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若草色
(わかくさいろ)


自分の身体を隠すようにする布団。
隠し切れていないその部分は素肌で。

何を物語っているのかなんて、

考えなくても分かる。

「紅涙さん…、」

栗子さんは細い声で私の名前を言う。

でもその言葉には感情はない。
表情にも、何もない。

万事屋さんは私の後で「醜ェな」と呟いた。

「これは…どういうつもりですか…。」

私の震えた声が響く。

何に震えてるのか、もう自分でも分からない。

ただ、


「…見て、分からないのでございまするか…?」


私の指先が、
どんどん冷たくなっていく。


「紅涙さんに、見られてしまいましたね。」


栗子さんは恐ろしいほど綺麗に笑み、自分の隣の眠る土方さんを見た。


「紅涙さんには内緒だって、言ってたのに。副長と。」


そう言って、
栗子さんが土方さんの髪を触った。

土方さんは、
苦しそうに呻くだけ。

「土方さんに…何をしたんですかっ!」
「まぁ、その言い方は失礼でございまする。」

あれだけ気を張っている人が、これほどまでに目を開けないなんて。

栗子さんはクスクスと笑い、

「私はただ、楽しくお酒を呑んでいただけでございまする。」

撫でるように頬に触れ、土方さんの首筋まで手を滑らせた。

その首筋に、

「っ!!」

うっ血した痕があって。


---パシンッ…

「〜♪やるじゃねェの、紅涙。」
「っ、何するんでございまするか!」

気がつけば、
私は栗子さんの頬を叩いていた。

頬を押さえた栗子さんが私を見上げている。

私は一瞬驚いてしまい、自分の手を見た。

だけど、
それを握り直した。

「こんなことして、何になるんですか栗子さん。」

怯まない。
怯んじゃ、負けだ。

「全部、土方さんが起きればバレることですよ。痕まで付けて、どういうつもりですか。」
「っ、何を言ってるんでございまするか!栗子が勝手にしたみたいに」
「もう…遅いんですよ、栗子さん。」

私は彼女を真っ直ぐに見た。

考えれば、
ちゃんと栗子さんを見るのは久しぶりだ。

あぁそうか。
つまりは私も、悪いのだ。

「私がもっと、あなたと話をしなかったことが…こんなことになったんだと思います。」

彼女が歪んでしまったのは、
私が自分の気持ちを隠したからだ。

初めて栗子さんに会った時から、
私が自分の気持ちを真っ直ぐに伝えていれば。

「っ上司気取りしないでくださいませ!」
「そんなつもりじゃありません。ただ…、」

土方さんのこと、
もっと話してれば良かったんだ。

カッコイイねとか、
どこが好きなんだとか。

分かち合わずに私が一方的に隠してたから、彼女は歪んだ。

もしちゃんと伝えれば、
きっと栗子さんは土方さんのことを"憧れ"とした存在になってたはず。

「ただ…、申し訳ないと…今、思います。」
「っ!!止めてくださいでございまする!!」
"そんな言葉、何の価値もない!"

栗子さんは耳を塞いで叫んだ。
その声で、土方さんも目を覚ました。

「ん、…?…紅涙?」
「土方さんっ…、」

土方さんは頭が痛いようで、米神を押さえた。

「あァ?何で万事屋が…、って俺、何で布団…、」
「今は気にすんな。」
「…まァいい。あ、そうだ。俺ァ酒呑み過ぎて…紅涙が気になって…、それで…、?」

掛かっている自分の布団を見て、栗子さんを目にやった。

その素肌にも。

「ッお前、何だよその格好!」
「副長っ…、栗子は」
「待て!…、お前…、まさか…っ!」

まずい。
そう思って私が止めるよりも先に、
土方さんは栗子さんの持つ布団を、まるで胸倉を掴むように握りあげた。

「栗子っ!テメェッ!!」
「ッく、栗子はただ副長のことが」
「ンなことして何にもなんねェって、何でお前ら親子は分かんねェんだよ!!」

鼓膜が揺れそうなほどの怒鳴り声と、窓が割れそうなほどの剣幕。

押し負けてしまうその気迫なのに、栗子さんは目を潤ませて「栗子はっ」と言った。

「栗子は副長のことが諦められないんでございまする!!」
「だから俺は」
「どんなことを言われてもっ、栗子は副長のことが」

「カッコイイですもんね、土方さん。」
「紅涙…?」

私を見る栗子さんの目が、徐々に険しくなってくる。

「諦められないの、分かります。」
「黙って!!あなたに何が分かるんでございまするか!!」

ほとんど叫びに近い栗子さんの声が部屋に響く。
土方さんは心配そうに私を見ている。

「私が同じ立場なら、中々諦められないと思いますし。」
"特に、こんなヤツが彼女だとか言うんなら"

私は自分を指さして自嘲した。
栗子さんは毛を逆立てたような気を張り巡らせた。

確かに、
私の言ってることは腹が立つと思う。

だけど。

これが、私です。


「こんな私でも、栗子さんには負けない。」


私はこんなことをする人間です。

「栗子さんは真っ直ぐで、努力家で。私には無いものばかり持っている女の子で。…今まで、何度も向き合えなかった。」

醜い感情も、
弱い私も、

全部、私なの。

「…一度も、あなたに心を開いたことがなかった。」
「そんなのいちいち言われなくたって、栗子だって同じでございまする!」
「はい、知ってます。」
「っ!こっこれからだって開くことなんてありません!!」

私はその言葉に笑って、「はい」と返事をした。

「栗子さん、ごめんなさい。」
「良い人ぶらないでくださ」
「私、良い人なんかじゃないですし、もうあなたの上司でもない。」

私はただの、

「ごめんなさい、栗子さん。私は土方さんを渡したりしませんから。」

嫉妬深くて、
傲慢な、

ただの女です。

「…土方さん、帰りましょうか。」

私は土方さんの傍に近寄り、右手を差し出す。
土方さんは私を見上げて、満足そうに笑みを浮かべて「あァ」と返事をした。

立ち上がろうとしたけど、まだ身体にはお酒が残っているようで。

私の力だけじゃフラついたその身体を、万事屋さんが「あとで請求するから」と力を貸してくれた。

「栗子、」

何歩か足を進めた時、土方さんがポツリと言った。
私たちは土方さんを抱えているから、彼女がどんな顔をしてそれを聞いたのか知らない。


「いい女だろ、俺の女。」


抱えたせいで、必然的に私の耳元で話されたその声。

恥ずかしくて、
瞬間的に鼓動が速くなった上、

「クセェよお前。」

万事屋さんも同じ立場で聞いたと思ったら耳まで赤くなった。

土方さんは「煩ェ」と万事屋さんに言って、

「分かっただろ?お前には無理だ。」
"とっつぁんにも言っとけ"

栗子さんにそう言って「行くぞ」と私たちに促した。

「…ら…でございまする…。」

私がその小さな声を聞いて、足を止める。

するとその声は、
確かな声になって私に届いた。


「嫌いでございます、紅涙さん。」
"私はあなたが嫌いでございまする"


はっきりした口調が凛としていて。

本当に彼女は強いんだなと、改めて自覚した。

私はどこか笑みに似た溜め息をして、


「私も、嫌いです。栗子さんのこと。」


そう言って、
酒臭い部屋を後にした。


彼女の顔を見えなかったけど、
襖を閉めるその時にも、

「本当に…大嫌いでございまする…、」

呟くようなその声が聞こえた。


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