気持ちを、信じたい。
この焦りを、信じたい。

「紅涙?」
「先に部屋…、行っててください。」
"すぐに、戻りますんで"

私は立ち上がった。


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