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梔子色
(くちなしいろ)


不安にさせているのは、重々承知。

『どうして…行くんですか…?』

俺の前で平気な顔してても、
独りになれば泣いてるのだって。

『土方さん…、忘れてしまい…そうで…。』

ずっと、
お前の中にも、俺の中にも。

あの頃の、
あの時のことは、

忘れたことなんてない。

「お前は俺の傍に居てくれたから…、今度は俺が…お前の傍に居たい。」

本当に、そう思う。

そんな言葉、
言うつもりなんか、なかったのに。

紅涙の顔も、表情も、何もかもが切なくて。

口にせずには、いられなかった。


「あら、険しい顔して考え事?」

中途半端に浮いていた猪口を持つ自分の手。
声を掛けてきた女をチラリとだけ見て、「あァ」と返事して酒を含む。

「こんな遊女の前で別のこと考えるやなんて、アンタぐらいやわ。」

女は愛用の煙管を口に咥えて煙を吐く。
俺はそれを見て鼻で笑った。

「とんだ遊女だな、客の前で煙管とはよ。」
「今更やないの、うちのことどんな女か知ってるくせに。」
「知らねェよ。」
「あらあら冷たいお人。」

猪口を置いて、傍にあった酒を注ぐ。
この女は俺に接客らしいことをしない。

「今日は片栗虎はんは?」
「とっつぁんなら来ねェ。」
「なーんや、つまらん。片栗虎はんおったら、土方はんとの漫才見れるのに。」
「コンビ組んでねェよ!」

俺の溜め息をよそに、女は笑いながら煙管を口に付ける。

少し紅涙に話した通り、俺と雪華はとっつぁんに引きあわされた。


『トシ〜、お前みてェに喰えねー女がいるんだがよ〜、』

いつもみたいな夜。
とっつぁんと呑む近藤さんを引き取りに行った俺に声が掛かる。

近藤さんが"すまいる"で殴られてる隣のボックス。
とっつぁんが、これでもかと言うほどソファーに腕を伸ばして俺を見る。

「はぁ…、そうですか。」

俺は適当な相槌で流そうとした。
明らかに、とっつぁんの顔が「お前も呑め」と言ってたから。

案の定、
「座れ」とすぐに言われて俺は近藤さんが殴られるのを横目に見る。

「トシ〜、お前最近遊んでねェだろ〜?」
「俺は元々そういう場所に縁がない方なんで。」
「お前アレだよ、マヨネーズさえなけりゃなァ〜。」

カランと音を立てて、とっつぁんに持たれたグラスが揺れる。

「よ〜し、今度おじさんが連れて行ってやろう〜。」
"丁度、その女と会わせたいと思ってたとこだ"

とっつぁんの言葉に顔が引きつる。
「結構です」と言えば、「理由を述べよ」と言う。

「俺は…必要ないんで。」
「女がか〜?あ。あれかお前、あっち系?あっちっち系?」
「何スか、あっちっち系って。いや、その前に違いますから。」

はぁと溜め息をつけば、「若いくせに生意気だ」と俺の名前で酒を追加された。

「トシ〜、今時流行らね〜よ〜?仕事一筋の男なんてよォ〜。」
「それなら沖田という部下を除名してください。まァもちろん仕事も大事ですけど。」
「…ほォ〜。」

茶色いグラサンから、少しだけ透けて見える目。
とっつぁんは基本的に酔っている時も油断できない。

俺は構えるようにとっつぁんの目を見ていれば、想像以上の言葉が飛んできた。

「紅涙ちゃん、っつったかな〜。」
「なっ…、」

なぜ、とっつぁんが紅涙を知ってる?

いや確かに、
入社の時に会ってるし、年に1回の決起大会でも対面してる。

だが数えるほどしかない機会で名前まで覚えているのか?

何より、紅涙をとっつぁんから遠ざけていた。
何をされるか分からねェ。

くそ。
なのにどうして分かった?

「お〜お〜、随分と怖ェ顔しちゃって〜。」
「っ…、」
「ま。おじさんは女の子には優し〜から〜。」
"安心しなさ〜い"

とっつぁんは顔色ひとつ変えずに俺を見ている。
そして鼻で小さく笑って「トシ〜、」と俺を見下げた。


「おじさんと取引ゲームするか〜?」


ただの冗談なら、しないって言ってた。

だけどそれは、
冗談なのか本気なのか。

分からないぐらいギリギリの、


「世間一般の幸せを、保障してやるよ?」


口振る舞いだった。


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