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散歩道


「そうですか、戻りましたか。」

医者は紅涙を見て「良かった」と口にした。
隣で看護師は「あの時は本当に驚きましたよ」と言った。

「目の前に居るのに、電話してくれって言われて。」
"私、なんて言えばいいのか分からなくって…"

看護師は俺を窺い見るようにして目をやり、苦笑した。


あの夜。
紅涙が居なくなった日の夜。

俺を見張るかのような近藤さんも、さすがに夜には居なくなって。

意味もなく机に向かうのも、
意味もなく煙草を燃やすのも、

俺が、
真選組の副長だということも。

全部を辞めようと、本気で思った。

『死なせたりしねェ。』

紅涙に俺は言った。

本気だった。
あの時も今も。

出来ると思った。

絶対に、
守れると思った。

だけどそんなこと、どうなるか分かるわけなくて。

無力な俺が、
無力を呟いた戯言なのか。

それでもお前を失うなんてことは考えられなくて。

輪廻なんて、
信じるわけにはいかなかった。

「俺が…お前を見つける…。」

いつまでも交わらない糸だというのなら、俺が無理矢理にでも引っ張ってやる。

引っ張って、
括って。

それでも切れてしまうのなら、俺は止まるから。

「…待ってろ、紅涙…、」

それまでは、

お前を想わせてくれないか。


「俺が、…お前を迎えに行く。」


燃え続けただけの煙草を灰皿に押しつぶして。
寝静まった深夜に、俺は腰を上げた。

途端、

「副長!」

丁度立ち上がった俺と、襖を勢いよく開けた山崎が対面する。

山崎は驚いた顔をして「ど、どちらへ行かれるんですか?」と言った。
俺はそれを無視して「用はなんだ」と言った。

「あっそうだ!紅涙さん、見つかりました!!」

息を、呑むとはこのことだ。
俺は山崎の言葉に、音が出るほど息を吸った。

紅涙が、見つかった。
紅涙が。

「どこでだ?」

俺は今にも駈け出したい気持ちを抑え、冷静を装って山崎に問う。

言え、早く。
今すぐに、俺はそこへ行かなければならない。

「そ、それがですね…、」

焦る俺とは逆に、山崎はボソボソと話して俯いた。

何だよ、やめろ。
心配させんな、不安にさせんな。

「山崎!」

俺は山崎を怒鳴り、先を促した。
山崎は背筋を伸ばして「はっはい!」と返事をした。

「紅涙さんは隣町で宿を取っていたようなんですが…、そ、その…、」

また俺から目を逸らして、
今度はギュッと、痛々しく眉間に皺を寄せた。


「その…、大江戸病院へ緊急搬送されました。」


それからの記憶は、あまりない。

気がついた時には、俺はもう大江戸病院に居て。
手術中と書かれた赤いランプを見上げていた。

隣にはいつの間にか近藤さんがいて、俺に座るよう促した。

「トシ、落ち着け。」
「落ち着いてる。」

嘘だ、
落ち着かない。

前にも言われたその言葉を、俺は同じように近藤さんへ返した。

紅涙、

紅涙…。


お前に、逢いたい。


「あの…、」

額を抑えるように手をあてた時、女の声がした。

それはどうやら俺たちに向かっているようで、限りなく隙間のない思考で顔をあげた。

「紅涙ちゃんの…お知り合いの方ですよね?」
「…。」

誰だ、この女。
どうしてここにいる?

俺が黙って思案していると、近藤さんが声を上げた。

「そうですが。失礼、あなたは?」
「私は紅涙ちゃんが泊まっていた旅館の女将をしております。」
「おぉ!それではあなたが救急を呼んでくださったのですか!!」

近藤さんは立ち上がって、
女将だと言った女に「ありがとうございます!」と頭を下げた。

女将は恐縮そうに手を左右に振り、「私も待っててもいいですか?」と言った。

「宿は大丈夫なんですか?」と近藤さんが聞けば、「人なんて滅多に来ませんから」と笑った。

俺はそんな会話を頭の隅で聞いていた。
声も出さず、ただ紅涙を想って。

「もしかして…、"土方さん"ですか?」

だからそう呼ばれた時には驚いた。
唐突過ぎて、俺は女に目をやって言葉がでない。

何で、
俺の名前を知ってる?

