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傷つき石鹸


「…ぬ、脱げよ。」
「…ぬ、脱ぐけど…。」

校庭の隅。
校舎と反対側にある体育倉庫の後ろ。

「あ、洗えねェだろーが。」
「あ、洗えないもんね。」

昼間でも影になるその場所に、小さい蛇口がある。
私たちは授業を抜けた負い目もあり、目立たないところでスカートを洗うことにした。

わけだが。

「そっそんなに見てたら脱ぐもんも脱げないでしょ!?」
「ばっ、みっ見てねェよ!」

そこでようやく背を向ける。
背中越しに「ほらよ」と突き付けられたのは、トシが持ってきたジャージ。

「…ありがと。」
「ん。」

手にとって広げれば、足の長いズボン。

あぁ、そうだ。
背、高かったな。

「トシ、足長いね。」
「ンなことねーよ。」

スカートの下に、トシのズボンを履く。

なんだろ、
なんか…落ち着かない。

無性に、
動悸が…。

「履けたか?」
「あ、うん。」

トシが振り返った。

「ね、見てよ。こんなに足余るんだよ?ダボダボ。」
「おまっ、バカか!」
「え?」

どことなく赤い顔のトシが私に指をさす。

「お前、何スカート履いてんだよ!意味ねェじゃねーか!」
「あぁそっか。脱がなきゃね。」

つい、トシのズボンが大きいのに驚いてちゃって忘れてた。

腰のファスナーに手を掛ければ、「おい!」と大きな声を出される。

「ぬっ脱ぐなら脱ぐって言えよ!」

トシはくるりとまた背を向ける。
「ねぇ」と私はその背中に声を掛けた。

「別にさ、下にはジャージ履いてるんだし向こう見なくてもいいよ?」
「そ、そう言えば…そうだな。」

そう言って振り返ったトシだけど、いざ見られてると何だか気恥かしい。

考えれば考えるほど、
脱ぎにくくなってきて。

だけどそんなに意識してることを知られたくなくて、私は極普通の顔をしてサっと脱いだ。

それを知ってか知らずか、
トシはフェンスに凭れ掛かって座り、私を見上げてポツりと言う。

「…上が制服ってダサェな。」

この男…、
何を言うのかと思えば。

私は「煩い!」と一喝してスカートを投げつけた。

「誰のせいでこんなダサいことになってると思ってんの?」
「はいはい申し訳ございませんでした、紅涙サマ。」

私のスカートを手に持ったトシは、立ちあがってそのまま蛇口の前に向かう。

洗おうとする仕草に、すぐさま私は傍へ寄った。

「1時間で乾かしたいんだからね!あんまり濡らしちゃダメだよ。」
「分ァってるよ。」
「汚れたとこだけ洗ってよ?」
「分ァってるって。」

私の小言を右耳に聞きながら、トシは蛇口を捻る。
蛇口に掛けてあった石鹸を手に取り、泡立ててからスカートを洗った。

「うむうむ、よろしい。」
「黙ってろ。」

こうして見ると、綺麗な手だ。
指も長いし、程よく骨ばってて男の子の手。

「ぅおっ、泡跳ねた!紅涙、取ってくれ。」
「どこ?」
「右瞼!」
「ん〜?」

トシの顔を覗きこむ。
ほんとだ、右目の上に泡がついてる。
ちょうど睫毛に引っかかって、目に入らずに済んでる。

男のくせに、私より長いかもしれない睫毛。
瞳孔開き気味な目は細められて、洗う手元に向けられている。

認めよう、
トシはカッコいい。

カッコいいけど、今さらだ。

そんな目で見るには遅すぎる。
出会った高校2年生で意識しておくべきだった。

もしも今さらそんなこと口にしちゃえば、

「何してんだよ、目に入んだろーが!」
「ごめんごめん。」

こうやって肩を寄せて座ることも、
彼の瞼に触れることも、

「はい、取れたよ。」
「…。」
「トシ?」

出来なくなるのに。

「…。」
「どうしたの?」

トシは私を黙り見る。
真っ直ぐに、強い眼差しで。

泡を取った私の手は、中途半端な場所で止まったまま。

「…、行くなよ。」
「…え…?」

私たちの前で、蛇口から水が流れ続ける。

「行くなよ、今日。」
「…今日って…、合コン?」
「あァ。」
「…どうして?」

トシはそれに返事をせず、私から視線を放してまたスカートを洗う。

言いたくないってことかな。

でも私、

「行くよ、合コン。」
「…ンでだよ。」
「もう返事しちゃってるしさ。人数が減るとややこしいじゃん。」

私、行かなきゃダメなんだよね。
こうしてトシとの時間、ずっと続けたいから。

女心、
分かってよ、トシ。

「それにさ。彼氏、欲しいもん。」
「…。」
「トシも彼女欲しいから、合コン行くんでしょ?」
「…そうかもな。」
「はは、何それ。他人事じゃん。」

私の笑い声が、静か過ぎるこの場所に響く。

あーあ、
なんでこんな話になっちゃったのかな。

気まずいじゃんか。

「…紅涙、」
「何?」
「…俺と…、…付き合うか…?」

洗われるスカートから、トシに目を向ける。

「え…、?」

トシは蛇口を捻って、水を止めた。

「ト、トシ…、…本気?」
「…。」
「じょっ冗談、だよね?」
「…。」

どうしよう、
すごいドキドキしてる。

頭が沸騰して、言葉が浮かばない。

「ねぇ、…ト」
「ばーか。」
「…へ…?」

トシの目が、急にいつもの馬鹿にする目に戻った。

「ンなの冗談に決まってんだろーが。」
「あ、…そ、…そうだよね!」
「合コンで使うんだよ、この手。どうだ、落ちそうだろ?」
「あはは、落ちる落ちる!絶対落ちるよ、それ。」

ケラケラ笑って見せた。
トシも笑って、スカートの濡れた部分だけを絞る。

だけど私の頭の中は、
さっきとは逆に、いっぱいいっぱい言葉が浮かんでた。

冗談…だったんだ、
そりゃそうだよね。

「ほんと、っ、…すぐ落ちるよ!」
「…あァ。」

何で勘違いしたの、私。
何で期待したの、私。

「私とっ、勝負だね、合コンで作れるか!」
「そうだな。」

馬鹿な私。
勝手に傷ついちゃったじゃん。

勝手に、
悲しくなっちゃったじゃん。

「紅涙、」
「ん、何?」
「泡。」
「え?」

トシの指が、私の目の下を撫でた。

「泡、ついてた。」

優しく笑ったトシの指は、
水に濡れてたせいで、冷たくて。

「泡なんて…、っついてないよ。」
「ついてる。ほら、こっちにも。」

反対側も、トシの冷たい指が撫でる。

「どうしてついたんだろーな。」
「っ分かんないっ、」

泡なんて、ついてないのに。

トシは、
私の何を拭ったんだろう。


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