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常磐色
(ときわいろ)


取引だと言われたゲーム。
重なるように栗子をまた働かせると言われた。

「なんや知らんけど、土方はん大変そうやねぇ。」

雪華は他人事だと馬鹿にして笑う。
とっつぁんは俺を呼びだしてはある程度の金を置いて早々に別の店へ行く。

ただ俺と雪華を会わせるために。

とは言っても俺は会いたくもない女。
口を一言も利かなかったら、雪華は「喰えない男やねぇ」と俺に接客をやめた。

「来たぁないのに、何で来てくれるんです?」

初めの頃、雪華は当然のように俺に聞いた。
俺は「来なきゃいけねェんだよ」と素っ気なく返した。

「片栗虎はん、いらんことしてくれはるわ。うちかて暇やないのに。」

雪華はそう言って煙管を吸う。
迷惑そうに言うわりに、楽しそうに口元を歪ませて俺を見る。

俺は溜め息をつきながら、
こんなところにいる自分を誤魔化すように猪口に酒を注いでは呑んだ。

今していることは後ろめたいことではあったが、紅涙に何かされてからでは遅い。


俺のせいで、紅涙が。
俺の傍から、紅涙が。

『土方さんの…、匂い…、落ち着く…、』

雪華の香が服に付くことまで気に掛けていなかった俺は、紅涙の言葉に驚かされた。

こんなことをして、
本当に誰かの何かが変わるんだろうか。

とっつぁんの気持ちは晴れて、
栗子はその傷を薄くできるんだろうか。

何より紅涙は、
本当に俺を信頼してくれてるんだろうか。

いや、ただ…、

『お前の信頼を…また潰してるだろう?』

紅涙に甘えているだけなんじゃないか…?

また、泣かせる…?

陰で。
独りで…。

「ちょっと。また険しい顔してる。」

カンカンという音とともに意識が戻る。
煙管を鉢に叩いた雪華は「考え事多いねぇ」と呆れた声を出した。

「そない毎日思い詰めるほど、守られる人が羨ましぃわ。」

シレっとした顔で雪華は言う。
僅かに尖らせた口先から、薄く白い煙が出て行く。


「ここに来て考えるぐらいやったら、その人のとこにおったらえぇやないの。」
「…俺だってそうしてーよ。」
「あら。そしたらこれは片栗虎はんの仕業やね。」
"あの人、自分のことになったら見境ないさかいに"

的を射てしまいそうな雪華に、俺は何も言えずに酒を注ぐ。

「もしかして土方はんて…、結婚してはんの?」
「っあァ?!しっしてねェよ!」
「そない大きな声出さんでも…。顔も赤いし。」
「うっ煩ェ!」

"結婚"
その言葉で一瞬でも紅涙との生活を想像してしまった自分が恥ずかしい。

雪華はますますニヤニヤして、堪らず口元を隠して笑った。
俺が睨めば「ごめんなさいね」と謝る気なんて欠片も見せずに言う。

「そんな子いてるんやったら、こんなとこ来たあかんよ。」

いつもの調子の言葉に、俺は声を挙げようとした。
だけど雪華の顔が、いつもと違って。

「…お前…、」

どこか、悲しそうで。
思い出を見ているように、見たこともない顔で微笑んだ。


「土方はんは、明日もうちのとこに来ました。」


雪華はまたシレっとした顔に戻って煙管に口を付けた。

俺は雪華の言葉に首を傾げる。

「うち、来たことにしてあげるよ。」
「?!」
「片栗虎はんが電話して呼び出しはるけど、土方はんが来る前にいつも行ってる店の子迎えに呼ばせるわ。」
"そしたら対面せんでも済む"

正直、
俺は言葉が出なかった。

遊女というのは、
たとえ男みたいな雪華でも、
そんなことをすることなんて浮かばないと思っていたから。

「お前は…いいのかよ、」
「何が?お金やったら片栗虎はんがくれてるので十分やし」
「もし、とっつぁんに見つかったらお前まで…とばっちり食らうかもしれねェ。」

自分の邪魔をするものは、
ガキみたいなとっつぁんだから何をするか。

「ふふ、やーね土方はん。うちは遊女やで?それも雪華言うたら名前も通るぐらい。」
「…だからこそ、」
「こんないい女が出来んことはないんよ。だからうちの心配はせんでえぇ。」

雪華は「そんな世界なんよ、吉原は」と呟いた。
俺は「…なら、頼む」と目線を下げた。

「だが何かあればすぐに連絡しろ。」

雪華に渡していなかった名刺を渡す。
それを受け取った雪華は、しばらくその名刺を見て考え深げに笑った。

「じゃァ俺は帰るから。」

傍に置いてあった煙草を懐に閉まって、俺は立ち上がった。
襖に手を伸ばした時、「嫌やわぁ…」とポツリと雪華の声がした。

「心配やなんて、…らしくないことせんとってよ土方はん。」

俺の背中で響く雪華の声は、いつもよりどこか細くて。


「…うち、惚れてまいそうになるわ。」


振り返ってほしいと、
その声は俺を掴んだけど。

「…悪ィな、」

俺を掴むのは、
掴んで放さないでいてくれたのは、

「アイツ以外…興味ねェから。」

紅涙だけだから。

「…ふふ、いつかその子に会わせてくださいね。」
「あァ。今度は連れてくる。」
「楽しみに、してますよって。」

襖を閉める時には、
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雪華の声はいつもの調子に戻っていた。


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