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狐色
(きつねいろ)


額の髪が動いて、私は目を覚ます。
瞼を開ければ、私を見下げる土方さんの顔。

「…、ひ、じかた、さ、」
「起こしたか、」

寝起きで掠れる私の声。
土方さんは私の前髪に触れて、梳かすようにやんわりと撫でる。

「お前、目ェ腫れてる。」

鼻で小さく笑って、私の右の目を撫でる。

あぁそうだ、
あのまま寝たから。
どうりで瞼が重い。

「帰って…、来てたんですか…、」

私は頭を覚醒させようとギュッと目を瞑る。
ゆっくりと開けると、そこには驚いた顔の土方さんが居て。

「どう…しました?」

私は体を起して土方さんに首を傾げる。
土方さんは「お前…、」と呟いた。

「お前…、知ってたのか。」
「え…?…あっ…、」

そう言われてから、しまったと思った。

今日、土方さんが雪華さんの元へ行くのは私が知らないこと。
山崎さんと土方さんが話してたことなのに。

口を瞑る私を見て、土方さんは「起きてたのか?」と言った。

私は少しの沈黙の後、
こくりと頷いた。

「…だから、目ェ腫らしてたのか。」

土方さんはまた私の瞼に手を伸ばす。
指の腹で撫でられて、私は目線を逸らし、されるがままになっていた。

「なァ…紅涙、」

土方さんの指が瞼から離れて。
私は声に導かれるように土方さんを見る。

土方さんは真剣な目で私を見ていたのに、すぐに困ったように眉を下げた。

どうしたのかと私が聞く前に、土方さんが口を開いた。


「…お前に、今の俺はどう映ってる?」


言われたことがすぐに理解できなくて。
黙っていれば、土方さんは私の髪を撫でて「俺は、」と言った。


「お前の信頼を…また潰してるだろう?」


土方さんは「あれだけ泣かせたのに」と言った。
それは私に向かって言ってるはずなのに、そう言った土方さんの方が泣きそうで。

「土方さん…、」

彼は、苦しんでるんだ。
私と同じように。

私が土方さんの頬に手を伸ばせば、彼は驚いた顔をした。
だけどすぐに私の手に自分の手を重ねて、目を閉じた。


「お前は俺の傍に居てくれたから…、今度は俺が…お前の傍に居たい。」


彼にも、
何か言えないことがあって。

私に話すと言った日も、
きっと私に話せないことがあった。

だからきっと、
こんなにも悲しい顔をする。

「俺が想うのは…お前だけだから…。」

まるで、
自分に言い聞かせるように。

「紅涙、だけだから。」

彼らしくない、言葉。
嬉しいのに、どこか悲しい。

「…私も…、土方さんだけです…。」

言葉でも、
身体でも。

あなたにあげられるのならば、いくらでもあげるのに。

「土方さんが居れば…、私は何もいりませんから…。」

こうやって口にして、
こうやって想いを伝えるのに。

いつの間にか、
私たちには風が吹いていて。


「…行ってくる。」
「はい、…お気をつけて。」

知らぬ間に開いた隙間が、
私たちをどんどん離していく。

「お帰りなさい、土方さん。」
「あァ。」

ギクシャクした関係は、どこか他人行儀で。

深い沼には入らないようにする私を、土方さんは黙って見ている。


「紅涙ちゃん、最近大人になったね。」

近藤さんが言ったこと。

確かに、
少し前みたいに、
泣いたり、すがったり。

私はそれすらもしなくなって。

「そうですか?」
「あぁ、何だか見てて安心感があるよ。」

近藤さんは笑った。
私も笑った。

本当は笑ってなくて。
大人にだって、なってなくて。

ただ、
嘘が上手くなっただけ。

変わらず好きだし、
嫌いになったわけじゃない。

ただ嘘で、
何が本当なのか分からなくなっただけ。


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