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灰白色
(かいはくしょく)


まさかと思ったが、

やはりとっつぁんは、
紅涙と雪華を出会わせるために、ここにしたんだ。

それが、
目の前でようやく分かった。


「ここよろしいです?」


雪華は紅涙に声を掛ける。
紅涙は当然、「どうぞ」と口にした。

だがどうだ。

紅涙の顔が、さっきとは違う。
とっつぁんに折れなかった紅涙が、雪華を前にして揺れているのが分かる。

「紅涙、こっちに来い。」

傍に居なければ。

俺は紅涙に声を掛けた。
だが後ろから「駄目でございまする〜!」と俺の腕を掴むやつがいた。

「ここは栗子の場所でございまする〜!」
「あらあら、相変わらずおモテになってはりますねぇ土方はん。」
"最近来てくれへん思たら、そりゃうちは用なしですわね"

雪華がクスクス笑う。
「ねぇそう思いません?」と紅涙に話を振る。

「あ、あの…私は…、」

紅涙が俯いて。
俺は舌打ちをして、栗子の腕を振りほどいた。

「放せ。」
「っ…、」
「お前もここから退け。俺は女を呼んでねェ。」
「まぁ、随分な言い方やこと。これは片栗虎はんからご依頼ですよって、それは出来ませんわ。」
"私はちゃんと仕事しますさかいに"

どれだけ俺が睨んでも、
この女だけは怯まない。

俺を見て、
目を細めて遊女の顔で笑う。

「お酌させてもらいますね。」

雪華は俺の傍に付き、酒を持ちあげた。
必要ないとまた声を挙げそうになった時、ポツりと雪華が言った。

「気をつけて行動した方が彼女のためですえ、土方はん。」
"あの人は見てる"

もちろんこの声は周りの賑やかな声に消えている。
雪華の動きも自然だったため、誰も怪しんではいないはず。

俺は小さく舌打ちをして、雪華の酒を黙って受けた。

「それ、美味しいでございまするかぁ?」
"栗子も呑んでみたいな〜"

隣から俺の酒を覗き込む。
そしてあろうことか、引っ手繰るようにして猪口を取り上げた。

それを栗子は呑み干してしまった。

「なっ、」

おまけに、力いっぱい取ったせいで俺の腿辺りの着流しが色濃くなる。

少しじゃない。
肌にへばり付くほど。

「っテメ!!」
「ごめんなさいでございまする〜っ!」
「まぁまぁ仲良しさんですわねぇ。」

着替えるか。
丁度いい、そのまま紅涙と消えよう。

俺はそう思って紅涙の方を見た。
が、

---ピピピッ

紅涙の携帯が鳴った。
あの音は電話だ。

誰だ、
誰が紅涙に連絡してる?

付き合いのある隊士はここに居るのに、それ以外は誰だ。

「…あ、」

紅涙はディスプレイを見て、僅かに驚いた様子で腰を上げた。

「おい紅涙。どこ行くんだ。」
「あっ電話が…、すみません。」

それだけを言って、
着信ランプを光らせる携帯を握り、紅涙は部屋を出て行ってしまった。

あの相手は、誰だ。


「あら、土方はん。どこ行きますん?」

俺は紅涙を追い掛けようと立ち上がった。
「副長〜」と少し酔った声で栗子も呼ぶ。

「厠。」

俺は短くそれだけを答えた。

もうここには戻らない。
紅涙を捉まえて、一緒に帰ろう。
そして呑み直せばいい。

そう考えて、襖を引いた。

なのに。

「トシ〜。まァ座れや。」
「とっつぁん…、アンタ帰ったんじゃ」
「ちょっと出てくるだけっつっただろーが。それとも何だ?帰ってほしかったのか〜?」

とっつぁんが、俺の前に居た。

俺がどこかへ行こうとしていたことなんて無視して、とっつぁんは俺の肩を掴んで座らせる。

「おや〜?紅涙ちゃんが見当たらねェな〜。」
「…。」

とっつぁんは雪華に酒を注がせて、「コイツにも酒」と言った。
栗子が俺の隣について、「私がやりまする!」と酒を持った。

「紅涙ちゃん、どこ隠したんだトシ。」
「…知りません。俺も今から見に行こうと」
「おいおいデリカシーねェな〜トシ。女の子の厠は長ェもんなんだよ。」
「副長、猪口を持ってくださいませ!」

一瞬疑ったが、
どうやらとっつぁんが電話の相手じゃないらしい。

「まァ呑んで待てよ、トシ。」

俺に向けて猪口を上げる。
それは共に一気呑みをする合図だ。

渋々、猪口を手に取る。
すぐに栗子は並々と注ぐ。

「今日は潰れるまで呑ませるからな、トシ。」

何を考えている眼なのか。
とっつぁんは厭味に笑い、俺と同時に一気に呑み干した。


それからの時間は酒ばかりだった。

空けては注がれる。
とっつぁんは顔色ひとつ変えずに呑み続ける。

馬鹿みたいに呑んでいたガキの頃とは確実に違う身体が、摂取量の限界を知らせ始める。

「もっと呑んでくださいませ、副長!」
「もういらねェ。」
「ンだトシ。俺の娘が入れた酒が呑めねェのかコラァァ!」

これ以上呑んでは本当に潰れてしまう。
それに紅涙がまだ帰ってきていない。

電話にしては長い。
どこかに行くには理由がない。

様子を見に行くがてら、酔いを覚ますか。

「おぉ、まだ立てんのかトシ。」
「…俺、見て来ます。」
「アァ?」

まずい。
思っている以上に口と頭が鈍い。

立ち上がったものの、足もとも見えにくい。

「…紅涙、…見てきます。」

俺は誰の顔も見ず、そのまま襖に手を掛けた。

だが、
踏み出したはずの足は、

「っ、」
「あら、土方はん酔ってはりますん?」
「大丈夫でございまするか?!」

踏み出せずに、フラつく。
すかさず支えたのは、雪華と栗子。

とっつぁんは「当たり前だろォが」と笑った。

「俺とお前が呑んでるのは度数35だ、あれだけ呑みゃそうなるだろーな。」

グラグラする視界。
籠った頭の中で、とっつぁんの声がする。

それでも、
こんなに酔ったグチャグチャの頭の中でも、

「紅涙を…探しに、」

俺の頭には紅涙しかなかった。

もしかするとまた、
一人で泣いてるかもしれない。

こんなとこに連れてきて、
こんなもん見せられて。

あぁそうだ。
きっと紅涙は泣いてるんだ。

「行かねェと…、」

俺は自分の身体ではないかのような重い身体を起こし、襖に手を伸ばす。

しかし瞬きをしたその一瞬で、俺は畳の上に転がっていた。
ドンという衝撃もなく、どうやら倒れたようだ。

覗き込むようにして雪華と栗子の顔がある。

どけよ、
俺ァ寝てる場合じゃねェ。

紅涙を迎えに行かなきゃなんねェんだ。

だからもう、
邪魔しないでくれ…。


それを最後に、
俺は意識を手放してしまった。

その沼の底、


「やっと潰れた。」


そう、聞こえた気がした。


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