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青鈍色
(あおにびいろ)


「お帰りなせェ、紅涙。」
"ンだよ、土方さんも一緒か"

屯所に帰れば、玄関を通りがかった沖田さんがつまらなそうに声を掛ける。
私はそれに「ただいま戻りました」と言った。

沖田さんは私にニコリと口だけ笑んで、
私の少し後ろで土方さんが畳んだ傘を見ていた。

「何ですかィ?その傘。」

その言葉に、私が必要以上にドキリとする。

私が聞けないことを、沖田さんは簡単に聞いてしまった。

「あァ?」
「それ。そんな派手な傘、屯所で見たことありやせんよ。」
"紅涙の傘じゃねェでさァ"

土方さんの手に持たれた傘を指差し、彼は大きな目を瞬かせて聞いた。

その眼には、まだ悪意なんてものはなく。
単純に、その傘は何なのかと聞いている。

「…。」

言われた当人は、自分の持っていた傘を見た。

ほんの、
一瞬だけの沈黙。

人が人の言葉を頭で考えて、それに言葉を発せるまでの極めて短い時間。

その沈黙が、

「コレは」
「かっ借りたんですよね?!」

長く感じて。

気づけば、
私は土方さんの言葉と被せるように声を出していた。

私の声に驚いた土方さんは案の定、私を見て、
同じように驚いた沖田さんは私を見て、僅かに眉間を寄せた。

「誰にですかィ?」
"そんな赤ェ傘"

沖田さんの真っ直ぐな目が、土方さんを捉えてる。

恐かった。

もう少し、
私に猶予のあるものだと思ってたから。

まだ、
今すぐに考えなければいけないことではないと、
頭のどこかで考えてた私がいたから。

「…別にいいだろ、誰のもんでもよ。」
"借りただけだ"

目を逸らすなと、
見たくない物を突き付けられた気持ちだった。

「いーや、気になりまさァ。雨降ってでも傘を差して帰って来ねェ男が、よりによって赤ェ傘差して帰って来たんですからねィ。」

土方さんの目に、赤い傘が映る。

その赤い傘の先に…、
誰が映ってるの…?

聞きたくない。
答えないで、土方さん。

「ったく、煩ェな。」

それが例え何の裏もない人でも、

「…コレは…、」

私はきっと…、


「雪華の傘だ。」


悲しくなる。

「へぇ〜…そりゃァまた色のある傘ですねィ。」
"女の匂いがプンプンしまさァ"

沖田さんはそう言って、自分の鼻を抓んで手で煽った。

"色のある傘"
沖田さんがそう言ったのには、理由がある。


吉原桃源郷の雪華(せつか)。

最高の花魁とされている日輪という遊女とは正反対の性格を持った遊女。
私利私欲のため、自分を輝かせ続けるために、人を選び接客をする。
故に、"女"として最高の遊女だと言う。

男でない私すらも知っているほど、有名な名前。

『雪華の傘だ。』

さらりと言った土方さんの言葉が、頭の中で何度も反復される。

そんな人の名前が出てくると思っていなかったような、
やっぱり遊女なのかと思っていた自分がいたような。

複雑な気分すぎて、私は言葉が見つからなかった。

そんな私に気づいてか、土方さんが「おい、」と私の肩を掴む。
まるで地面に足が着いていないかのような私の体は、想像以上にグラりと揺れた。

「勘違いするな、紅涙。」
「…、」

揺るぎないその眼差しは、いつもの土方さんと何も変わらない。

「"勘…違い"…?」
「お前が思ってるような仲じゃねェ。」

少し眉間に皺を寄せて私を見据える。

「私が…思っているような仲…?」
「あァ。俺とアイツは、ンな仲じゃねェ。」

"俺とアイツ"

肩が、揺れた。
誰に押されたわけでもないのに。

私の体が、どこかに吸い込まれていくような気がした。

変わらず強いまなざしで見る土方さんの目の中で、私はふわふわ浮いていた。

「や、だ…、」

土方さんの瞳の中に、私が映ってる。

その瞳には、
この赤い傘も映して。

「やめて…、」

その瞳には、
さぞ綺麗な雪華さんを映したんでしょう?

「おい、紅涙。」
「っ、触らないで!」
「…。」

払いのけて気づいた。

肩を掴もうとしていた土方さんの手が、行き場を失って宙に浮いていた。

「…ご…、ごめん…なさい…、」

土方さんの拳が、ギュッと握りしめられる。
私は顔を上げられず、土方さんの顔を見ることは出来なかった。

「少し…、頭冷やしてきます…、」

そう言って、その場に背を向けた。

私の背中に、
「紅涙、」と呼び止めたのは、
始終を見ていた沖田さんだった。

振り返ることなく、
私はその場から足早に自室へ戻った。


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