「あぁ違うんです、実は紅涙ちゃんが気を失う前に何度か呼んでたもので、」
"きっと大切な人なんだろうと思って"

紅涙が、俺を…?

「不思議なんですけどね、紅涙ちゃんは息も出来ないほど苦しんでいたはずなのに、あなたの名前を呼ぶと穏やかになったんです。」

女将は「私の思い違いかもしれませんが」と言った。
近藤さんは目元を手で覆った。

「あなたのこと、本当に想っていたんですね。」

その言葉が、俺の胸から何かを溢れ出させた。
胸の辺りから、外に向かって何かが溢れ出す。

紅涙は俺に、
何かあった時は自分のことを忘れろと言った。

何かあることを、知っていたから…?
俺を、少しでも悲しませまいと?

全部、
俺のために…?

「紅涙…、」

馬鹿じゃねェのか、お前…。

「…、馬鹿だよ…、お前…、」

お前が俺の前から居なくなっても、
お前がこの世からいなくなっても、

たとえ、
それが俺の知らないところでひっそりと消えたとしても。


「…一緒だろォが…。」


悲しいのは、一緒じゃないか。

「トシ…、」
「…、」


その後の紅涙は。

意識が戻っても、俺のことが分からなかった。
近藤さんは「ちゃんと話せば分かる」と言ったが、俺はそれを止めた。

俺は、
紅涙が気付かないのなら、それでいいと思っていた。

俺が土方だと言って、
もし紅涙の頭の中にある土方と一致しなければどうなる?

お前は今の俺すらも遠ざけて。
きっと、拒絶する。

それなら俺は、
お前の中で大切にされる存在じゃなくても。

お前の想う、土方十四郎でなくてもいい。

それで、いい。

「…。」

どうしたら…、
伝わるんだろう。

どうしたら…、俺達の不安は埋まるんだろう。

「…、紅涙…、」

もしかしたら、
誰かと想い合う上で、それは一生埋まらないのかもしれない。

なら、紅涙。
俺と一生、それが埋まらないと嘆こう。

一生、探そう。

お前が俺の傍で笑うなら、
俺は不安すらも愛おしくなるから。


「…土方さん?」

退院の準備をする紅涙が俺の顔を覗き込む。

容体も数値も正常で、
発作の気配も見受けられないことから退院となった。

完治した、というわけでない。

いつ戻るか分からない。
そのことを踏まえた上での退院。

病院ベッドの上で、
自分の荷物を纏めた紅涙が「どうしました?」と首を傾げた。

「…いや、…夢、見てた。」
「え!?」

紅涙は「ゆ、夢ですか!?」と驚いた。

「ひ、土方さん、目開いてましたよ?!」
「あァ。」

俺は紅涙の纏めた荷物を手に持って、「知らなかったのか?」と言った。

「俺、目開けて寝る方だから。」
「えぇぇっ…、…、き、気付かなかったな…。が、頑張ります。」
「何を?!」
「な、慣れるのを。」

紅涙は俺の手にある荷物を半分手に取って、「だって」と俯いて言う。

「ずっと見られてるみたいで、恥ずかしいじゃないですか。」

少し赤い顔でそんなことを言う君を、
いつまで、見れるだろう。

「…バーカ。」
「なっ!?何でですか!」

いつまで、笑えるだろう。

「嘘だよ、嘘。」
「ひっ、酷っ!!」

先が見えないことが、俺は幸せだ。

お前と居れるのなら、

それだけで。


幸せだ。


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