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勿忘草色
(わすれなぐさいろ)


たとえば。

それが偶然なら、
私も納得していたかもしれない。

私も、理解しようとしていたかもしれない。

だけどね、土方さん。
偶然というのは、そう何度もあるものではないんです。

だから。
…嘘なんて、つかないで。


「紅涙ちゃん、ちょっといいかい?」
「はい、何でしょう。」

土方さんが日中留守にしていた日。
書類整理を終えた私を、女中さんが呼んだ。

「しばらく休憩かい?」

そう言って、お茶を持ってきてくれた。
私はそれに「いえ、」と苦笑して顔を横に振った。

「大変だねぇ、補佐も。随分と仕事させられてるんじゃないかい?」
"ほら、個人的な仲もイイもんだから甘えて"

「全く男ってのはこれだから」と女中さんは呆れて溜め息を零す。
私はそれに笑って。

「こうしてる間も、外で仕事してるんだと思いますよ。」

そう答えれば、女中さんは「そう言や最近…、」と言った。

「そう言や最近は随分と留守にしてる時間が多くないかい?」
「…そう…ですね、」

私は女中さんの言葉に、ここ数日の土方さんを思い浮かべながら返事をした。

書類の中から、土方さんのスケジュールが書かれた用紙を取り出した。

「何だい?また新しい仕事が増えたのかい?」
「いえ…、特段そのような話は伺ってませんけどね…、」

私はペラペラと紙を捲って、過去数日のスケジュールを確認しながら返事をする。

土方さんが留守にしているのは決まって昼過ぎ。
「行ってくる」なんて行って当然のように出ていくから、私は特に気にも留めず送り出していた。

だが言われてみればそうだ。
ここ最近、よく出て行っている。

今さらながら、その時間のスケジュールを確認してみれば、

「…どこ…、行ってるんですかね、土方さん。」

その留守の時間、予定とされている業務は『書類整理』。

今日も、
この前も、
そのずっと前も。

外出の予定は事前に決まったものじゃない、ということ。

急な…予定?
何だろ…。
聞いた覚えもないと思うし…。

私が悶々と考えていると、「あらあら」と女中さんの声が聞こえた。

「あたしゃ余計なことを言っちまったようだねぇ。」

私の顔を見て女中さんは「ごめんなさいよ」と苦笑した。
慌てて「とんでもないです!」と私が忙しく手と顔を横に振って。

「言っていただかないと、ずっと気に留めなかったと思いますから。」
"副長の業務スケジュールも把握できてないなんて、補佐なのに管理不足ですよね"

私も女中さんと同じように苦笑して言った。
女中さんは「そんなことないよ、よくやってるじゃないかい!」と言ってくれた。

私はそれに「ありがとうございます」と言って、立ち上がった。

「気分転換に市中見回りでも行ってきます。」
"土方さんには帰って来てから聞いてみますね"

女中さんは「ご苦労さん」と笑って、私を送り出してくれた。


近藤さんに一声掛けて、
屯所の門を出た時。

「…何か、曇ってるなぁ…。今日、雨だっけ…?」

見上げた空は薄暗くて分厚い雲のある空。


傘を取りに戻るほどではないかと、私はそのまま街へ出た。


平日なのに少なくない人通り。
さすがは歌舞伎町。

「事件の1つでもありそうだよね…。」

そんなことを思いながら歩いだけど、特に何もなくて。

キョロキョロと歩く様子は、きっと買い物レベル。
「ご苦労さまです、」なんてすれ違うおばあちゃんに言われても、恐れ多い言葉。

「…手持ち無沙汰だなぁ…。」

いつまで経っても掴めない市中見回りに溜め息をついた。

そう言えば。
少し前も一人で市中見回りしたことあったっけ。

あの時も、何をしたらいいのか分からなくて。
そしたら、偶然土方さんに声を掛けられて。


『ンなとこ突っ立って何やってんだ?』


でもその隣には栗子さんが居て。

「…大変だったなぁ…、あの頃…。」

考えたり、悩んだり。
悲しかったり、嬉しかったり。

随分と忙しかった気がする。

でも結局、土方さんはいつだって私のことを想ってくれてて。

あの時だって、



『栗子、テメェは先に帰っとけ。』


嬉しかった。
私を何よりも優先してくれてるみたいで。

土方さんの、
一番になれてる気がして。

「…あ。雨…降って来ちゃった…。」

ポツリと頬に当たった雨粒。
周りを見れば、慌てて雨宿りをする人たち。

「…やば…。私も早く戻ろ。」

雨を防ぐように少し俯いた。
地面が徐々に色を濃くしていく。

進んでいた方から向き直して、足を進めた時。


「ご苦労さん。」


私の上に降る雨が、止んだ。
声のする方へ顔を向ければ、

「仕事熱心だな、うちの補佐官は。」
"さすが、長ェこと薩摩に行ってただけはある"

土方さんが、私に傘を差していた。

「土方さん…、どうして…ここに?」
「煙草買ってたら、一人だけのん気に歩いてるヤツを見かけたからな。」

「戻るぞ」と土方さんが言って、私も傘と一緒に歩いた。

雨の風が、僅かに煙の匂いを運んで。

様子を窺うようにコッソリと盗み見れば、機嫌の良さそうな土方さん。

その背景に、明るい色の傘。

女物の、傘。

「…、土方…さん、」
「ん?」

その傘、どうしたんですか。

「…、」
「何だ、紅涙。」

どこで、借りたんですか。

「…、いえ、何でも。」

そんなこと、聞けるわけもなくて。

「変なヤツ。」

鼻で笑う土方さんに目をやれば、傘の色が目に刺さる。

私はそれから目を逸らすように、俯いた。


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